スイス・アーミー・マン
ドラえもん的な土左衛門を手に入れた青年の成長物語。冒頭のジェットスキーみたいなシーンから笑える機能のオンパレード。訳がわからなくても楽しめる内容になっているところがすごい。作り手はどうやってこんな荒唐無稽な話を思いついたんだろう。自己解釈的ネタバレあり。
―2017年公開 米 97分―
解説とあらすじ・スタッフとキャスト
解説:「ハリー・ポッター」シリーズのダニエル・ラドクリフ主演のサバイバル・アドベンチャー。青年ハンクが無人島で助けを求めていると、波打ち際に男の死体が流れ着く。死体はガスを発し、浮力を持っていて、ハンクがまたがるとジェットスキーのように発進する。出演は、「ラブ&マーシー 終わらないメロディー」のポール・ダノ。監督・脚本は、本作が長編映画デビューとなるCMディレクター出身のダニエル・クワンとダニエル・シャイナート。2016年サンダンス映画祭監督賞、シッチェス・カタロニア国際映画祭最優秀長編映画賞・主演男優賞、ヌーシャテル国際ファンタスティック映画祭観客賞受賞。(KINENOTE)
あらすじ:孤独な青年ハンク(ポール・ダノ)は無人島で助けを求めていた。しかし、いくら待てども助けは来ず、絶望の淵で自ら命を絶とうとしたそのとき、波打ち際に男の死体(ダニエル・ラドクリフ)が流れ着く。その死体からはガスが出ており、浮力を持っていた。その力は次第に強まり、死体は勢いよく沖へと動き出す。ハンクが意を決してその死体にまたがると、ジェットスキーのように発進する。死体の男の名前はメニーで、彼は十徳ナイフのような万能性を備えていた。こうして、青年と死体の過酷で奇想天外な旅が始まる……。(KINENOTE)
監督・脚本:ダニエル・シャイナート/ダニエル・クワン
出演:ダニエル・ラドクリフ/ポール・ダノ/メアリー・エリザベス・ウィンステッド
感想
劇終後の感想は、「何なんこれぇ…?」であった。このブログでこの感想が出るときは、だいたいつまらなかった作品に対しての場合が多い。だが、この作品についてはつまらないとは思わなかった。ただ、俄かには何なのかようわからんかったのである。余談だけど、「何なんこれぇ…?」なツマラン作品の記事には…
例えば
とか
とか
ーーなんかがある。てことで、以下は作品の解釈について
独断的ネタバレ解釈
ハンクの成長物語
何となくわかった部分は、孤独な青年ハンクが死体のメニーとの交流を通して、自分自身の弱さを認めて克服していく成長が描かれていることだろうか。
彼の内面の弱さは、死体のメニーが彼に発する言葉の中にある。彼は自分の弱みを(自分を投影した?)他者=メニーから告げられることで、物語を通して心的成長を遂げていっているように見える。
わからん部分
ただ、この作品がようわからんのは、ラストの展開などは入れなくても、ハンクの夢オチ的にしたって上記のことは描けると思うのだ。だが、わざわざメニーがオナラをしながら沖へ去っていく描写を入れる(笑)。
ということは、この作品の物語世界がハンクの夢なのか現実かなんてのは、どうでもいいことなんだろう。というよりは、メニーの存在やラストの展開などを、何かの象徴として表現することで物語にメッセージを込めているのではないかと。
そのメッセージとは
人前でオナラをしてもいい
俺がこの作品から何らかのメッセージを読み取るヒントを得たのは、終盤あたりでメニーがハンクに投げかける言葉だ。
彼は「人前でオナラをするとか、人間にダメなことはいっぱいある。でも、みんなそんなダメなところはあるものなのだ。だから、他人のダメさを拒否するのではなく、ダメでもいいんだと肯定することが大事なんだよ。」てなことを言う(セリフ通りではなく、うろ覚えの意訳です。ゴメン)。
この言に込められているのは恐らく、常識の基準についてだ。ハンクはメニーと自然の中で生きていたときは、社会の常識からは外れた生活を営んでいた。しかし、そこから再び自分の元いた社会に帰ろうとしている。社会に戻ったときに起こるのは、再び人前でオナラができなくなること=社会の常識を守ろうとすることである。
メニーは、そういうことに対して、常識など気にするなと言うのだ。オナラをすればいいのだと。仮に他人がオナラをしたら、「ダメだなぁ、でも、そんなもんだよね」。と認めればいいのだと言っている。これはつまり、他人のダメなところも、ある程度は受容する寛容さが必要ではないかということだ。
ダメなことをダメとする常識的な言説が何よりも大事な社会は、生きることが非常に窮屈である。俺たちは現に今、そうした窮屈な社会に生きている。なぜそうなってしまうのか。それは、他人がするオナラが許せないからだろう。
もちろんオナラでなくても、何でもだ。他人のすることを常識的な観点から見て、「ダメなこと」と切り捨ててしまうのは、社会で生きる以上、けっこう俺もやっている。ただ、そこで少しだけ「でも、そんなもんだよね」という他者への寛容さを持ってみればいいのではないかと、メニーは言っているのである。
その気持ちがあれば、もう少しゆとりのある社会に生きられるのではないかというメッセージが、この作品には込められている…たぶん。
常識なんて糞食らえ
もう少し別の考え方をするなら、社会の常識なんて、どうだっていいのである――というメッセージも込められているのかもしれない。常識なんてものに、縛られて生きなくてもいいのだと。
ハンクは実はそのことを、無人島に流される前から知っていたはずだ。だが、それができなくて、孤独な生活を余儀なくされていたのである。しかし物語を通じて、常識に縛られずに生きる覚悟を、自分でありながら他人であるメニーの言によって得たのだ。
だから彼は、ラストシーンで、好きだった女性がいる前でもオナラをしたのではないか。
というふうに考えてみると、よくわからんようでいて、一人の青年の成長が描かれた、ビルドゥングスロマン的な青春作品だ。
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