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映画『オール・ユー・ニード・イズ・キル』ネタバレ 誰もが唯一無二の存在である!

オールユーニードイズキル
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『オール・ユー・ニード・イズ・キル』

地上派向きの楽しめる良作! 何も考えずに見ても、飽きずに最後まで楽しめます。てなことで、記事の前半で作品についての話。中盤以降は作品を通じて、成長するとはどういうことなのかを考える。最後は時間軸の扱い方とか、個人的な疑問についての話でいきます。

ー2014年公開 アメリカー

解説:桜坂洋のライトノベル『All You Need Is Kill』(集英社スーパーダッシュ文庫・刊)をもとにしたSFアクション。謎の侵略者からの攻撃に歯が立たない中、決死の任務にあたり戦死したはずの少佐がタイムループに巻き込まれる。監督は「Mr.& Mrs. スミス」「ボーン・アイデンティティー」のダグ・リーマン。タイムループを抜け出す糸口を探しながら何度も出撃と戦死を繰り返す少佐を「ミッション:インポッシブル」シリーズや「トップガン」のトム・クルーズが、少佐と同じくタイムループに巻き込まれている特殊部隊軍人の女性を「ヴィクトリア女王 世紀の愛」「プラダを着た悪魔」のエミリー・ブラントが演じる。2D/3D同時公開。( KINENOTE)

あらすじ:近未来。地球は謎の侵略者からの攻撃を受け、そのあまりの戦闘力の高さに人類はなすすべもなかった。ウィリアム・ケイジ少佐(トム・クルーズ)は決死の任務にあたるが、敵にダメージを負わせることなく戦死。しかし気付くと時は出撃前に戻っていた。少佐はタイムループに巻き込まれていた。幾度となく出撃と戦闘、死を繰り返すうちに、特殊部隊の軍人リタ・ヴラタスキ(エミリー・ブラント)が彼と同様にタイムループに巻き込まれていることを知る。戦いを繰り返しながら少佐は戦闘技術を磨いていき、二人はこのタイムループから抜け出す糸口を探る……。( KINENOTE)

監督:ダグ・リーマン
脚本:クリストファー・マッカリー
出演:トム・クルーズ/エミリー・ブラント/ビル・パクストン

ネタバレあり!

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地上派向きの楽しめる良作!

前半はシリアスそうでいて、主人公の死にっぷりでけっこう笑える。ともかく地上派向きの娯楽作品であることは間違いない。最近は全くテレビを見ないからよく知らんけど、すでにどっかの局が放映してるのかもね。

 

「指を切っただけで失神する」男の成長物語

へタレ軍人(広報担当)のトム・クルーズが戦場で死んでは生き返り、死んでは生き返りを繰り返し、戦士として成長していく物語。つまり、ダメ人間が真の大人の男になる話ですな。

どのくらいへタレかは、戦地に赴くよう将軍に命令されて、駄々をこねたり将軍を脅して命令を拒否しようとするシーンだけでようわかる。主人公=ケイジ少佐は「指を切っただけで失神」するそうです。自分で得意気? に将軍に語ってます(笑)。

そんなへタレが、はからずも兵士として宇宙から来た謎の生命体たちと戦うことになり、それがきっかけで、仮に死んだとしてもある時点まで時間が遡り、同じシチュエーションの人生で別の選択肢を選べる特異体質の人間になる。そして、何度も人生をやり直し(リセット)ながら、ヒロインらとともに謎の生命体を束ねるボスと対決。見事勝利? を収めるへタレが成長する物語である。

ということで、ストーリーは単純と言えば単純。敵の生命体にはギタイとアルファとオメガの3種がいるけども、それぞれの特徴や主従関係も見ていればわかる。で、主人公の悪戦苦闘ぶりや、ヒロインとの関わりにも興味を持たせつつ、敵を無事倒せるかどうかのドキドキ感も持続させる力があるので、冒頭に述べたとおり飽きずに面白く見れる良作なのである。

エミリー・ブラントが素敵である

ラブロマンス的な部分もあるよね。ケイジはエミリー・ブラントが演じるリタの性格や過去を、リセットを繰り返すたびに知っていくんだけど、リタのほうはケイジの人生がリセットされるたびに初対面として会うので、なかなか距離が近づかない。ただ、リタも過去にケイジと同じ体験をしているので、そういう意味では2人にしか共有できないことも多いから、そう考えると絆は深めやすいのである。

人生を何度も繰り返して意中の人に近づこうとする作品と言えば、ビル・マーレイ主演の『恋はデジャ・ブ』というラブ・コメがあります。面白いです。

余談ついでに、今回DVDで2度目の鑑賞をして驚いたのが、エミリー・ブラントがすごく素敵だったということである。初見の時はあまりそう感じなかったし、『アジャストメント』や『ルーパー』や『ボーダー・ライン』を見た時にもそう思わなかったけど、なぜか今回は非常に魅力を感じたであります。

