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雑談 「神頼みは必要か」

神頼み
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神頼みは必要か

あと数ヶ月で41歳になる。今年は厄年だ。もう40年以上も生きたってことが恐ろしくてならぬ。寿命がどんどん減っていることはさらに恐ろしい。だが、ジタバタしても仕方ないので、恐ろしがって生きるしかない。

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厄年です

で、厄年。本厄にして大厄だ。だから何だ――といえば全くそのとおり。どうということもない。だがしかし、なんだか良からぬことがおきると、「厄年だなぁ」と言いたくなる自分がいる。

いまのところ、それほどの災難に遭っているわけではない。ただ、何となく公私ともに、下降気味な日々であることは間違いない。それは自分の行動が招いた結果であるから、誰のせいにもできないし、したくもない。

ないんだけども、下降気味だ。そして、人生に希望を持ってはいるものの、日々、生きることに虚しさを感じることが増えたのも事実だ。ニートの頃も虚しくてたまらなかったが、あの頃よりも老い先が短くなっているからか、余計に虚しく感じるようにも思う。その分、一人でも、誰かといるときでも、楽しくすごしている時間の貴重さはより感じられているのだが。

厄年だから厄払い

というのは前ふりの話。俺より2歳ほど年上の友人は厄年のとき、神社だかで神主さんにお払いをしてもらったそうだ。どうしてか彼にきいたら「やらないよりは、やっておいたほうがいいと思った」というようなことを言っていた。そういうものらしい。

じゃあ俺はどうしたかっていうと、年初に毎年初詣する寺で、厄払いの護摩を購入した。値段は忘れたが、確か一番グレードの低い護摩だったはず(笑)。正直なところ、それですら必要がない気がしていた。だが、親が買えというので、前厄だった昨年から購入しているのである。

我が家では、正月になると必ず3が日の間に連れ立って初詣にいくという習慣がある。もう30年以上続いているはずだ。てことで、実家に正月帰省した際に護摩を買ったのである。ちなみに、多少のリニューアルはあるものの、俺が物心ついてからずっと、実家には常に神棚がある。管理者は父親だ。

俺が実家にいた頃、父は毎朝神棚の水を換え、榊は時期頃合いを見て交換し、日々神棚を管理していた。おそらく今もそうだろう。正月はその神棚から前年の護摩を寺に返し、あらたな護摩をおく時期である。てなことで、俺の本厄の護摩は、実家の神棚にある。昨年は前厄の護摩があった。本来なら持ち帰り、自分の住処におくべきなんだろうが、神棚がないし、置く気もないから、これでいいのである。

なぜ父は神棚をおくのか

父はなぜ神棚を持つようになったのか。実はよく知らない。おそらく、会社員時代に建設会社で現場監督をしていたからだと思われる。安全第一が絶対の現場仕事には、常に神棚を置いていたと聞いたことがある。

建設工事は、工事前に地鎮祭をやるなど、安全祈願の(たぶん)儀式を行う。青年時代からそうした世界で働いてきた父なので、家族を持つに至って神棚を置くのは自然のことだったのかもしれない。

なぜ父は神頼みするのか

であるから当然、父が厄年の歳だった頃、厄年用の護摩を家内安全などの他に購入していたのを覚えている。よく考えると、当時の父と同い年になって未だに独身である自分についてどうかと思うが、それはこの話とは関係のないことだ(笑)。

父は厄年に何かあったかどうかは知らない。知らないんだが、70歳を幾つか過ぎた父が俺や家族と酒を飲んだとき稀に言うには、神頼みはしておいたほうがいいということだ。というのも、父が60歳近くなった頃に監督していた現場で、あわや大惨事という事故が起きたことに要因があるらしい。

細部は書かないが、ある建物を建設中、足場が崩壊して作業員数名がけっこうな高さから転落する騒ぎが起きたんだそうだ。普通だったら、死傷者が出てもおかしくない規模の事故だったのに、奇跡的に誰一人、掠り傷ひとつも負わなかった。そのとき父は、神棚に祈っておいてよかった――と思ったということだ。

もちろんそれは、単なる偶然である。運がよかっただけである。それは父も自覚しているそうだが、「やらないよりも、やっていたほうが後悔しない手間は、やっておくべきである」というような意味のことを言う。そして、「神頼みはしておくべきなのだ」と。

よく考えると、先に触れた年上の知人も似たようなことを言っている。なるほど。と思う。信心なんてのは、そんなもんなのである。信じてなくとも、祈っておくことにはさほどの手間はない。罰当たりだと思う人もいるだろうが、そんなもんだろうと思う。そして、そうだからこそ、ある意味では祈ることの大事さを知っているのではないか。

手間がかかることも必要と思うならやるべき

面倒くさくてもチョッとの作業ですむ手間なら、やっておいたほうが後々の後悔は少ない。これは仕事上での少しの手間でもそうだ。大きな仕事であればよりわかりやすい。たくさんの準備が必要だからだ。何事においても手間を惜しんで準備をおこたると、よい結果を得る確率は減る。

面倒事は面倒であるからこそ、やっておいたほうがよいのだ。それこそが、祈るという行為であり、自身に安心をもたらすものなのかもしれない。なんだか話しにつながりがないように感じられるかもしらんが、そろそろ終わりにする。

愚にもつかない内容の記事を閲覧してくれて、本当にありがとうございます。

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