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映画『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊(1995)』ネタバレ感想 私的な疑問を考える

GHOST IN THE SHEL
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GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊

この映画は自分の私的な疑問を紹介するのに、非常に便利な内容である。なので、作品についてと言うよりは、内容から考えた私的な考えを述べます。ネタバレはあり。

―1995年公開 日 80分―

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解説とあらすじ・スタッフとキャスト

解説:近未来の超高度情報化社会を背景に、公安警察の特殊部隊・攻殻機動隊が国際的なハッカー・人形使いと対決していく様を描いたSFアクション・アニメ。監督は「機動警察パトレイバー2the Movie」の押井守。原作は士郎正宗の同名人気マンガ。脚色は「ガメラ 大怪獣空中決戦」の伊藤和典。イギリスのビデオ製作会社も出資し、日・米・英で同時公開された。(KINENOTE

あらすじ:2029年、企業のネットが星を被い電子や光が駆け巡っても国家や民族が消えてなくなるほど情報化されていない近未来。場所は、アジアの一画にある企業集合体国家。通信ネットワークの飛躍的な進歩と人体のサイボーグ化とに伴う電脳犯罪の高度化・複雑化にしたがい、政府は、荒巻部長を責任者、サイボーグの草薙素子少佐を隊長とする非公然で首相直属の特殊部隊・公安9課=通称攻殻機動隊を誕生させた。草薙たちは公的機関で対処できない犯罪に対し、暗殺などの方法で処理していった。その9課に、不特定多数の人間の電脳に侵入して自在に操り犯罪を重ねる、正体不明の国際的ハッカー人形使いがこの国に現われると警告が発せられる。人形使いはまず秘密会談を控えた外務大臣の通訳の電脳に侵入してきた。事態を重く見た9課は侵入回線を逆探知し、草薙・バトー・トグサらが犯人逮捕に向かうが、犯人らしいその男も人形使いに操られた傀儡に過ぎなかった(以下略)(KINENOTE

監督:押井守
原作:士郎正宗
出演(声):田中敦子-草薙素子/家弓家正-人形使い/大塚明夫-バトー/山寺宏一-トグサ/玄田哲章-中村部長

ネタバレ感想

私的な疑問について

押井守監督の作品では、本作の続編となる『イノセンス』は10年くらい前に鑑賞している(内容忘れちゃったけど)。で、本作と『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』は未見なのでいつか観たいと思いながらも長年放置していたんだが、ようやく本作を鑑賞した。

なんで上記の作品を観たい、もしくは観ていたかというと、私的な疑問を考えるのによさそうな内容だと思っていたから。私的な疑問というのは簡単に言うと、自己の存在のあり方の不可思議さについて。他作品の記事でも何度か触れてきたが、そのことを考えたり紹介したりするのに、時間移動を扱った作品や、クローンやアンドロイド、AIなどが登場する作品は便利なのだ。なぜなら、主人公たちの状況を説明することで、自分の考えていることを伝えやすいから。興味がある方は、記事末で紹介する別作品の感想を読んでもらえれば。

てことで、本作から感じたことを書く。書くけど、原作は未読だし、この作品の細部に詳しいわけではないので、物語設定について間違えた理解をしている可能性はある。あくまで、作品を通じて俺が考えたことの紹介です。

記憶こそが、自分が自分であることを裏付けるのか

この物語の登場人物のほとんどが、身体をサイボーグ化しているらしい。中でも主人公の草薙素子は、残っているのが脳みそと脊髄くらいなもので、あとは全部、人工のパーツでできているようだ。サイボーグ人類は身体とネットをつなぐことができる。それによって得られる恩恵はいろいろあるようだが、逆に自分の脳がハッキングされるリスクも。

実際に物語中で脳をハッキングされた人が、自分の記憶を上書きされ、その上書きされた記憶こそが自分が真に生きている人生であると思わされている描写がある。思わされているというか、その男にとっては上書きされた人生こそが真なのだ。そうであらざるを得ない。しかし、その記憶の細部を思い出すことができない。

よく考えてみると現実の俺も、記憶を上書きされてしまった男とさほど変わらぬ人生を生きていると言えそうだ。あいまいな過去の記憶にたよって自分のアイデンティティを維持しているわけだから。

物語中の素子のセリフに「人間は記憶があってこそ、自己を自己と疑わずに生きていられる(うろ覚え)」というようなものがある。確かにそういう部分はあるだろう。記憶がないと、自己の同一性を保てないだろうし、保てないとするなら、自分が誰だかわからなくなっちまうので、確固たる自分なんてものはなくなってしまいそうだ。というか、もとからそんなものはないのかもしれない。

