夜に生きる
1920年以降のアメリカで起こった出来事もかなり出てくるので、アメリカの歴史的なことに対する知識が深いと、より楽しめるんだろうと思う。とはいえ、その辺の知識はなくても別に問題はない。個人的には、このブログにテーマに関わる内容が描かれていると思った。ネタバレすこしだけ。
―2017年公開 米 129分―
解説とあらすじ・スタッフとキャスト
解説:デニス・ルヘインの同名小説を、「アルゴ」のベン・アフレックが監督・脚本・主演を務め映画化。禁酒法時代のボストン。警察幹部の息子ジョーは、父への反発からギャングの世界に入りこんでいく。ある日、ボスの愛人エマと恋に落ち、ジョーの人生は激変する。出演は、「マレフィセント」のエル・ファニング、「ハリー・ポッター」シリーズのブレンダン・グリーソン、「アルゴ」のクリス・メッシーナ、「アメリカン・スナイパー」のシエナ・ミラー、「アバター」のゾーイ・サルダナ、「ザ・タウン」のクリス・クーパー。製作はレオナルド・ディカプリオが務めた。(KINENOTE)
あらすじ:1920~30年代の禁酒法時代のアメリカ・ボストン。ボストン警察の幹部を父親に持ち、厳格な家庭に育ったジョー(ベン・アフレック)は、父に反発して仲間と強盗を繰り返していた。街ではギャングの2大勢力が対立していたが、誰にも支配されたくないジョーは組織に入る気などなかった。しかし、一方のボスの愛人エマ(シエナ・ミラー)と出会い、恋に落ちる。欲しいものをすべて手に入れるには、ギャングとしてのし上がるしかない。こうしてジョーの人生は激変するのだった……。(KINENOTE)
監督・脚本:ベン・アフレック
原作:デニス・ルヘイン:(「夜に生きる」(早川書房刊))
製作:レオナルド・ディカプリオ/ベン・アフレック 他
出演:ベン・アフレック/エル・ファニング/ブレンダン・グリーソン/クリス・メッシーナ/シエナ・ミラー/ゾーイ・サルダナ/クリス・クーパー
ネタバレ少し感想
犯罪組織を描いた作品が好き
俺は犯罪者とか、犯罪組織を描いた映画が好きなので鑑賞した。どうしてそういう映画が好きなのかは別の記事で紹介したので、興味がある方はそちらを読んでください。
こちら↓
昼ではなくて、夜に生きる
この映画の主人公、ジョー(ベン・アフレック)は第一次世界大戦に従軍した経験を持っている。で、そこでの体験を経て世の中の理不尽さ、不条理さを知る。で、まじめに生きるのがあほらしくなって(たぶん)、アウトローとして人生を送ることを決めるのだ。
タイトルの『夜を生きる(Live By Night)』てのは、日のあたらない裏社会で生きることを示しているんだと思われる。
では、ジョーは何の犯罪をして糊口をしのぐのかというと、強盗をするのである。町を牛耳る犯罪組織をつくったり、もしくはそれに属したりすることは望んでいない。彼は誰の下にもつかない、支配されない人生を送りたいのだ。
ジョーのよいところ、その1
ここら辺は、ジョーに対して個人的に好感を持ったポイントの1つである。彼は自由でいたい。何者にも縛られずに生きたい。だから組織には入らないのだ。仮に組織で出世しても、面倒がいっぱいあることをわかっているのである。
恋は不自由だ
ところが、ある女性に惚れちゃったことで運命が変わる。彼はその女性と関係を持ったことで刑務所に入ることになり、出所してからは組織の中で働くことを決めるのである。
という意味では、惚れた女性に自由を奪われてしまった男の話なんでありますな。
出所後のジョーは、イタリア系マフィアのボスから与えられたシマを順調に拡大していく。その間にはKKKが登場したり、警察の部長(だったと思う)や、その娘との関係が描かれたりするのだが、その辺は個人的にどうでもよかった。ちなみに、出所するまでの父親との関係もどうでもよかった。どうでもよかったのであまり詳しく述べたいことがない(笑)。
ジョーのよいところ、その2
それよりも、主人公に好感を持ったポイントの2つ目について述べる。彼はいろいろあって、関わりのあった2つの組織のそれぞれのボスと戦うことになる。そして、彼はその戦いで勝利を収め、生き延びる。ではその後はどうするのか。
彼は長年苦楽を共にした友人に、組織の全権を譲るのである。なんで彼はそんなことをするのか。普通の人間だったら、さらに大きな権力を手に入れるチャンスなんだから、それをフイにするようなことはしないだろう。ところが彼は、何の未練もなく、あっさりとそのチャンスを手放す。
なぜそんなことをするのか。それは、彼が権力を握ることのアホらしさを知っていたからである。作中では2度、彼女の奥さんが彼に言って聞かせる台詞がある。それは、「権力者を倒してその立場を得ても、その次の相手が云々~」というような意味の言葉だ。
彼は奥さんが言わんとしていたことをよく理解していたし、自分自身もそのゲームにはまり込むこと良しとしていなかった。それよりも、彼は再び、自由になりたかったのだろう。
ジョーの処世術を実人生に置き換える
上述した、ジョーに好感を持った2つのポイント、彼の処世術を自分の人生に置き換えて考えてみる。
1つ目の「組織に属さない、支配されないで生きる」ことは、普通の社会生活を営む上では、物理的にかなり難しいことだ。でも、大事なのは心である。意思である。
組織に属していても、自分の大事だと思うことを曲げないとか、長いものに巻かれるにしても、自分がその長いものに染まらないとか、自分の選択する事柄に責任を持つとか、周りに流されず、一人になることを恐れない強い気持ちが必要なのである。ジョーはそういう強さを持つ人間なのである。
そして2つ目のポイントは、「権力者にならない」ということ。これを自己流に解釈するなら、権力者になること、出世することを目指すのではなく、何かの目的を達するためにがんばっていたら、そうなっていた―ーという状況になることだ。
そして、仮に何がしかの権力を得ることがあっても、驕らず謙虚に、いつでもその立場を捨て去るつもりで生きたほうがいい――という考え方。
ジョーは人生半降りを実現したかったのだ
個人的には、ジョーは自分が幸せに生きるために、上記のような信条をもって生きてきた人なのだと思った。そして、奥さんをなくすことにはなるが、ラストの彼はおおむね、その思いを実現できているように見える。
てなことでこの映画、実は本ブログのテーマである、人生を半分降りる生き方の一例を示してくれているのである。
自分ができるだけそうしたいと思っている生き方をしているんだから、俺がジョーに好感を持ったのは、当然といえば当然なわけですね。ちなみに、作品そのものとしては、事前の期待ほどには面白くもなかった(笑)。
それでも、犯罪ものの映画が好きな人は、鑑賞して損はない映画だと思います。
人生を半分降りる生き方については、こちらの中盤あたりを参照ください↓
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