タンポポ
―1985年公開 日 115分―
解説とあらすじ・スタッフとキャスト
解説:タンクローリーの運転手が、さびれたラーメン屋の美しい未亡人に惹かれるまま、そのラーメン屋を町一番の店にするまでを、奇想天外の食物がらみのエピソードを混ぜて描く。脚本、監督は「お葬式」の伊丹十三、撮影は「火まつり」の田村正毅がそれぞれ担当。(KINENOTE)
あらすじ:雨の降る夜、タンクローリーの運転手、ゴローとガンは、ふらりと来々軒というさびれたラーメン屋に入った。店内には、ピスケンという図体の大きい男とその子分達がいてゴローと乱闘になる。ケガをしたゴローは、店の女主人タンポポに介抱された。彼女は夫亡き後、ターボーというひとり息子を抱えて店を切盛りしている。ゴローとガンのラーメンの味が今一つの言葉に、タンポポは二人の弟子にしてくれと頼み込む。そして、マラソンなど体力作り、他の店の視察と特訓が始まった。タンポポは他の店のスープの味を盗んだりするが、なかなかうまくいかない。ゴローはそんな彼女を、食通の乞食集団と一緒にいるセンセイという人物に会わせた。それを近くのホテルの窓から、白服の男が情婦と共に見ている。“来々軒”はゴローの提案で、“タンポポ”と名を替えることになった。ある日、ゴロー、タンポポ、ガン、センセイの四人は、そば屋で餅を喉につまらせた老人を救けた。老人は富豪で、彼らは御礼にとスッポン料理と老人の運転手、ショーヘイが作ったラーメンをごちそうになる。ラーメンの味は抜群で、ショーヘイも“タンポポ”を町一番の店にする協力者となった。ある日、ゴローはピスケンに声をかけられ、一対一で勝負した後、ピスケンも彼らの仲間に加わり、店の内装を担当することになった。ゴローとタンポポは互いに魅かれあうものを感じていた。一方、白服の男が何者かに撃たれる。血だらけになって倒れた彼のもとに情婦が駆けつけるが、男は息をひきとった。--やがて、タンポポの努力が実り、ゴロー達が彼女の作ったラーメンを「この味だ」という日が来た。店の改装も終わり、“タンポポ”にはお客が詰めかけ、行列が続いた。ゴローはタンクローリーに乗ってガンと共に去っていく。(KINENOTE)
監督・脚本:伊丹十三
出演:山崎努/宮本信子/役所広司/渡辺謙/桜金造/安岡力也/大滝秀治/松本明子/竹内直人/橋爪功/洞口依子/津川雅彦
ネタバレ感想
食べ物にまつわるエピソードを描写することで、さまざまな人間の人生を描いた人間ドラマ。軸になるタンポポのラーメン修行エピソード以外も、すべては食べることや食材がキーワードになっており、それぞれの人間の食べ物に対する関わり方を描くことで各人の人生への思いなどを想起させる内容になっている。
ーーという感想だと随分堅いけども、要するにこれは現代的な言い方をするならまさに「飯テロ映画」である。出てくるご飯とそれを食す役者たちの描写が素晴らしく、どれもおいしそう。俺は映画中のご飯を食べるシーンがけっこう好きで、食事シーンがおいしそうに撮れてれば良作だと思ってしまうほどに、食事シーンが好きなのだ。
で、この作品はともかくずっと誰かが何かを食っているのであり、そしてそれが全ておいしそうなので、悪い映画のわけがない(笑)。伊丹十三作品の中でも、好きなものの一つだ。
それぞれに語られる短いエピソードの中でも面白いのは、会社のお偉方たちが集まった食事シーンと、その後に続く食事マナー講座の場面だ。後者は外人のやり方に釣られてマナーもへったくれもない食べ方をしてしまうご婦人方とマナー講座の先生のそれが描かれる。この作品では冒頭の役所広司が演じる謎の男が公共の場=映画館で飲食をするマナーについて言及する場面もあり、食事マナーの大切さを言っているのかもしれないが、俺はそうは観えなくて、特にお偉方の食事とマナー講座のところは、日本人の主体性のなさが皮肉られているように感じた。
マナーについて言うなら、TPOをわきまえた行動はある程度必要と思うものの、やっぱりご飯はおいしく食べたいわけで、食べ方なんてどうでもいいじゃんかと感じてしまったのは、俺の育ちが悪いせいか(笑)。
ともかく、そうした食にまつわるエピソードを軸に、本編のストーリーではゴローとピスケンのちょっとした友情や、タンポポとゴローの淡い恋模様などが挿入される。まさにラーメンを巡って彩られる人間模様だ。
今こうしてこの作品を見返してみると、ゴローの立場はラーメン屋再生コンサルタントみたいなもので、彼の人脈を使ってさまざまに人の輪が広がり、来々軒をタンポポという新しい店舗へと生まれ変わらせる過程が描かれるのだ。
のだーーとか偉そうに言ってて、それが何なんだと突っ込まれたらそれ以上に述べたい感想はない(笑)。ともかく、鑑賞してるとラーメンが食いたくなる、飯テロ作品の決定版である。
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