記憶がなくても、存在はできる

この場合の自分がなくなるとは、例えば、草薙素子がいなくなるという意味であり、草薙素子と呼ばれた存在がいなくなっているわけではない。簡単に言えば、記憶があるけども、記憶喪失になっているような状態か。

仮に俺が記憶喪失に陥った場合、俺は自分が何者なのかがわからなくなるだろう。しかし、自分が何者かはわからなくても、生きて存在していることに疑いは持たないだろう。なぜなら、自分が誰だかわからなくても自己意識があるので、「俺は生きている。存在している」と思えるわけだから。

これはある意味ではデカルトの「我思う、ゆえに我あり」と同様のことを言っていると俺は思う。

言語により存在を確認する

記憶喪失でも言葉は使える

では、自分が存在している――と思えるのはなぜなのか。それは、自分が言葉を使えるからではないか。実際に記憶喪失になった人に会ったことがないのでようわからんが、様々な物語作品を通じて考えるに、記憶喪失になった人でも、言葉は喋れて、他人とコミュニケーションが取れている。つまり、単語や、言葉の使い方は忘れていないのである。そして、言葉を使って物事を考えられている。だからこそ、自分が存在していることを疑わずにいられるのだ。

主人公の草薙素子は、自分のアイデンティティが揺らいでいることに悩んでいたようだ。そして、人形使いと呼ばれる、人ならぬ存在に興味を持っていた。

その人形使い。こいつはどうやら、人工知能であり、人間に作られた存在らしい。しかし、きちんと自己意識を持っている存在なので、この世界に住む人間たちとさして変わらないあり方をしている存在だ。特に、身体のほとんどがサイボーグの素子とは。だからこそ、お互いに通じる何かがあったのだろう。

ゴーストは何により発生するのか

この作品ではゴーストという言葉が頻出するが、その概念は、上述してきた「自己意識」と理解するのが近いようだ。つまり、仮に記憶喪失になっても自分を認識できる、自己の存在を認識できるもののこと。

では、ゴーストはどのように発生するのだろうか。個人的にはそれは、言葉を理解し、使えるようになった存在であれば、誰にでも発生するものであると思う。つまり、人間だろうがロボットだろうが、言葉を使って意思疎通できるのであれば、そこにはゴーストが宿っており、俺たちと全く同等の存在なのである。例えば、ドラえもんやアンパンマンに自己意識がないと思う人はいるだろうか。

言葉を人間と同等に扱える存在には、自己意識がある

現実世界でもそのうちに、AIを搭載した人間のような知性を持つ機械が登場してくるだろうし、クローン人間も製造されるのかもしれない。そのときに、作られし存在たちに人間と同等の倫理観を適用するかが問題になるだろうが、適用するか否かが問題になっている時点で、ある意味では差別的な考えになると思う。なぜなら、同じように自己意識を持っている時点で、人間と同じあり方をしているのだから同等の存在なのだ。つまり、本来なら差別の対象にはならない。

それでも差別は起こる

それでも人間は、そうして作られた存在を、下位のものとして扱いたがるだろう。それはそもそも、人間同士でも差別をしてしまう程度の存在であるから、想像すべくもない。だからこそ、上記のように作られた存在に人間の倫理を適用するかが問題になるのも必然なのだ。

なぜ自己意識を持っていれば、どんな物質で構成され、どんな経緯で生まれたかを抜きにして人間と同等と言えるのかということについては、ここでは触れない。しかしこの作品は、そういうことに思いを馳せるだけの力がある面白い作品だ。

融合とか怖すぎ

もう1つ、ラストで草薙素子は人形使いだったAIと融合する道を選ぶ。そして、さらに上位の存在に姿を変えたようだ。となると、元の素子はどうなってしまったのだろうか。人格は残っているのだろうか。同じく、AIの人格は?

俺が仮に素子だとしたら、AIからのあの申し出は絶対に断りたい。元の自分がどうなってしまうのかわからないからだ。別の人格と融合するなんて、死んでしまうのと同じようなことに思える。

これは別作品の漫画、『ドラゴンボール』でピッコロがネイルや神様と融合(同化)するシーンでも考えたことがある。ピッコロは融合によって規格外の戦闘力を持つに至るが、オリジナルの存在であったピッコロは、最初の融合、つまりネイルとのそれで、消えてしまったと俺は思っている。どのようにも証明しようのないことではあるのだが。

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