美人なのもそうなんだけど、あの不屈の精神がいいんでしょうな。ケイジの2回目の人生に登場したときは「クズ人間かしら?」と思わせなくもなかったが(笑)

ケイジは何年分くらい人生をやり直したのだろうか。

主人公のケイジは、死ぬごとに時間を遡ってある地点に戻される。だから、次の人生の同じシーンにおいては、自分が死なない選択肢を選べる。それを何度も繰り返すうえ、同じ時間軸の中で訓練だけに専念する人生も送れるので(訓練中にリセットするシーンもあるよね)、へタレからスーパー戦士へと成長できるわけだ。

実は、特異体質になってからの彼、かなり努力してる。しないとループから脱出できないからとは言え、状況はかなり絶望的。普通は心が折れちゃうと思う。作品内で何回同じ時間軸をループしたのかはわからんけど、少なくとも1万回くらいやってんじゃないかなぁ。じゃないとあそこまでたどりつけないように思う。

て考えると、冒頭のへタレぶりとリタに会ってからのギャップはすさまじいのである(笑)。

多分、確か3度目のコンタクト(リタにおいては常に1度目)で、訓練所みたいなとこでセクシー腕立て(笑)をしてる彼女を見たときに、すでにケイジはまいちゃってたんでしょうなぁ。だから頑張れたんだと思う。恋の力は偉大でございますなー。

セクシー腕立て

同じ人生を繰り返して成長していく

ケイジと同じようなことをリタも先に経験をしていることには触れた。リタのあの不屈の精神も、そういう繰り返しの中で培ったものなのかもしれない。こういう繰り返しものの作品は『バタフライ・エフェクト』でもそうだったけど、何度も失敗してその反省を活かして次に進もうとするから、当事者は成長せずにはいられないんですよね。

そういう意味では、死なない(死ねない)ってのはある意味で無敵な人生を送るための条件なわけだ。もちろん、長い目で見るとメリットはあまりないと思うんだが、それはこの記事では関係ない話。

自分の成長を感じられるって楽しいよね

この作品って「テレビゲームっぽい」という指摘がよくあるみたい。確かに、ゲームにはまった経験がある人なら、誰でもそう思うよね。特にアクション系の難しいやつなんかは、まさに死んではスタートに戻されてを繰り返すことで、クリアにこぎつけるわけだから。

ちなみに、「なんで人間はテレビゲームが好きなのか?」ってことに関して仕事の関係で話を聞く機会のあった、ある人物が言っていた。「人間は成長を感じたい生き物だから」とのこと。なるほど、と思った。さっき述べたように、ゲームって失敗を次に活かし、ハードルを乗り越えていくところに面白味があるもんな。そして、その行為には確かに成長の実感がある。

ということは、実人生でも成長を実感できることが楽しい人生を過ごすために必要なことの1つなのかもしれない。ただ、実人生では繰り返しがきかないから失敗を恐れる気持ちも出てきて、無難な日々を過ごしがち。そりゃねぇ、保障されてないものにリスクをかけるのは怖いからなぁ。

じゃあどうするかっていうと、「リスクをかけてでもやりたい」とか「寝る間も惜しんでやりたい」とか、心からそう思えることをやればいいんじゃないだろうか。そして、それをやるためにはどうすればいいかを考えて動く。「そういうものが何もない」って人は、いろいろとやって、試してみればいいのではないか。俺は試してみたら、自分がそこそこでも楽しくやれることは幾つか見つかった。

ちなみに、「試すのがめんどうだし、何がしたいかよくわからない」てな人もいるはず。そういう人は知らん(笑)。なんとなく日々を過ごしてても、いずれやりたいことは見つかるもんだし、焦らなくてもいいんじゃないでしょうか、たぶん。年齢にもよるが。

ケイジのいない世界はどうなるの?

ということで最後に、この作品を通じて考えたこと。それは、この作品の時間軸はケイジが生き死にを繰り返しているあの1本だけなのかということ。ケイジ視点から見ると、時間が直線になっているのではなく、円になっているように見える。で、その円を直線に戻すべく、気の遠くなる人生のパターンを試していると。

でも、リタや別の登場人物からすると、どうなるんだろうか。リタは何度もケイジの人生をリセットするけども、リセット後、残された彼女やその世界はどうなる? てのがすごい気になった。たぶん、そのままケイジのいない世界で生き続けていることになる。

