パラダイム
ジョン・カーペンター大先生の作品。わかりづらい話だが、ホラーとして単純に面白い。一応自分なりの解釈があるので、そのお話を。邦題がヒントになっている。ネタバレあり。
―1988年公開 米 102分―
解説とあらすじ・スタッフとキャスト
解説:廃屋となった教会を舞台に、司教や学者たちが遭遇する悪魔の呪いを描く恐怖映画。(KINENOTE)
あらすじ:ロサンゼルスのダウンタウンにある閉ざされたままの教会。その扉を開けた老司教(ドナルド・プレザンス)は、そこで不思議な緑色の液体が入った透明な柩を発見する。彼は理論物理学と超常現象の大家バイラック教授(ヴィクター・ウォン)に相談し、キャサリン(リサ・ブロント)、ブライアン(ジェイムソン・パーカー)、ケリー(スーザン・ブランチャード)、ウォルター(デニス・ダン)、スーザン(アン・ハワード)らの研究生や専門家と共に協会に泊まり込み、徹底的な分析を始めた。しかしその頃教会の回りには浮浪者らが集まり、さらにはおびただしい数の虫が地中から這い出して来ていた。教授たちがコンピュータによって教会に残されていた古代文字の書物と緑色の液体の柩を調査した結果、柩は700万年前から存在し、そこには神でさえ解けない悪魔の呪いが封じ込められているという事実が判明した。(中略)教会の扉は閉ざされ、緑の液体は柩から溢れ出る。悪魔のエンブレムと同じ形のアザが浮かび上がり、それが身体中に広がったケリーは、もはや人間の姿をしていなかった。彼女は何かを求めるように鏡を見つめ、ゆっくりと手を差しのばし暗闇に閉ざされている邪悪なものを現実の世界に引き入れようとした。手が鏡の中へ伸ばされたその時、陰から見ていたキャサリンが飛び出し、ケリーと共に向こう側の世界に入っていった。その瞬間、鏡は閉ざされ邪悪なものの復活は妨げられたのだった。キャサリンの犠牲により、再び、世界には、平和がもどるのだった。(KINENOTE)
監督・音楽:ジョン・カーペンター
出演:ドナルド・プレゼンス/ジェームソン・パーカー/ヴィクター・ウォン/リサ・ブロント/デニス・ダン/スーザン・ブランチャード/アン・ハワード
かなり強引な内容解釈
ややこしいポイントは神とサタン
あらすじは引用を読んでもらうとして、最初からこの物語が何を言っているのかについて考察します。かなり強引な解釈なので辻褄あってなく感じる人もいるかも。まぁでも、俺はこの作品を以下に述べるような内容の話だと思っている。
というかそもそも、80年代のこの作品をわざわざ鑑賞して、解釈に困ってこのブログにたどりつく人なんて、そうはいないだろうね(笑)。
※とか述べてるけども、後日、この記事に対してコメントくれた方々がいます。いずれもブライアンとキャサリンがコーヒーを飲むくだりについて感想をくれました。また、お一人はこの作品のシーンに『シャイニング』へのオマージュがあるのではないかと。興味ある方は記事末をご参照ください。ありがとうございます。
てなことで、この映画でややこしいのは、神とサタンの関係と、あとはキリスト=神なのか、闇の王子はサタンのことなのか――というところ。そこを考えていくには、作中の台詞をヒントにするしかない。
神とサタンとキリスト
てなわけで、まずは教会の地下にあった、ラテン語その他で書かれた書物を神学者を目指している女性が翻訳してみんなに聞かせるシーンから。
「消されている部分もあるけど、だいたい内容はわかった」と彼女は言う。そして、以下のように説明する。
その箱は遠い昔、中東の何処かに埋められた。サタンの父である神はかつて地上に居たが、何故か闇へ消えた。神は子を箱に閉じ込め埋めた
キリストが警告に来る。彼は地球外から来て、人類によく似ている。キリストは狂人扱いされ、その感化力を恐れた者達に殺された。彼の使途は秘密を隠す事にした。人間が予言を立証する科学力を得るまでは
これをまんま真実として受け取るなら、解釈は下記のようになる。
素粒子の集まりみたいな緑の液体――つまり闇の王子はサタンである。で、その父である神が闇に消えたのだから、鏡の中にいるのが神なのだ。で、キリストは地球外生命体なんである。彼は何かを警告に来たという。
キリストの警告とは何か
その警告とは、おそらく神が善ではなく闇に消えた悪の存在であるということだろう。しかしキリストは、人間たちに狂人扱いされて殺されたと。で、キリストの使途たちは、サタンの父である神が、悪の存在であることを立証する科学力を得るまでは、キリストの予言(警告のことだと思う)の秘密を隠すことにしたのである。「神=闇(悪)=サタンの父」という隠された秘密を信じ守るのが、あの地下教会の宗派である。信者がいるのかようわからんが(笑)。
