ザ・ドア 交差する世界
自分の過失で娘を亡くした画家の男がひょんなことから、5年前に娘を死なせてしまう直前の世界に迷い込む。で、その後何が起こったかという話。時間移動・多次元宇宙ものとしては観たことのない展開で楽しめた。ネタバレあり。
―2014年公開 独 101分―
解説とあらすじ・スタッフとキャスト
解説:謎の扉の奥に別の世界を見つけた男の過酷な運命を描くドイツ産SFサスペンス。アキフ・ピリンチの原作を基に「ブラッディ・パーティ」のヤン・ベルガーが脚本化、TVを中心に活躍するアノ・ソウルが監督した。出演は「偽りなき者」のマッツ・ミケルセン、『バロン ほらふき男爵の冒険』のジェシカ・シュワルツ、「ラブ・アクチュアリー」のハイケ・マカッシュ。特集上映「未体験ゾーンの映画たち 2014」にて上映。(KINENOTE)
あらすじ:画家として成功し、美しい妻(ジェシカ・シュワルツ)と可愛らしい娘と共に何不自由ない毎日を送っていたダビッド(マッツ・ミケルセン)は、ある日、浮気相手と密会中に不慮の事故で娘を亡くしてしまう。それをきっかけに妻と離婚。全てを失ったダビッドは、数年後には抜け殻のような生活を送っていた。自殺を試みるほどに自暴自棄の彼だったが、ふとしたきっかけで古びた祠の中に謎の扉を発見する。その扉を開くとそこは、もう一つの世界、娘を失ったあの日に繋がっていた。娘を助けなければと必死の思いでありし日の我が家に飛び込み、娘を死亡事故から救ったダビッド。だがホッとしたのも束の間、突如何者かに襲われ揉み合いになり、はずみで相手を殺害してしまう。その人物はこちら側の世界に暮らす“もう一人の自分”だった。戸惑いながらもダビッドは、自分は“自分”のいなくなったこの世界でもう一度家族と共にやり直せるのではないか、と考える。やがて彼はこの世界で新たな人生を歩むことを決意するが、そんなダビッドを監視している人物がいた……。(KINENOTE)
監督:アン・ソウル
出演:マッツ・ミケルセン/ジェシカ・シュワルツ
ネタバレ感想
死体隠しが適当な主人公
主人公のダビッドが5年前の世界に戻って、図らずもその世界のダビッドを殺してしまってからの展開が面白く、物語に引き込まれた。
気になったというかツッコミどこを挙げとくと、主人公の最初の死体隠しが適当すぎ(笑)。あれ、もうちょっと慎重に証拠隠蔽してれば、その後の展開も変わったはずなのにね。何度かバレそうになってるのに放置し続けるのもよくわからん(笑)。
個人的興味な感想
この作品は多次元宇宙、パラレルワールドが存在することが前提になっていたようだ。であるから、主人公のダビッド(A)が、5年前のダビッド(B)を殺したとしても、自分(A)の存在が消えることはない。完全に別の存在として在り続ける。並列した別世界から、物語の5年前世界に移動してきたのだから、当然と言えば当然である。
てことで以下から、主人公をダビット(A)とし、彼と同じ世界=世界(A)にいた人たちに、(A)を、移動先の5年前の世界=世界(B)の人には(B)をつけて区別します。
なかなかぶっ飛んでいるのは、中盤以降、ダビッド(A)以外にもたくさんの人間が、世界(A)から、あのトンネルをくぐって世界(B)に来ているのがわかること。
しかもそいつら、世界(B)の自分(Bであり、厳密には自分じゃないが)たちを殺しているっぽい(笑)。それか、ダビッド(A)を助けてくれる前科者の殺人鬼親父(A)に支配されていたのか。その辺はよくわからなかったが、ともかく終盤に、ダビッドを集団で襲ってくるあの展開には笑った。
ラストはダビッド(A)の奥さん(A)の良心に助けられ、娘(B)は本来の母(B)と世界(A)へ逃げ延びる。でも、世界(A)で、あの娘は社会的には死亡したことになっているはず。ID的なものは発行できるんだろうか? また、奥さん(A)はダビッド(A)と離婚したことになっているはずなんで、逃げ延びた奥さん(B)はダビッド(A)の家に住めるのだろうか――などとどうでもよいことを考えてもうた。
個人的に好感を持ったのは、この作品の登場人物たちは、世界(A)と世界(B)の自分が、5歳離れていることもあるんだけど、お互いが完全な別人であり、同一人物ではないとわかって行動しているところだ(だからAがBを殺せる)。娘(B)が直感的にダビッド(A)を「この人はパパじゃない」と判断できているところなんかも面白い。
なぜそこに好感が持てるのかというと、パラレルワールドや時間がループする類の作品だと、この区別を曖昧にしたまま物語が進む作品がけっこう多いからである。もう少し詳しく言うと、本作のように、主人公が別世界へ移動する物語で、主人公が移動先の世界と移動前の世界の自分以外の存在を、同一のものとして捉えている節があるように見えるものが多いということだ。
例えば↓
逆に、違いを認識できている登場人物がいる作品↓
上記の例を出すと、その区別が作品の面白味を左右しているわけではないのがわかるが(笑)、個人的にはその辺を説明しない作品に、いつも引っかかってしまうのである。
なぜなのかは、『オール・ユー・ニード・イズ・キル』の「こういう作品にありがちな、アレだよ!」という見出し部分(記事冒頭の目次からリンクしてます)で詳しく紹介したので、参照してもらうとして、そんなところに好感が持てた。
というわけで、設定をうまくいかした展開を楽しめた作品であった。
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