プラトーン
数年に1度は観たくなる戦争映画。10代の頃に鑑賞したこともあって、思い入れの強い作品である。ベトナム戦争の過酷な状況を描写しつつ、ちょっとした義憤に駆られ、志願してベトナムにやってきた青年の、成長物語でもある。ネタバレあり。
―1986年公開 米 120分―
解説とあらすじ・スタッフとキャスト
解説:ベトナム戦争の最前線を舞台に、地獄のような戦場と兵士達の赤裸々な姿を描く。製作はアーノルド・コペルソン、エグゼクティヴ・プロデューサーはジョン・デイリーとデレク・ギブソン、監督・脚本は「ミッドナイト・エクスプレス」「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」の脚本を執筆したオリヴァー・ストーン、撮影はロバート・リチャードソン、音楽はジョルジュ・ドルリューが担当。出演はチャーリー・シーン、トム・ベレンジャーほか。(KINENOTE)
あらすじ:クリス(チャーリー・シーン)が、ベトナムへやって来たのは1967年。大学を中退してまでベトナムを志願したのは、次々と徴兵されていく同年代の若者たちのほとんどが、少数民族や貧しい者たちだった事に対する義憤からだった。だが、いきなり最前線の戦闘小隊(プラトーン)に配属されたクリスにとって、戦争の現実は彼の想像をはるかに超えた苛酷なものだった。その小隊の隊長バーンズ(トム・ベレンジャー)は冷酷非情、顔の深い傷痕が証明するように過去何度も死線をくぐりぬけてきた強者だ。班長のエリアス(ウィレム・デフォー)は戦場にありながらも無益な殺人を犯してはならないという信念の持ち主。その他、様々な個性を持つ兵士たち13人の小隊は、人間の最大の罪悪といえる戦争の真っ只中に放り込まれる。ある日、ベトコンの基地と思われる小さな村を発見した。バーンズは真実を吐かない村民を銃殺した。バーンズの非情さに怒りを爆発させたエリアスは殴りかかった。「軍法会議にかけてやる」と叫ぶエリアスと、彼の平和主義的言動に心良く思っていなかったバーンズの対立は決定的となった。そして――大規模なベトコンの大部隊との戦闘が間近かに迫ったある日。エリアスが単身、斥候に出た時、後を追ったバーンズが卑劣にも射殺してしまう。やがて、ベトコンの大部隊と凄まじい接近戦が始まった。圧倒的な人海戦術の前に次々と倒れていく戦友たち。悪夢のような一夜が明けた。傷つきボロボロになったクリスの前に、バーンズが息も絶え絶えに倒れていた。エリアス射殺のことを気づいていたクリスは、バーンズに向けて怒りの引金を引いた。(KINENOTE)
監督・脚本:オリヴァー・ストーン
出演:トム・ベレンジャー/ウィレム・デフォー/チャーリー・シーン/フォレスト・ウィテカー/フランチェスコ・クイン/ジョン・C・マッギンレイ/リチャード・エドソン/ケヴィン・ディロン/キース・デイヴィッド/ジョニー・デップ
ネタバレ感想
クリスの成長物語
もう何回観たかわからんけども、何度観ても面白い戦争映画。面白いって言い方は不適切なのかもしれんが、面白いものは面白いのである。
箱庭育ちのボンボン=クリスが、大学を中退して志願してまで戦場に向かったのは、貧しい暮らしや差別されている黒人らが徴兵の対象になっていることに義憤を感じたかららしい。プラス、戦争というものに対する好奇心だろうか。
いずれにしても、クリスは過酷な戦場を体験することで、少しずつ1人前の兵士として成長していき、最終的には己の正義のためにバーンズを銃殺する判断をくだすに至る。
エリアスを殺すことになったバーンズの判断はよろしくないが、では、クリスがバーンズの息の根を止めた選択はよかったのかと考えるに、それもやっぱりよくないのではないかと思う。思うけども、クリスはそうした決断をするくらい、自分の信念を行動につなげられる人間になったということなのかもしれない。
鑑賞者に高揚感をもたらすクライマックス
この作品のいいところは、クリスが兵士として成長し、自分の判断で勇気を持って戦える人間になる瞬間と物語のクライマックスが重なり、鑑賞者にもある種の高揚感を持たせるところにある。
人海戦術で押し寄せてくる敵を蛸壺に篭って迎え撃つラストの戦闘で、クリスは同じ蛸壺に入っている黒人兵士(名前忘れた)の腰の引け具合とは対照的に、自分の判断で動き方を選択し、べトコンの群れと渡り合う度胸を持つ人間になっている(ある意味では、自暴自棄だったのかもしれないが)。
この、クリスの猪突猛進(ある意味でヤケクソ)、ガムシャラな戦い方が、クライマックスの戦闘シーンとして非常に胸に響くのだ。少なくとも俺にとっては。要するにカッコいいのである。血湧き、肉踊る感覚をもたらすのだ。
初めてこの作品を鑑賞した10代の頃から、何度観ても同じ感覚を覚えさせるクライマックスである。
柴田先生、ありがとう(笑)
ちなみに俺が高校生の頃、テスト前日の深夜だったかにテレビでこの映画がやっていて、何度も観ているくせに、その日も全部鑑賞してから翌日のテストに臨んだ覚えがある。翌日のテストは選択科目の日本史であった。日本史の先生は名前を柴田といったが、なぜかその回のテストの解答欄の最後に「映画でも小説でも漫画でも何でもいいから、最近触れた作品について感想を書け」という欄があった。
俺は昨晩のプラトーン鑑賞体験をそのまま引きずって、上記のクライマックスについて触れつつ、プラトーンの感想を書いた。そして、人殺しを嬉々として行っているように見えなくもないシーンに、ある種の高揚感みたいのを待つのは、あまりよろしくない気がする――と書いた覚えがある。
それについて、テストの答案が返ってきたとき、柴田先生は俺の感想について、「そういう感覚を持つのは全くおかしなことではないし、悪いことでもない。むしろ、今のうちにそうした作品にたくさん触れて、己の感性を磨きたまえ」みたいな言葉が答案に書かれていた。
担任でも何でもなかった柴田先生とコミュニケーションがあったのは、あとにも先にも、この答案上でのやり取りくらいしかない。俺は小・中・高を通じて、学校の先生なんて偽善者でろくでもない奴らばかりだったと思っているけど、柴田先生の返答については、ありがとうございます――と今でも思っている。あの当時、自分の感想を肯定してもらったことで、救われた気がしたので。
それにしても、戦争映画ってのはなぜ面白いのか。俺が暴力映画を好きなことに、何か通じるところがあるやもしれない。今度まじめに考えてみるかな。
コメント