ハーモニー(2015)
伊藤計劃原作ということで、『虐殺器官』に続いて鑑賞。やっぱこの原作者は言葉について何か一家言あるように感じる内容であった。ネタバレあり
―2015年公開 日 120分―
解説とあらすじ・スタッフとキャスト
解説:2007年に鮮烈なデビューを果たしたものの34歳の若さで他界した作家・伊藤計劃のSF小説および共著をアニメ映画化する『Project Itoh』の一作。本作では伊藤計劃の2作目にして第40回星雲賞(日本長編部門)および第30回日本SF大賞受賞を受賞した長編作品を、「ベルセルク 黄金時代篇」シリーズを手がけたSTUDIO 4℃のアニメーション制作により映画化。極度に健全な社会に抵抗する女性を描く。監督はテレビアニメシリーズ『ファンタジックチルドレン』のなかむらたかしと「鉄コン筋クリート」のマイケル・アリアス。フジテレビの深夜アニメ放送枠『ノイタミナ』が展開する劇場版アニメとして制作された。(KINENOTE)
あらすじ:世界規模で混乱に陥った『大災禍』の後、反動により極端なまでに健康と調和を求める超高度医療社会に移り変わっていった。そんな偽りの世界に反発した御冷ミァハは、彼女のカリスマ性に魅せられた二人の少女とともに、抵抗を示すために自殺。13年後、ミァハと自殺を図ったものの生き残った霧慧トァンは、戦場の最前線で平和維持活動をしていた。そんなある日数千人もの犠牲者を出す事件が起き、世界に激震が走る。犯行グループの声明の中に死んだはずの御冷ミァハの面影を見たトァンは、真相を探るべく立ち上がる。(KINENOTE)
監督:なかむらたかし/マイケル・アリアス
原作:伊藤計劃
出演(声):沢城みゆき(霧慧トァン)/上田麗奈(御冷ミァハ)/洲崎綾(零下堂キアン)/榊原良子(オスカー・シュタウフェンベルク)/大塚明夫(アサフ)/三木眞一郎(エリヤ・ヴァシロフ)/チョー(冴紀ケイタ)/森田順平(霧慧ヌァザ)
ネタバレ感想
この作品が原作にどこまで忠実かはよくわからんが、調べたところによるとラストの描写の仕方が異なるらしい。
ともかく描かれてるように感じたのは、管理社会が行きつくところまで行ったように見える世界=ユートピア=ディストピア(どちらにも解釈可能)を舞台に、意識ある人間が持たざるを得ない、善と悪という倫理観の呪縛についてだ。
この物語で興味深いのは、ミァハという少女。ラストのほうで明らかになるのは、彼女は少数民族出身らしく、なんでもその民族には、意識がなかったらしい。で、奴隷のように扱われて苦痛を感じる中で、後天的に意識が生まれたんだとか(確か)。
意識がないってことは、言葉をつかえないというか、その概念を持たない存在でないといけない俺は思うんだが、その辺は描かれてないからよくわからない。いずれにせよ、そうした人間が図らずも意識をもってしまったことで、善悪の概念が生まれる。
ミァハは慰み者にされる境遇から脱して日本に移住することになったわけだが、言葉を知ったことで今度は善悪の概念に苦しめられることになる。日本に住むようになって、暴力による支配からは逃れたものの、思いやりや気遣いなどが駆使される、善意の世界に息苦しさを感じていたようだ。
で、最終的に彼女は、人類全体を意識を持たない存在に変えていこうとする。それは、ある意味では一人の人間としては死ぬことを意味しているわけだから、人類滅亡計画と言えなくもない。俺はそう解釈した。
この作品で描かれるような管理社会も嫌だけども、自分が意識を持たずに生きる世界を幸せと思える人は、どれだけいるんだろうねぇ。トァンの親父が潜伏してたような管理が行き届かない世界があるなら、俺はそっちの世界で生きることを選ぶだろうと思った。要するに、それは今の社会と似たような場所だ。
善悪を超えた言葉を獲得するために、みんな人間であることをやめよう。
善悪の基準とか、常識とか、それらをつくる言葉と、それによって成り立つ世界(社会)の不思議さについて。いくつかの記事
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