マンチェスター・バイ・ザ・シー
好みが分かれるのは当然だけど、素晴らしい映画だと思いました。辛すぎる現実を乗り越えることができないでいた主人公は、物語を通して再生することができるのか――。大きな展開は何もない映画だけど、そこがいい。ネタバレあり。
―2017年 米 137分―
解説とあらすじ
解説:第89回アカデミー賞主演男優賞、脚本賞を受賞したヒューマンドラマ。ボストン郊外でアパートの便利屋として働くリーは、突然の兄の死で故郷マンチェスター・バイ・ザ・シーに戻る。リーは16歳の甥パトリックの後見人となり、過去の悲劇と向き合うことに。監督・脚本は、「ギャング・オブ・ニューヨーク」脚本のケネス・ロナーガン。出演は、「インターステラー」のケイシー・アフレック、「オズ はじまりの戦い」のミシェル・ウィリアムズ、「キャロル」のカイル・チャンドラー、「ゼロの未来」のルーカス・ヘッジズ。製作は、「ボーン・アイデンティティー」シリーズの俳優マット・デイモン。(KINENOTE)
あらすじ:アメリカ・ボストン郊外でアパートの便利屋として働くリー・チャンドラー(ケイシー・アフレック)。ある日、一本の電話で、故郷のマンチェスター・バイ・ザ・シーにいる兄のジョー(カイル・チャンドラー)が倒れたことを知る。リーは車を飛ばして病院に到着するが、ジョーは1時間前に息を引き取っていた。冷たくなった兄の遺体を抱き締めお別れをしたリーは、医師や友人ジョージと共に今後の相談をする。ジョーの16歳の息子で、リーの甥にあたるパトリック(ルーカス・ヘッジズ)にも父親の死を知らせるため、ホッケーの練習をしている彼を迎えに行く。見知った街並みを横目に車を走らせながら、リーの脳裏に仲間や家族と笑い合って過ごした日々や、美しい思い出の数々が浮かび上がる。リーは兄の遺言を聞くため、パトリックを連れて弁護士の元を訪れる。ジョーがパトリックの後見人にリーを指名していたことを知ったリーは絶句する。弁護士は遺言の内容をリーが知らなかったことに驚きつつ、この町に移り住んでほしいと告げる。弁護士の言葉でこの町で過ごした記憶が鮮明によみがえり、リーは過去の悲劇と向き合わなくてはならなくなる。なぜリーはこの町を出ていったのか? なぜ誰にも心を開かずに孤独に生きるのか? リーはこの町で、パトリックと共に新たな一歩を踏み出すことができるのだろうか?(KINENOTE)
予告動画とスタッフ・キャスト
(シネマトゥデイ)
監督・脚本:ケネス・ロナーガン
出演:ケイシー・アフレック/ミシェル・ウィリアムズ/カイル・チャンドラー/ルーカス・ヘッジズ/カーラ・ヘイワード
感想
静かで大きな展開は何もないけども、最後まで物語世界の中にドップリ浸かれるお話でした。いつもB級的なヘンテコ映画ばっかり観てるけども、実はこういう作品を観てカタルシスを覚えるというか、前向きな気持ちになれるというか、ともかくさしたる希望も救いもない中で、物語中の人物たちがそれでも生きていくのだ――的な話は好き。
ネタバレ感想
主人公の性格は好きになれないが
ケイシー・アフレック演じる主人公のリーは、暗くなっちゃう前の人間性も個人的にはあまり好きではない。友だちにはなりたくないタイプだ。だから暗くなっちゃった後はなおさらなんだけども、ああいう性格の奴だからこそ、自分の過失によって立ち直れなくなってしまったんだなぁと思わされる。
何でかというと、心が壊れる前は、直情径行型で物事を深く考えずに行動できちゃう人に見えるから。人間てそんな簡単に類型化はできないってのを分かっていても、日常的には、歳を重ねれば重ねるほど、そういう見方をして他人を分かったような顔して断罪したり評価してしまったりしてしまうもんだよね。その辺は鑑賞中に反省したんだけども、やっぱり友だちにはなりたくない(笑)。
あの過失は本当に辛いだろうな