で、そのあとに、どうしてローマ教会はそのこと(地下宗教)を隠し続けていたのかという話になる。そこで、司教はこう答える。
ある時に決定がなされて、悪を霊的存在として人格化した。人間の心の闇の中にある本来の悪さえも。その方が都合が良かったのだ…人間が全ての中心たるには。売り歩くための愚かな嘘だ。
我々は外交員同様、製品を持っていない者に売り付ける。新しい人生、勧善懲悪をお題目にして、真実から目を背けた。実を言うなら、悪の力…それこそがパラダイムだ。それは眠っている。現在まで
なんだかよくわからん話だ。だが、強引に解釈するならこうだ。
悪を霊的存在として、人格化された存在にした。その人格化された存在がキリスト教的な悪であり、その象徴がサタンである。で、人間の心にある本来の悪も、サタンの仕業であることにした。そのほうが都合がよいのである。
キリスト教的な、善(キリスト教的な神)と悪(悪魔)の2項対立をつくれるからだ。で、カトリックの信者たちは外交員よろしく、この概念をもたない人間たちに布教を行うのである。
キリスト教でパラダイムシフトを起こす
布教した概念とは、物事には善と悪があり、善をなすことが尊く、悪をなすことは罪であるということ。そして、そもそも人間が持っている悪を、人格化された悪魔の仕業として説く。布教によりそれは、人間社会の常識的なパラダイム(考え方、認識の枠)になった。しかし、それは真実から背をそむけた解釈であり、本来的に人間たちが有していたパラダイムではない。
本来は、悪も人間が本来的に有するもので、枠組み(パラダイム)の中にあるものなのだ。しかし、その真実は眠っている。キリスト教的な神ではなく、元々の神(闇=悪)とその子、サタンは眠っているからである。それを眠らせ続けるのがキリスト教の役割であり、キリスト教的、善VS悪のパラダイムで埋め尽くされたのが、この世の中なのである。
元々の神とイエスが対立している
つまり、この作品の登場人物が上記の引用で触れている事柄と俺が補足している解釈は、キリスト教的な善悪の概念は真実のものではなく、本来あった人間のパラダイムとは合致しない世界なのだということ。そして、本来の世界を司るものが、元々の神(闇=悪)とその子、サタンだと言っているのである。そこに対抗してきたのがキリスト=地球外生命=善なのである。
だから、この作品では訳があいまいで話がこんがらがるのだが、みんなが「神」と述べる台詞があった場合、それらは、「イエス」もしくは「キリスト」と「キリスト教以前の、元々の神」というように、鑑賞者は区別しなければならない。そして、元々の神は、「悪」または「闇」と解釈すべきで、闇の王子だけは、そのままサタンであると考えてよいのだ。
俺は字幕をもとに解釈をしているのだが、吹き替えだとどのように訳しているのだろうか。というかそもそも、英語ではどのように言っているのかを知ると、より区別がつきやすいのかもしれない。
それはともかく、司教と教授が予知夢について話すくだり
全てを支配する宇宙の意志が存在する筈だ。神(キリスト教的な)は全ての素粒子の動きまで司っている。…ところで、全ての素粒子には反粒子がある。鏡の中の姿、鏡像だ。写真で言えばネガだ。我々の宇宙ではなく鏡の向こう側に住む強大な意志こそ、我々が直面している相手だ。神(キリスト教的な)への反逆者(元々の神=悪=闇)かもしれん。地上へ闇をもたらす者だ ()内は俺の補足
と、こうなる。つまり、地球外生命体で人類に似ているキリストこそが善であり、元々神だった悪を鏡の向こう側に押しやり、本来は悪でもあった人間たちに、無理やり”キリスト教的善性”こそを尊ぶべきとする考えを施したのである。
で、そもそもキリストも悪もサタンも素粒子だとか反粒子なんである。であるから科学の力がないと存在が立証できない。それを立証できる科学水準に達したからこそ、キリストの信者である地球外生命体(未来人=天使?)たちは警告メッセージを発信し、人間はそれを夢の中で傍受できるようになるし、闇の王子であるサタンの存在を、科学の力を使って知ることになるのである。
キャサリンの秘密にしていたこと
未来人のメッセージが送られてくる予知夢みたいな現象。物語のラストでブライアンが夢の中で見たヴィジョンにはキャサリンが出てくる。実は最初から、あの影はキャサリンだったのだろう。