ケイジが死んでしまった後もその世界が残り続けるってのは、ケイジが車に轢かれて死んだときに、軍曹が何やら突っ込みを入れるギャグのシーンでわかる。仮にループが始まるとケイジのいなくなった世界の人たちは記憶をなくしてケイジの目覚める世界に一緒に戻るのだとしたら、あのシーンが成り立たなくなるからねぇ。

実は、ケイジが可能世界を渡り歩く話だったのだ

てなことでケイジだけが、もともと自分の生きてた直線の一番未来である目覚めのポイントに、自分のこれまでの肉体的・精神的経験を残したまま戻れるのだ。そのポイントから続く未来は、無限に分岐する可能世界なのである。

そして現に、彼は無限にある可能世界をそれこそ無限に近いほど繰り返して成長を続けたわけだ。だから、彼が最初に会ったリタと、2回目以降のリタは、実はケイジから見れば同じ存在に見えるものの、視点をリタに変えてみると全くそうではないことがわかる。

この作品において、ケイジは唯一のケイジとしてしか出てこない。ところがそれ以外の人物はすべて、様々な可能世界を生きる存在だから、例えばリタは、リタ1、リタ2・・・リタ1571・・・リタ∞・・・と無限に存在するはず。だからケイジは存在としてはそれぞれ全く別の、無数のリタと関わっていたのである。

こういう作品にありがちな、アレだよ!

こういう時間軸を行き来するストーリーでいつも気になるのは、主人公からしてみればどのリタであろうが、最後のリタと幸せになればそれでハッピー。でも、リタ側から見ると、ケイジとハッピーになったリタ5431(適当な数字)にとってはそれでいいけど、それ以前の5430番目までのリタは、死んでいるのである。酷くないですか?

さらに気に入らないのは、主人公は無数の世界を渡り歩いて、たくさんのリタや周辺人物を犠牲にしているのに、何の罪悪感も持たないのである。なぜなのだ? その世界の彼らは、生き返ってこないんだよ? それについて考えられるのは主人公だけなのに(厳密に言うと、この作品ではリタもそれを考えられる)。なぜそこに考えがおよばないんでしょう? わけがわからんのです。

そうなのだ、こういう時間移動系の作品では、時間移動をしている主人公が、可能世界から移動した後はその世界のことを全く思い出そうとしないのである。たくさんの犠牲を払っていることについて思い悩まないどころか、思い出すような描写さえも出てこない。これって変ですよ。どうあったって、変えのきかない存在に会っていることを、理解していなんです。

どういうことかって言うと、この作品で本当にケイジと同じ時間軸上で生きていたリタは、ケイジの初めてコンタクトしたリタ1だけなんである。彼女こそがケイジの人生の中で会えるリタだったのだ。全く関わらずに死んでしまったけど、他の可能世界のリタは、リタ1にとっては全くの他人なのだ。これを実人生になぞらえて考えれば、他者とは誰もが、必ずそうした唯一無二の代えのきかない存在なのであるという自明のことがあらためてわかるのだ。

そして、それはすごいことなんである。奇跡なんである。俺も他人から見れば他者なわけだから、俺も唯一無二なんである。みんな唯一無二である!

文句を言いつつも、こういう時間移動もののよさは、こういうことに気付かせてくれることだろうと思います。

以下、蛇足ではありますが、さらに個人的な疑問に突入します・・・

唯一開けているのは、”この私”からの視界だけなのだ!

上記を踏まえてさらに考える。この作品の設定ではありえないが、リタ5430番が仮に、リタ5431番の生きる可能世界に行けたとして2人が鉢合わせたとする。その場合、どちらにとっても言いたくなるセリフがあるのだ。それは「あんた誰?」である。そしてどちらも「私」だと答えるだろう。

仮に2人が同時にケイジと会ったとしたら、どちらも「私がリタだ」と言うだろう。しかし、しかしである。・・・その違いってケイジにどう説明するんだ? なぜならケイジにとっては、どちらも同じリタだからである。

なぜリタ2人が同時にケイジの眼前に現れる話として説明するのかは、クローン的な存在が2人いるシチュエーションでこそ、わかりやすく問題のありようを伝えられて、理解してもらいやすいからである。

この状況が理解された前提で言うと、あの2人が言いたいお互いの違っている部分というのは、「リタとしてこの世界を見て、視界が開けているのは、”この私”なのだ」ということである。言い換えると、「世界は自分の眼から見えている。他の人から見えている世界があるのもわかるが、しかし、人生において開けている視界は唯一、やはり”この私”からだけなのだ!」という意味だ。

自分からしか見えてないでしょ、世界。他人も、同じこと言うでしょ? でもそれって何なの? おかしくない? 怖くね? という話でした。

この、他人には区別できない、言えない「私」の存在は、言語を使う以上確実に起こる。

今回すごく長かったけど、何も説明せずにこれと似たような話題に触れている記事は下記になります。

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