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雑談 バイオレンス映画、犯罪映画が好きだ。なぜなのか

暴力 バイオレンス
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バイオレンス映画、犯罪映画が好きだ!

暴力的な人間たちが暴力をふるう映画、組織犯罪などを描いた映画が好き。でも、どうしてなんだろうか。別に暴力を肯定しているわけではない。というより、俺は臆病者だ。だからリアルな世界での暴力体験は少ないし、できればこれからも体験したくない。しかし、そうした作品を鑑賞するのは楽しい。それはどうしてなのかについて。

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暴力映画が好きです

稀に他人と趣味の話になったときに、俺は「映画が好きだ」と答える。多少映画が好きな人だと、「では、どんな映画が好きか」と聞かれる。そんなときに答えるのが「暴力映画」という答えだ。そうすると、「なぜ暴力映画が好きなのか」と聞かれる。俺は返答に困る。実際に何の迷いもなく「暴力映画」と答えておきながら、その理由が言えないというのはどういうことか。

実は、説明が面倒くさいのである。でも、答えないと分かってもらえないので、今までいろいろ説明を試みてきた。だが、相手にどれだけ伝わったか、実に心もとない。別に心底理解してもらいたいとは思ってないものの、どうせ伝えるなら考えが正確に伝わったほうがうれしい。たとえ同調されなかったとしても。

ということで、こうして記事=文章に残すことで、「暴力映画」がなぜ好きかということをまとめておくことにした。前置から長すぎだが、興味があれば、引き続き読んでみてください。

暴力映画が好きな3つの理由

以前、トム・ハーディ主演の『レジェンド 狂気の美学』の感想を述べたときに、実は一度、どうして犯罪映画が好きなのかについて、それなりに語っている。

映画『レジェンド 狂気の美学』犯罪は一人で隠れて、孤独にやろう
トム・ハーディが双子の兄弟を一人二役で演じた映画。数ある犯罪組織ものの中で何か突出した部分があるわけではないけど、面白く見られる。今回は作品を通じて、犯罪映画がなんで面白いのかってことと、犯罪は一人でやったほうがいいのではないか、という話。

上記の記事を改めて読んだうえで、俺がなぜ犯罪映画が好きなのかを要約すると、以下のようなことが列挙できる。

1.悪人も一般人も他者に対しての接し方は変わらないことを教えてくれる。違いは暴力的かどうかだけ。つまり、同じ穴の狢だ。同じ人間だ。

2.暴力や犯罪行為は割りに合わないことだと教えてくれる。悪を犯し続ける人間の末路は、けっこう悲惨であることを暴力映画は教えてくれる。

3.仮に犯罪行為を行うにしても、徒党を組んではいけない。一人でやるべきだ。一人で責任を背負いきれる範囲でやるべきだ。したがって、恋人や愛人や家族を持ってはいけない。血縁者とも関係を絶つべきだ。それを教えてくれる。

――大きく分けると上記3つだろうか。そもそも、俺が3番目の結論に至ったのは、数々のバイオレンス映画を観た結果、20代の後半頃からそう思うようになったのだ。で、鑑賞してきた作品を解説することで、3番目の結論を導くような文章を書こうと思ったことがある。その結論に至る過程には、1と2についてもさまざまな作品を通じて解説することになる、そういう長文を書こうと思っていた。しかし、それはできなかった。なぜなら、非常に面倒くさかったからである(笑)。

先に紹介した『レジェンド 狂気の美学』の記事は、作品の感想を通じて、当時望んで果たせなかったことの残りカスみたいな内容になっている。

ちなみにこちらは犯罪映画を通して、ブログテーマの一つ、人生を半分降りることについて

映画『夜に生きる』ネタバレ感想 主人公の信条が参考になる作品
1920年以降のアメリカで起こった出来事もかなり出てくるので、アメリカの歴史的なことに対する知識が深いと、より楽しめるんだろうと思う。とはいえ、その辺の知識はなくても別に問題はない。個人的には、このブログにテーマに関わる内容が描かれていると思った。ネタバレすこしだけ。 ―2017年公開 米 129分―

悪に対する憧れ

上記のようなことを感じさせてくれるのが、俺がバイオレンス映画を好きな理由である。しかし、もちろん上記のことが全てではない。単に、描かれる登場人物がカッコいいだけということもある。悪事をためらないなく犯せる人間たちに、ある種の憧れを持っているのも事実だと思う。

単に暴力描写や残酷描写が観たいわけではないのだ。そうではなく、そうした行為や、悪事を犯さずにいられない人たちの人間関係やその行く末などを擬似的に体験することが、俺には必要なのである。

思うにそれは、そういうことができる、世のルールから逸脱して生きられる人間に対する羨望がありつつも、その道を選ばない自分を肯定したいからなのであろう。

善悪の基準を介入させない

俺は自分が常識人だと思うし、日々を常識的に生きていると思う。かといって、善人ではない。もちろん悪人でもない。ただのボンクラ中年だ。でも、できるだけ他人を傷つけずに生きたいと思っている。何かにおいて、他人の役に立つようなことができればとも思う。

だが、自分本位に生きたいのも確かなので、なかなか人に感謝されるようなことはできない。世の中で生きるには常識だとかルールに縛られて生きる必要がある。俺はどちらかというと、それらに忠実に生きている。だから、そこから逸脱できる人間に憎しみを感じるときもある。だが、そうした逸脱して生き方ができる人を、うらやましくも思う。

悪いとされることを悪いとわかっていてやれる。これはすごいことだ。悪いとされることを悪いとは思わずにできる。これもすごいことだ。そもそも、自分のやりたいようにしか生きない。そこに善悪の基準を介入させない。そうやって生きられる人はもっとすごい。

善悪の基準を介入させないで生きていたい。しかし、俺には無理だ。言葉を使っているから。言葉を超えて生きられない限り、善悪の彼岸には生きられない。何を言っているのかわからないと思うが、超人的な悪人、真の悪人は悪をなすことを悪と思わないのである。単なる行為なのだ。ただの動きだ。それだけだ。

社会から逸脱して善悪の彼岸に生きる

本来、個人としての人間はそういうふうに生きるものだ。しかし、他者と共に生きるにあたって、相互扶助のためにルールが生まれる。それが社会だ。真の悪人は、社会に生きない。社会の中にあっても、社会から逸脱している。そんな存在になれたら、いいと思う。

なぜ俺が悪にあこがれるのかというと、つまり、善悪の彼岸に生きたいと思うからである。もちろん、そんなことは無理だ。繰り返しになるが、それは言葉を使って生きているからである。

ね、こんな意味のわからん飛躍すら感じる論理的でないことを長々説明されても、困るでしょ? だからこれをもう少し省略して言いたいんだけど、そんな話術もなければ知能のもない。そして、そういう能力があれば、こんなこと書きはしないのだ。

愚にもつかない話を閲覧してくれて、本当にありがとうございます。

善悪を超えた言葉を獲得するために、みんな人間であることをやめよう。

蛇足だが、このブログのカテゴリに「バイオレンス」の項目を最初につくらなかったことを後悔している。タグもそうだが、このブログは分類が狭いというか、端的に言えば閲覧者に不親切だ。いつか修正できればと思いつつ、時間を割くのがなかなか面倒なのである。

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