キャサリンとブライアンは一応恋仲だったことが描かれる。その中で、彼女は何か秘密を持っているのに、ブライアンに打ち明けようとしない。なぜ話そうとしないのかというと、キャサリン自身がなかなか信じられず、人に話すことがためらわれていたからではないだろうか。つまり、彼女は夢の中で以前からあのヴィジョンを見ていて、その中に自分がいることを知っていたのである。
だからこそ、ラストのほうで彼女は、鏡に手を伸ばす闇の王子の行為を阻止するかどうか迷うのだ。なぜなら、闇の王子が鏡から元々の神(闇=悪)を呼び寄せることを阻止すると、自分が見た夢が現実になってしまうことを悟ったからだ。それでも結果として彼女は自分を犠牲にする覚悟を決めてそれをやってのける。なかなか英雄でございますな。
その後、担架に乗せられた司教は自分の信仰の力で悪魔を退けたのだとか偉そうに述べているが、あいつはどうしようもない野郎だ。実は何にもしてないのである。
突っ込みどころ
ついでにだけど、キャサリンは、ブライアンの何がよかったんだろうね。
ブライアンは、とても学生には見えない風貌で、冒頭は彼女を誘いたいのに誘えないダメ男的な描写をしているのに、実はけっこうな自信家(笑)。
キャサリンは、教授の命令であの棺を研究するチームの一員となってから、たかがコーヒーを飲みにいっただけで、ブライアンとセックスしてまうのである。そんなバカなと思った。あんな急激に恋仲にするなら、最初から恋人同士として登場させてもさほど問題なかったように思うのだが。どうでもいい突っ込みでした(笑)。
善悪の彼岸の存在を示唆している
ということでこの作品は、今の世の人たちが持つ善悪の視座を超えた、善悪の彼岸たるパラダイムがあることを示唆しているように、俺には思えた。
善悪を超えた言葉を獲得するために、みんな人間であることをやめよう。
カーペンター監督作品の記事↓
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コメント
アメリカではセックスのことをコーヒーと呼ぶのかと思いました。悪魔の手先になった女たちに攻撃されながらもアメリカンジョークが出てくるところでも大笑い。パソコン画面に同じ言葉が繰り返されるのは、シャイニングへのオマージュでしょうか。ラストシーンは鏡の中の世界へ彼女を救出に行く続編への前振りと思いましたが、作られる可能性は低いですね。
コーヒーを飲もう=セックスしようということですかね(笑)。自分は『シャイニング』については、ジャック・ニコルソンの隙間顔面と血がドバーってなるのと奥さんの顔くらいしか覚えてないので、あの描写がオマージュなのかはわかりませんでした。この映画とても好きですが、続編はないでしょうね。カーペンター監督には何か新作を撮ってほしいとは思っています。世之介さん、コメントありがとうございました。
シャイニングでジャック・ニコルソンが書いていた大量の原稿には、”All work and no job makes Jack a dull boy”という一文だけが延々とタイプされていて、ニコルソンが異常を来たしているのが明らかになります。パラダイムを観てすぐ思い出しました。斧というアイテムにもあれ?と思わせられました。シャイニングではニコルソンと家族を隔てるドアを斧で叩き壊します。パラダイムでは現世と闇の世界を隔てる鏡を斧で割ります。でも、鏡を割るのに斧を使う必要はないわけで、これもやっぱりアレかなと思ってますw
hanoriさんの分析はややこしい関係がすっきり整理されていて、とてもわかりやすかったです。ありがとうございました。
この記事については珍しく時間を費やしましたが、まさかコメントくれる方がいるとは思ってなかったので驚きました。世之介さん、閲覧してくれてありがとうございます。コメント拝読して、今度『シャイニング』を久しぶりに鑑賞してみようと思いました!
はじめまして。映画を観終わってこちらにたどり着きました。
モーニングコーヒーを飲む=夜を共に過ごす
女性を口説く常套句ですね。
解説、とても分かりやすくて映画を2倍楽しめました。
ありがとうございます。
ameiroさん、初めまして。そういう口説き文句があるんですね。初めて知りました。お役に立ててうれしいです。閲覧してくれてありがとうございました!
悪魔が復活するのが何年だか分かって書いてる?
1999年だよ。