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映画『イノセンス』ネタバレ感想 哲学的SFアニメ 原作は『攻殻機動隊』

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イノセンス

この作品は考えるほどにいろいろな奥深いテーマがあると思った。例えば、人間の上位の存在になるとはどういうことか。そして、魂とは何なのかということなど――。てなことで、自分が興味を感じた部分について触れます。ネタバレあり。

―2004年公開 日 99分―

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解説とあらすじ・スタッフとキャスト

解説:近未来の日本を舞台に、かつての仲間で想いを寄せていた女性の記憶を秘めているサイボーグの刑事が、人間と機械の関係性に自問自答し、葛藤しながら、ある真相に迫っていく様を哲学的に描いたSFアニメ。「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」の押井守、制作スタジオ・プロダクションI.Gが再び放つジャパ二メーション。(KINENOTE)

あらすじ:舞台は、人々が電脳化され、声を出さずとも、コンピューター端末を打たなくとも、ネットワークを通じたデジタルコミュニケーションが可能になる一方、肉体の機械化も進み、人とサイボーグ(機械化人間)、ロボット(人形)が共存する、2032年の日本。魂が希薄になった時代である。主人公は、続発するテロ犯罪を取り締まる政府直属の機関・公安九課の刑事バトー(大塚明夫)。彼はサイボーグで、腕も脚も、その体のすべてが造り物。残されているのはわずかな脳と、一人の女性、“素子(もとこ)”の記憶だけ。ある日、少女型の愛玩用ロボットが暴走を起こし、所有者を惨殺する事件が発生。「人間のために作られたはずのロボットがなぜ、人間を襲ったのか」。さっそくバトーは、相棒のトグサ(山寺宏一)と共に捜査に向かう。(中略)バトーは、捜査の過程で様々な、人形(サイボーグ)たちと出会い、<人形>に托された<人類>の想いを繰り返し自問自答することになる。(中略)そんな彼にとってその謎を解く手がかりは、自らが飼っているバセット犬と、素子への一途な想いだけだった。それはバト-が人間として生きている証でもある。そしてその想いこそが、事件の驚愕の真実を明らかにする。(KINENOTE)

監督・脚本:押井守
原作:士郎正宗
出演(声):大塚明夫-バトー/田中敦子-草薙素子/山寺宏一-トグサ/竹中直人-キム

ネタバレ感想

前作観ないとわけわからん

最近ようやく前作を鑑賞したので、その勢いでこちらも観た。10年ほど前にこの作品を観たときは、本当にわけがわからなかった。なので、内容を全く覚えてなくて、今回の鑑賞ではほぼ初見に近い新鮮な気持ちで楽しく観られた。で、いまさら思ったのは、これって前作観てなければ内容を把握するのが極めて困難だってこと。当たり前(笑)。

いずれにしても、前作を含めて完全に好みが分かれそうな作品だなぁと思う。娯楽性を求めると、さほどの盛り上がりはないので。俺は好きだけど。

映像美がすごい

2004年の作品とは思えないほどに現在のアニメ映画と比べても遜色ない映像美であった。というか、だいぶこだわって製作されたみたいだから、この作品のほうが優れている部分もあるのかも。アニメとか映像関係について詳しくないのでよくわからん。ともかく、アニメには見えないリアルな描写もあった。

ハードボイルドです

で、この作品は前作以上にハードボイルドな内容。それは主役が草薙素子からバトーに代わったからというのも大きい。彼は前作でふられた素子のことを忘れられずに日々を過ごしている。感情を表には出さないものの、同僚たちにもそのことは伝わっちゃっている(笑)。

彼は、前作の素子が抱えていた悩みと同じく、全身サイボーグになっていく自分を省みて、アイデンティティの不確かさをより深く感じていたようだ。だからこそ、素子への愛情みたいのが、より増していったのだと思われる。

そういう説明は物語中にはほとんどない。だが、そうした悲哀を持ちながらもやせ我慢的な生き方をしていることを感じさせる内容に仕上がっているところが、ハードボイルドなんである。映画評論家の町山智宏氏がこの作品について、レイモンド・チャンドラーの小説に似た雰囲気があると言っていたが、確かにそうでありますな。