で、そんな彼が過去にどんな罪を犯してしまったのかというのが、この物語においてはどうあっても欠かすことができない部分。俺はそれが明かされるシーンを観ていたとき、彼が帰宅してみたら、一家が強盗殺人とかにあっているのかなぁとか思っていた。でも、そんなことではないんだよね。ある意味ではもっと悲惨なことが起きる。彼がビールを買って帰宅してみると、家が火事によって全焼、子どもたちは全員焼死。奥さんだけが何とか生き残っていたのである。
オイオイオイオイ
辛い。辛すぎ。これは無理だよね。子どもがいない俺だって、これは無理だと思いました。だって、その火事の原因はリーの不注意によるものだから。彼の過失だったから。強盗殺人だったら、犯人を憎むことができる。もしかしたら、韓国映画とかにあるように警察の怠慢を憎むことだってできるかもしれない。
でも、あの過失をしてしまっては、リーは自分を責めるしかない。他に責めるところは何もない。だから彼は、警察署で発作的なのか何なのか、ともかく自殺しようとするのである。俺だったらそうするかどうかはわからないけども、ああしたい気持ちはよくわかる。
このシーンは弁護士事務所でリーが甥のパトリックの後見人になるかどうかという会話がされている現在と、過失を犯してしまう過去のシーンが交互に描写されていて、より悲壮感が高まる印象的な場面だなぁと思った。
典型的な成長物語ではないのがイイ
てなことで、普通の映画だったらラストあたりで主人公は過去の辛い思い出を乗り越えて、何か希望のあるラストを見出したりするもんなんだけど、本作ではそうはならない。リーは過去を乗り越えることができずに劇終を迎えるのだ。そのままなのだ。だからこそ、この映画は素晴らしいと思う。
彼は辛すぎる現実を乗り越えられない。そして、その姿が淡々と描かれて終了する映画なのだ。これがいいのだ。リアルだ。
フィクションの良さって、現実で自分ができないことをやってのけるような主人公を観てスカッとしたり、自分では体験できないような出来事を物語中で疑似的に体験できるところに一つの良さがあると思う。
でもこの映画では、現実の辛さを辛いままに、主人公が何も成長できず、過去を振り切れないままにしている。でも、そういうもんじゃないだろうか。そのやり切れなさが、イイのではないだろうか。そんなものをわざわざ映画で観たくないって人もいるのは分かる。だけど俺は、辛いことを辛いままにして、その辛さを抱えて生きざるを得ない主人公を描いたこの映画を、本当に素晴らしいと思いました。
壊れた心は癒せない
だけど、リーは本当に気の毒だよね。自分の過失だったから仕方ないとは言え、あるシーンで言われるように、本当に心が壊れてしまっている。再婚して新しい子どもをつくった元奥さんと偶然再会した彼は、元奥さんから涙ながらの謝罪を受ける。元奥さんは、あの過失を犯した直後、彼を罵り続けたことを謝るのだ。でも、リーはそれに何も答えられない。そして、何も聞きたくないし、その場にいることすらできないくらいに辛くなってしまうのだ。
本当に哀しくて辛いけど、俺はあのシーンも非常に素晴らしいと思った。リーのかたくなさにイライラしなくもないんだが、他人がどうこう言えることではないんだよね。元奥さんは元奥さんで、とてもイイ人なのだ。そしてだからこそ、リーは余計に辛くなってしまうのだろう。
リーはきっと、死ぬまであの壊れた心で生きざるを得ない。ただ一つの希望は、パトリックという若者がいること。リーはきっと死ぬまで彼と、つかず離れずの関係を続けるのだと思う。それだけが彼の、救いにはならないとしても希望のある瞬間なのかもしれないと思った。
リーは人生を、ほぼ全部降りている
で蛇足ついでに書いておくと、このブログのタイトルかつテーマになっているのが、人生を半分降りるーーということだけども、この作品の主人公は人生を、ほぼ全て降りてしまっているように見えた。
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