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便座は下げるべきか上げるべきか 映画『ストーリー・オブ・ラブ』 ※作品の話は少なめです!

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ストーリー・オブ・ラブ

解説:結婚生活15年目を迎えた夫婦の葛藤をコミカルに描いたラヴ・ストーリー。監督は「アメリカン・プレジデント」のロブ・ライナー(出演も)。製作・脚本は「ノース ちいさな旅人」のアラン・ツァイベルと「グッドナイト・ムーン」のジェシー・ネルソン。撮影は。「6デイズ/7ナイツ」のマイケル・チャップマン。音楽は「パッチ・アダムス」のマーク・シャイマンと名ギタリストのエリック・クラプトン。衣裳は「シティ・オブ・エンジェル」のシェイ・カンリフ。出演は「シックス・センス」のブルース・ウィリス、「ディープエンド・オブ・オーシャン」のミシェル・ファイファーほか。(KINENOTE)

あらすじ:作家のベン(ブルース・ウィリス)とクロスワードパズルの作成者のケイティ(ミシェル・ファイファー)の夫婦は結婚して15年の夫婦。ふたりの子供ジェイクとエリンをサマーキャンプに送り出し、試験的に別居生活を始めたふたりはお互いに結婚生活を振り返る。作家とその秘書として出会ったふたりはやがて結婚、子供にも恵まれたが今はお互いうっとうしいだけ。ベンは57年間を共に過ごして5人の子供を育てた祖父母をモデルに究極のラヴストーリーを書こうとするが、下調べをするうちに祖父母も結局のところ理想の結婚ではなかったことに気づく。ケイティはエリンの同級生の父で最近離婚したばかりのマーティ(ティム・マシソン)からデートの誘いを受けて迷う。それぞれの別居生活のなかで結婚を改めて考え直したふたりは、ふたりでそろってサマーキャンプを訪問する父母参観の日を迎えて、お互いに結論を出すのだった。(KINENOTE)

監督:ロブ・ライナー
出演:ブルース・ウィリス/ミシェル・ファイファー

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以下、便座の習慣の話をします!

男性の皆さん、洋式トイレで小便をした後、便座を下げていますか? そのままにしてトイレを出ますか? この記事は、便座を下げることを習慣にしようとした男の話です。『ストーリー・オブ・ラブ』の話にはほんの少し触れるだけなので注意!

以下の文章は2005年1月に書かれたものです!

便座を下げない男とは付き合えない!

最近、便座について習慣としようと思っていることがある。しかしこれがなかなかに困難な作業だ。先日、「ごきげんよう」なる昼間の番組を見ていたら、ある女性タレントが付き合う男性に求める条件の1つに便座のことを挙げていた。

彼女が言うには、用を足した後に洋式便器の便座を下げておいてくれる男ではないと、絶対に嫌だと言うのだ。なんでも彼女、自分が用を足す際に便座が下がっていないことに気づかず、便器に尻をつっこんだことがあるそうだ。だから自分と付き合う男は洋式便器の便座を自分に指摘される前から常に下げておく習慣のある人がいい、というわけである。

他の女性タレントが、「下げておいてくれ」と声をかけることによってそれを習慣づけてもらうようにすればいいのではないかと大人な意見をすると、便座下ろせ女性タレントは、そういうことを言う前に、わかってくれている人でないとダメなのだと言う。要するにそうした気遣いのある男が好ましいということなのだろうが、「この小娘が何をのたまうか。だったら貴様も気を遣って男のために便座を上げておけ」と思った。

だいたい、二十歳そこいらの女の子が便座云々を男に求めるというのは、なにか胡散臭い。便座を引き合いに出すということは、彼女は男と同棲したことがあると公言したようなものではないか。

実家住まいなら父親がいるはず――しかし、そんなことは考慮に入れません。性格の悪い私はこう考えた。彼女はそうした生活習慣に関することを口にすることで、暗に自分は恋愛経験の豊富な女なのだと自慢しているのだ。さらに邪推し、彼女はそんな経験本当はないのに、自分が経験豊富な女だと思わせたいがために、聞きかじったことをその場で、さも経験したことのように述べたのだ――と思うことにした。

