そして友よ、静かに死ね
実在したギャングの自叙伝をもとに製作された作品らしい。オリヴィエ・マルシャル監督らしく、非常に男汁満載のハードボイルドな内容である。にしても、友情に厚い男って考えようによっては、迷惑この上ないわな。カッコいいけど。ネタバレあり
―2012年公開 仏 102分―
解説とあらすじ・スタッフとキャスト
解説:1970年代初頭のギャング、エドモン・ヴィダルの自叙伝『さくらんぼ、ひとつかみで』を基に、当時の事件とフィクションを織り交ぜて描く犯罪サスペンス。監督は、「あるいは裏切りという名の犬」のオリヴィエ・マルシャル。出演は、「この愛のために撃て」のジェラール・ランヴァン。第20回フランス映画祭出品作品。(KINENOTE)
あらすじ:伝説のギャングとして一時代を築いたエドモン・ヴィダル、通称モモン(ジェラール・ランヴァン)は還暦を迎え、かつての仲間や愛する妻ジャヌー(ヴァレリア・カヴァーリ)、息子、孫たちと静かに暮らし、昔の自分を忘れようとしていた。しかし、心穏やかな日々を送っていたモモンの元に、かつて一緒に派手な強盗事件を繰り返した親友セルジュ(チェッキー・カリョ)が13年の逃亡の末、暴力団担当刑事ブロナー(パトリック・カタリフォ)に逮捕されたという知らせが届く。実刑が確定すれば、死ぬまで刑務所暮らしはまぬがれない。モモンは妻との約束を守るため自業自得だと言い放つが、子供時代のセルジュの顔が脳裏に浮かぶ。モモンはロマというジプシー出身でいじめられていたが、それを助けたのがセルジュだった。1964年、2人は遊び半分でさくらんぼを盗み、一緒に半年の禁固刑になった。モモンは苦悩するが、長年の親友を救う決意する。彼は再び危険な道に足を踏み入れ、衝撃の過去が明らかになっていく。(KINENOTE)
監督・脚本:オリヴィエ・マルシャル
原作:エドモン・ヴィダル:(「さくらんぼ、ひとつかみで」)
出演:ジェラール・ランヴァン/チェッキー・カリョ/ダニエル・デュバル/ディミトリ・ストロージュ/オリビエ・シャントロー
ネタバレ感想
モモンが渋い(初老のほうのみ)
エドモンド・ヴィダル、あだ名はモモン。彼を演じた役者のジェラ―ル・ランヴァンて人が、ともかく渋い。若い頃のモモンを演じた人は正直微妙だったが、ジェラール氏はともかくイカす。脇を固める初老の役者たちも、これまた渋い。
適当なネタバレあらすじ
モモンは少年の頃、セルジュに助けてもらったこともあり、それ以来の親友だ。彼らはその後、強盗を繰り返すギャングとなり、裏社会でのし上がっていく。ところが、あるとき、モモンはセルジュや仲間たちとサツに逮捕され、ムショ暮らしを余儀なくされる。
そして出所後、モモンは足を洗う決意をした。そのうちセルジュとは疎遠に。その他の仲間たちとは、家族のような関係を保っている。平穏に暮らしているうちに、彼らは孫を持つほどの年齢になっていた。
ところがある日、モモンは警察から逃亡を続けているセルジュがサツに逮捕されたことを知る。逃亡中のセルジュの妻と息子の暮らしはモモンが支えていた。なぜならセルジュは親友だからだ。しかし、セルジュはサツに捕まった。昔の仲間たちはセルジュを助けようとモモンをうながす。
モモンは迷いながらも、セルジュを助け出すことを決意する。――なぜなら奴は、親友だからだ。
モモンたちは無事、セルジュを助け出した。しかし、そうなると当然、警察にマークされることになる。そして、セルジュをかくまい続けていたことで、彼を追っていたギャング、ゼルビブとも不穏な関係になってまう。
ゼルビブはどうも、セルジュに煮え湯を飲まされるようなことをされているらしい。モモンはそれとなくセルジュに何があったかを聞こうとするが、セルジュは応えない。モモンも深くは追求しない。なぜなら、奴を信頼しているので。親友だからだ。
でその後、彼らはどうなったのかという話。
オリヴィエ・マルシャル監督と言えば
『あるいは裏切りという名の犬』が有名だ。俺も鑑賞したことがある。あれも確か実話をもとにした物語だったと思う。かなりいい作品だった。面白い。もう1つ、『やがて復讐という名の雨』も観たことがある。こっちは正直、印象に残っていない。
本作の邦題はこれでいいのだろうか
で、今作。上にも書いたように、モモン演じる役者が渋い。そこはいい。だが残念なのは、物語序盤くらいで邦題がネタバレしまくりなことがわかってまうことだ。どうしてわかってまうかというと、セルジュが怪しすぎるのである(笑)。何でこんな奴をモモンは頑張って助けようとしているのかがわからないくらい、セルジュは怪しい。
だからラスト近くでモモンが、セルジュがクズ人間であったことを知るシーンに、あまり悲壮感がないのである。これはあくまで俺の個人的印象であるが、ともかく、なんでモモンがあそこまでセルジュのために動いてやるのか、意味わからんのだ。
穿った見方をすれば、モモンはセルジュの本質を知りたくないので親友であることを盾に本当のことを探ろうとしない、臆病なバカ野郎に観えてしまうのである。そこがマイナスポイントであった。
そこを深く考えないようにすれば、モモンは筋が通ったかっこいい男である。だが、そのわがままのせいで、家族に迷惑をかけていることも確かだ。
やはり、犯罪者は恋人や家族を持ってはならぬのである。そこまで徹底してこそ、真のハードボイルである。と、俺は思う。モモンは足を洗ったわけだが、洗ったのなら、二度と足を汚さない覚悟が必要だったのであろう。――なぜなら奴は、親友だからだ。という思いすら捨てなければならないのである。
犯罪は一人でやるべき↓
犯罪者はこうあるべき↓
恐ろしいギャングたち↓
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