ディストラクション・ベイビーズ
解説:愛媛県松山市を舞台に若者の狂気と欲望を描く青春群像劇。「NINIFUNI」の真利子哲也監督と共に「桐島、部活やめるってよ」の喜安浩平が共同脚本を担当。出演は、「合葬」の柳楽優弥、「ピンクとグレー」の菅田将暉、「渇き。」の小松菜奈。
あらすじ:愛媛県松山市西部の小さな港町・三津浜にある海沿いの造船所で、芦原泰良(柳楽優弥)と弟・将太(村上虹郎)の兄弟は二人きりで暮らしている。泰良は喧嘩に明け暮れていたが、ある日、三津浜から姿を消す。泰良は松山の路地裏で強そうな相手を見つけては喧嘩を仕掛け、打ちのめされても食い下がっていた。北原裕也(菅田将暉)はそんな泰良に興味を持ち、「おもしろいことしようや」と声をかける。二人は無差別に通行人に暴行を加え、車を強奪し、乗り合わせていた少女・那奈(小松菜奈)と松山市外へ向かう。その頃、自分を置いて消えた兄を探しに、将太も市内へとやってきていた……。
監督:真利子哲也
出演:柳楽優弥/菅田将暉/小松菜奈/村上虹郎
ネタバレ感想
喧嘩がしたいです!
この作品の主人公って柳楽優弥だよね? 別にそうでなくてもいいんだけど、何を考えているかまったくわからん人でした。唯一わかるのがとにかく喧嘩がしたいんだな、ということだけ。
子どもの頃の話だけど、年長の人と喧嘩になってボコボコにされても勝つまでやめない、相手が音を上げるまで食い下がっていく奴を見たことがある。子ども心にその根性はすごいなと思わされたけど、なんか怖かったのも覚えている。関わりたくないと思った。
喧嘩の中に生きている男
この主人公は長じてもずっとそんな感じで喧嘩を続けてきた人なのだ。いったい何なんだろう、彼の行動原理って。理解できない人、こちらでいろいろ理屈をつけて「こういう人なんだ」と類型的な決め付けができない他人。やっぱそういう存在って恐ろしい。
恐ろしい他者の話はこちら↓
これらを踏まえて考えると、人間――というか俺は、周囲の他人に対して「●●氏はこういう性格でこういう人間なのだ」と決めつけて生きていることがわかる。何もわからない他人だからこそ、レッテルを貼ることで安心したいんだろうなぁ。
ということで、主人公は「喧嘩をする」という行為そのものの存在で、行為の塊なのである。まさしく喧嘩機械、戦闘機械、攻撃本能だけで生きているような別次元の人間なのだ。それでもあえて1人の人間として類型化してみると、恐らく彼は、真っ直ぐで純粋な人間であったんだろう。
クズ機械の行為は自分を映す鏡だ
いっぽう、わかりやすいクズ人間を演じていたのが、菅田将暉と小松菜奈の両名でありました。小松奈菜は多少悲惨な目にあうものの身から出た錆でもあるし、ラストのほうで人に罪を着せる、すがすがしいクズっぷり。菅田将暉の演じてる子は・・・。こういう奴もいたよね。彼の演技を見てて、本当に嫌な気分になった(ほめてます)。
この2人を喧嘩機械の主人公と同じように見ると、2人はクズな行為の塊であり、クズ機械なのである。そして、このクズ機械たちの言動について胸に手を当ててみると、自分にも重なるクズな部分があることを思わされる。そういう意味では、クズ機械は鏡に映した自分なのである。
人間は、機械のように行為に埋没することも必要なのだ
あと主人公とその弟の保護者。どういう経緯で保護しているのか、台詞が聞き取れなかったしあまり詳細は描かれてないと思うけど、でんでんが演じるあの親父は、祭りが生きがいになっているよね。祭りによって日常の鬱憤を晴らしているというか、祭り機械になることが彼にとっては必要なんだろう。
ラストあたりの弟の描写はなんだかよくわからんかったが、彼も兄のような機械になるのかもしれぬ。そして兄のほうは果たして、これからも社会の制裁を受けることなく機械で居続けられるのだろうか。
理解不能の他者の恐ろしさ、それに加えて、人間は何かの機械になる瞬間がないと心の安定が得られない。そんなことが描かれている作品と思った。
なんか非常に暗い話だけども、主人公のぶっ飛びぶりで、ところどころ笑わせてくれるシーンもあるし、最後まで目が離せない素晴らしい作品。
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