私の邪推ではあるが、そう思わせられるには充分なほど、彼女の言うことには無理があった。先述した彼女より歳上の女性タレントは、「一度指摘したうえで守ってくれなかったら考えればいいことで、最初からダメと言うのは厳しいのではないか」と便座下ろせタレントに言った。しかし便座タレントは「どんな恋もそれで醒める」と得意気に答えていた。…そんなアホな。

例えばキスするとき相手の鼻の穴から鼻毛が出てて醒めた――というような話を耳にしたことのある人もいると思う。しかしである。その程度で醒めるような恋は最初から相手がそれほど好きではないのではないか。そんなことにいちいち醒めていたら、異姓と付き合い続けることなどできまい。

彼女は映画『ストーリー・オブ・ラブ』を見ていたのだ。

便座タレントの言葉が聞きかじりをそのままを言ったという根拠にはもう一つある。ちょうどその前日深夜、『ストーリー・オブ・ラブ』なる映画がテレビで放映されていた。その映画の中で、まさにその便座云々の会話があったのである。

 

最初その便座タレントが便座を引き合いにだして恋愛を語ったときに、私はまっさきに前夜に鑑賞したその映画にあったセリフを思い起こした。…そのシーンでは、仲の良い主婦たちがレストランに集まって世間話をしているうち、次第にめいめいの夫の悪口大会になる。

「うちの旦那は子育てをしない。仕事を言い訳にして何もしない、便座を上げることすらしてくれない…」。とかそんな内容であった。だから私は思ったのだ、恐らく、便座タレントはこの映画を見ていたのではないだろうかと。

私は別に、便座タレントを非難したいのではない。ただ彼女の言が、果たして私=男は、便座を下げるべきか否かについて考えさせるきっかけになったことを説明したかっただけである。結果的に悪く書いているのだが。

便座は下げておくべきなのか否か

ということで本題はここからだ。実は映画を見た時点で私は、その映画中で便座云々のセリフに対して「何を言いやがるか」と思っていたのである。だからこそ翌日また同じことを言っている女がここにもいた。と辟易したわけだ。

それをきっかけに私は、男が小さいほうの用を足した後、便座を下げておくべきなのか否か――ということに思いを至らせずにはいられなくなってしまったのである。なぜ自分はこれほどに便座を下げるか否かについてここまで頭を悩ませ、それは男が気遣うべきなのか、女が許すべきなのか、ということまで考えなければならないのだろうか。

その時、過去の曖昧な記憶が脳裏をよぎった。そうか、自分自身が「便座を下げておけ」と誰かに言われた経験が確かにあったのだ。そうでなければ、映画のセリフ自体にそれほど反応する必要はないし、翌日のタレントの言にも過剰な思いを馳せることはなかったに違いない。つまり、自分が言われたことのあることだからこそ、私はその言葉にひっかかったのである。ではそれを私に言った女性は誰なのか。

以前付き合っていた女性に言われたのである。と考えるのは疑わしい。何しろ私は実家に居候し続けている身のため、一人暮らしをしたことがない。だから女性を家に連れ込むなどということはほとんどなかったし、逆に1人暮らしの女性の家に転がり込んで半同棲なんて経験がこれまでにあったわけでもない。

要するに私には徹底的に、女性と生活感の漂う付き合いをした経験がないのだ。だからそれを言われたとすれば、ラブホテルに行ったときのことであろうか。しかし、しかしである。それも実に考え憎いことだ。ゼロではないにしても考えにくいことだ。

したがって、恐らくこの曖昧な記憶、確かに誰かに言われたのに誰に言われたのか思い出せないこの記憶は、自分の家族、母親か姉に言われたことだったのであろうと思う。確かであるとは言えぬがこう考えるのが自然だし、突き詰めればそんなのは誰に言われていたってどうでもいいことではある。

大事なのは、便座は、上げたままでいいのか、それとも女性を気遣って下げるべきなのかである。

もちろん、今まで便座を下げていたことはない

ちなみにこう書いている以上、今までの私はそれに気を遣ったことはない。無意識に下げていることはあったかもしれぬが、それは恐らく百回に一回くらいのものだろう。

意識していないのだから下げようがない。当然、大便をした場合は自分で無意識に下げるのだろうし、母親か姉が用を足した後なら勝手にそれは下がっているはずである。

便座の上げ下げなんて、それだけのことなのだ。下がっていれば上げるし、上がっていれば下げるだけ。誰かに文句を言うことではあるまい。細かい生活上の摩擦などは、黙って各々が処理するのが本当だと思う。しかし、それでは答えにならない。ここで一つまた思い出したことがある。便座タレントと同じく、私も便器に尻をつっこんだことがあるという事実だ。

