ミッドナイトクロス
―1982年公開 米 107分―
解説とあらすじ・スタッフとキャスト
解説:フィラデルフィアを舞台に、政治犯罪にまき込まれた音響効果マンが真相究明にのり出すというサスペンス映画。製作はジョージ・リットー、製作指揮はフレッド・カルーソ。監督・脚本は「殺しのドレス」のブライアン・デ・パルマ。撮影はビルモス・ジグモンド、音楽はピノ・ドナジオ、編集はポール・ハーシュ、製作デザインはポール・シルバートが各々担当。出演はジョン・トラヴォルタ、ナンシー・アレン、ジョン・リスゴー、デニス・フランツ、ピーター・ボイデン、カート・メイなど。(KINENOTE)
あらすじ:ジャック・テリー(ジョン・トラヴォルタ)は、B級恐怖映画専門の音響効果マン。今、新作「狂乱の女子学生」のシャワー・シーンで使われる女子学生の叫び声を検討中だ。適当な声が見つからぬまま、風の音を録音しに出かける。その最中に、自動車がパンクし川に転落するのを目撃した。彼は素早く川に飛び込んで、サリー(ナンシー・アレン)という若い女性を救出。自動車にはもうひとり男が乗っていたが、サリーを自動車から出すのがやっとだった。ジャックは病院で男が次期大統領の有力候補であったことを知る。だが、側近に事件のことは忘れろといわれた。サリーとモテルに泊まったジャックは、録音テープを再生し、銃声がするのに気付いた。事件を目撃したというカメラマンのマニー(デニス・フランツ)が撮った写真をニュース雑誌から切り取り、アニメ・スタンドで撮影しテープと同調させてみた。かすかな閃光が銃声と重なることを確信した。旅に出るというサリーを引きとめるジャック。殺し屋バーク(ジョン・リスゴー)がホット・パンツの娘を惨殺する。ジャックは、テープを警察に持っていったが、録音は消されていた。やがてジャックは、マニーとサリーが組んで暴露写真を撮影していたことを知る。真相をTVのニュースキャスターのフランク・ドナヒュー(カート・メイ)に告げることにしたが、その通話を盗聴していたバークがサリーを30番街駅にさそい出す。ドナヒューと名乗って、バークはサリーに近付き、独立歴史館へ連れ出す。自由の日祝典で町は大にぎわいしている。サリーの悲鳴を聞きつけてジャックが駆けつけるが、サリーはすでに殺されていた。バークもジャックと争って死亡。「狂乱の女子学生」のシャワー・シーンの悲鳴に、サリーの断末魔の叫びが使われる。「いい悲鳴だ」と喜ぶプロデューサーに、ジャックはうなずく。(KINENOTE)
監督・脚本:ブライアン・デ・パルマ
出演:ジョン・トラヴォルタ/ナンシー・アレン/ジョン・リスゴー
ネタバレ感想
変態監督、ブライアン・デ・パルマ先生の作品。俺はデパルマ作品は『カリートの道』とか『アンタッチャブル』とか『スカーフェイス』などのギャング映画的なのが好きなので、彼の変態覗き見趣味的な…というような感想は前に、同監督の『ファントムオブパラダイス』の記事で書いたので、やめておく(笑)。
で、その記事でこの作品については普通、と俺は述べてるけども、今回10年ぶりくらいにDVDを引っ張り出して鑑賞してみたら、けっこう素晴らしい作品なんではないかと思った。なんではないか、ではなく、いい作品だ。
ということで、デパルマの変態性とか、彼がヒッチコックに影響を受けまくってる作家性や、独自性のある映像表現みたいな話を踏まえた本作の解説とかは俺にはできないし、興味もないんでその辺は抜きにして感想を述べる。
今回鑑賞してみたら、こんなスピーディでサスペンスフルな内容だったことに驚かされた。もっとのんびりした退屈な作品だったような覚えがあったので。だからラストの部分しか覚えてなくて、今回の鑑賞によって、なるほどこんな話だったのかと感銘を受けたのである。そして、この流れの中での、ラストの花火のシーンと、最後の録音スタジオでのシーン、そこに至る感慨というのはかなりのものだ。しかも、録音スタジオでの悲鳴シーンは冒頭から何度もギャグ的に繰り返されて、最後があれだからね。お見事。
要するに、単純にサスペンスフルなストーリーとラストに至る結末が楽しめるということを、普通の人は初見で感じるのかもしれないが、たびたび記事のコメント欄で苦言を呈されるように俺の鑑賞眼はけっこう節穴なので、こうして久しぶりに鑑賞してみて感じてしまったのは、仕方ない。むしろ、新鮮に楽しむことができて得したなぁというのが正直な気持ち。
今作のジョントラヴォルタ扮するジャックは軍隊、警察、映画の音響と転職を重ねてきた人で、前職、前々職でも音響関連の技術を活かして働いていたことが作中のナンシーアレン=サリーとの会話でわかるようになっている。
で、彼は警察だったころに同僚を死なせてしまった経験があって、それを悔いているにも関わらず、今回もほぼ同じような形でサリーを失うことになるのだ。と、考えるとなかなか間抜けな奴ではある(笑)。まぁでも、その間抜けさによってラストの切ない感動シーンが生まれたのだと思うと、それはそれで映画的には良かったわけだ。また、ああした結末になるのは、サリーが終始、頭が弱めな人に見えるところも起因しているだろう(笑)。
ともかく、花火が頭上で輝くシーンと、ラストのジャックの苦悩のシーンはとても素晴らしい。自分の好きだった女が殺される悲鳴を作品に使っちゃおうという、ある意味で変態的暴挙によって、彼は仕事人としての本分を全うした一方で、彼女の悲鳴を心に刻みつつ後悔し続けながら年老いていくことになるのだ。
というしょうもない感想を述べつつ思ったのは、この作品の主人公は倫理・道徳的にまともな常識人で、人助けもするし、正直者。要するに、いい奴だ。そういう人間が好きになった女性と楽しく生きていくために窮地を乗り越えようと頑張るのに、それがうまくいかなくなってまうところが切ない。…と考えると、この話、キャラは違えどデパルマ作品の中に同じような筋の作品がありますな。ネタバレになるのでここでは書かないでおくけど。ていうか、前に観たときに気付けよ(笑)。
あと、ジョン・リスゴーが演じた殺人鬼が公衆電話で黒幕と会話をしているシーンの中で、なぜか二重人格を匂わせるセリフがあったけど、あれは字幕が間違ってたのか、俺の勘違いか。一瞬、同監督作でリスゴーが主演の『レイジングケイン』を思い出してしまった(笑)。
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