トグサとバトーの対照性

ついでに、一緒に捜査を行う相棒、トグサとのバディ感も出てて、そこも本作の面白みだろう。トグサとバトーは家族持ちか、独身か、生身の肉体が多いか、少ないか――という点で、なかなか対照的な人物だ。その2人の対照性は最後まで失われることなく劇終を迎える。だからと言ってその対照は2人が反目する要素になるわけではなく、むしろ、その対照性がこの作品のテーマと思われる、人間と人形に違いはあるのかってなことを示しているように感じさせる。

素子とゴーストについて考えた

草薙素子は人間ではない

前作で人間をやめて別の存在に進化した素子が、人形の体を借りて登場する。そのときに彼女は、バトーに対して「いつでもあんたのそばにいる」とかいうようなことを述べる。人間より上位の存在になったのに、情は残っていると思わせる描写だが、だからこそ、彼女は「守護天使」と称されるのかもしれない。だが、「今は幸せか」と聞くバトーに対して彼女は「そういう感情は超越した」とも言う。

このセリフはまさに、彼女が人間を越え、固体として生きない普遍的な生命体になったことを示唆しているように感じる。という意味では彼女の言っていることは矛盾しているわけだが、前者のセリフはバトーを気遣って意図的に人間的な言い回しを使ったと考えられそうだ。しかし、それに納得してしまうと、バトーの立場はより切ないものになる。

いずれにしても、素子は人間の上位の存在になったわけで、その存在とはどういうものなのかということを示している意味では、俺がこのブログのテーマの1つにもしている、「善悪を超えた言葉を獲得するために、みんな人間であることをやめよう」というものに対する回答とも考えられた。

↓興味があれば、下記のリンクから記事参照ください

善悪を超えた言葉を獲得するために、みんな人間であることをやめよう

ゴースト(魂)をコピーってどういうこと?

そんな感じで、前作で描かれた内容をもう少し踏み込んで描いたような作品であった。1つだけよくわからんのが、ゴーストをコピーできちゃうところ。マジか。コピーできちゃうのか。

ゴーストは魂みたいなもんらしいが、個人的には、ゴーストはコピーできないと思う。できないというか、できるんだけども、コピーしてもコピーしきらんでオリジナルに残っちゃうものこそがゴーストだと思うのだ

オリジナルに残っちゃうゴーストとは何かについて、詳しくはこちら↓

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ただ、この作品においての定義は違うのかも。だから、俺の解釈(あくまでもこの作品のゴーストについての)が違うのかもしれない。それでも勝手に、自分解釈のゴーストに基づいて考える。

仮にゴーストをコピーしてそのコピーを入れた人形を作ったとしても、オリジナルにもゴーストが残るはず。作中では少女のゴーストをコピーして人形に入れてて、その人形が犯罪を起こしつつ、「助けて」と少女の叫びを代弁していた。

つまり、少女のゴーストが人形に入っているのではなく、コピーされたゴーストが入っているんだから、少女Aと少女Bにゴーストは分かれていると考えられる。ゴーストAとBができている。

しかし、俺はゴーストってのは、そうやってAとBで分けられない、AはAであることしかできない、端的にAであり、つまりBではないといわざるを得ない存在そのものがゴーストだと解釈していたので、このゴーストのコピーとは何をコピーすることなのかよくわからなかったのである。これって、クローンをつくっているのと同じでしょ。

俺が勝手に解釈しているゴーストは、哲学者の永井均先生が哲学している独在性と同じ概念と思われるので、興味がある方は永井先生の著作を読むことをオススメしたい。たぶん、『〈私〉の存在の比類なさ』か、『<子ども>のための哲学』が出発点として理解しやすいと思います。

そんな感じで、なかなか興味深く観られる作品であった。いずれ、同監督の『うる星やつら2ビューティフルドリーマー』も観てみたい。

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コメント

  1. […] […]

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