それも一度や二度ではない。何べんもある。腹痛がするときに急いで便座に腰を下ろしたと思いきや、便器にすっぽり尻を浸らせていたことは幾度もある。そういうときはやはり、「この野郎、便座を下げていないのは誰だ?!」と内心怒り狂うわけだが、下げていないのは他でもない、私なのである。

容疑者は父である

だが、私の父はどうなのだろうか。我が家の女性陣は意識しなくても当然便座は下げるのである。それは当たり前の習慣であって、私が小便をした後に便座を下げないのと同じことなのだ。すると、便座を下げない容疑者として浮上するのは、私以外には、我が父しかいない。

そこで私は、父が便座を下ろすか否かを観察することにした。と言うよりはただ単に、用を足そうと思ってトイレに向かうと、ちょうどよく父がトイレから出てきたのである。そしてその瞬間に便座のことを思い出した。と言うのが正確である。

父の大便は臭う。そして彼が大便をするのは決まって朝である。わたしが父の次にトイレに入ったのは昼間、そして大便の臭いはしない。すなわち彼は小便をしたのである。私は一瞬にそれを了解し、便器に目を向けた。

便座は…、下がっていた。便座は下がっていたのだ。この事実は、私をわずかではあるが動揺させた。なぜなら、自分の使った食器を洗うこともなく流しに放っておくだけの父が、家事全般によっぽどの気まぐれがない限り手をつけない父親が、なんと便座を下げていたのである!

私も下げることにした

統計をとったわけではないから彼が必ずそうしているかはわからない。だが、私はその時から意識して便座を下げるように決めた。そう決めたのである。

小便をしながら思った。こうしたことの答えは、出すのではなく決めるものなのだ

しかし習慣とは恐ろしいもので、トイレのドアを開く度に便座のことを意識するように強いても、用を足した後にはすっかりそれを忘れてトイレを出ているのである。そして後から忘れたことに気づく。トイレに入ったらそこを出るまで常に便座のことを意識していなくてはならない。気の抜けない作業で、実に面倒である。

ということで数年後の私がこの文章を読んだとき、見事に便座を下げるのが習慣となっていれば、この矯正は成功したということだ。そして成功したということは、少しは女性にもてるようになっているかもしれない。バカバカしいが可能性はゼロではない。なんのことはない、けっきょくもてたいだけなのである。

しかし、冷静に考えればいったいどこのバカが、「私は便座を下げる人間です!」と、女性にアピールをするだろうか。この習慣が生きるのは、相手とそれなりの関係を経た後だと考えるのが妥当だ。したがって、こんなことを習慣化してももてないし、ましてやそんなことをクドクド考えている人間はなおさらもてないのである。05年1月24日(月)

結局、習慣になったの?

以下は、2017年2月20日に書いています。

ということで、10年以上も前、洋式トイレで小便をした後、便座を下げることを習慣としようとしていたこの男、結果としてそれは成功したのだろうか。

その矯正は、成功したのである。私は今、ほぼ意識せずとも便座を下げている。いつ頃に習慣化されたのかは覚えとらんが、それは成功したのだ。我ながらすごいと思う(笑)。で、肝心のもてたか否かでいうと、そんなことあるわけないやね(笑)。

ただ、この10年以上の間に、女性と生活感のある付き合いをした経験もいろいろあっての結果として考えてみると、「便座を下げろ」と指摘されたことは、ただの一度も、誰からもない。当たり前である。なぜなら、私は常に便座を下げていたのだから、指摘されようがないのである。では、ありがたがられたかというと、全くそんなことはない。

それは、そもそもそんなことは気にしない女性たちだったのかもしれぬし、男が小便をした後の便座はかなりの確率で便座があがっていることを、知らない人だったかの、どちらかだ。

長い割に、本当にどうでもいい話だね。

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