ザ・スクエア 思いやりの聖域
ソフィスティケイトされた生活を送っているように見える、キュレイターのクリスティアン。彼が現代アートを展示する美術館で、慈善的かつ道徳的芸術性があると信じる展示会を企画・開催しようとしていたら、その自分の生き様が全く洗練されておらず、慈善的かつ道徳的精神の持ち主でもなかったことに気付いていく風刺のきいたコメディ作品…だと思った。ネタバレあり。
―2018年公開 瑞・独・仏・丁 151分―
解説とあらすじ・スタッフとキャスト
解説:「フレンチアルプスで起きたこと」のリューベン・オストルンド監督による第70回カンヌ国際映画祭パルムドール受賞作。有名美術館のキュレーター、クリスティアンが発表した展示作品「ザ・スクエア」。それは世間に思わぬ反響を生み、大騒動へと発展していく……。クリスティアンを演じるのは、本作で第30回ヨーロッパ映画賞男優賞を受賞したデンマーク出身のクレス・バング。共演は、「ニュースの真相」のエリザベス・モス、「マネーモンスター」のドミニク・ウェスト、「猿の惑星」シリーズのテリー・ノタリー。(KINENOTE)
あらすじ:スウェーデン・ストックホルム。洗練されたファッションに身を包む、著名な現代アート美術館のキュレーター、クリスティアン(クレス・バング)は、周囲の尊敬を集め、そのキャリアは順風満帆。離婚歴があるが、2人の娘の良き父であり、電気自動車に乗り、慈善活動を支援している。そんな彼は次の展覧会で「ザ・スクエア」という地面に正方形を描いた作品を展示すると発表。それは、すべての人が平等の権利を持ち、公平に扱われるという“思いやりの聖域”をテーマにした参加型アートで、現代社会に蔓延るエゴイズムや貧富の格差に一石を投じる狙いがあった。ある日、携帯電話と財布を盗まれてしまったクリスティアンは、GPS機能を使い犯人の住むマンションを突き止めると、全戸に脅迫めいたビラを配って犯人を炙り出そうとする。その甲斐あって、数日経つと無事に盗まれた物は手元に戻り、彼は深く安堵するのだった。そんななか、美術館の宣伝を担当する広告代理店は、お披露目間近の「ザ・スクエア」について、画期的なプロモーションを持ちかける。作品のコンセプトと真逆のメッセージを流し、故意に炎上させて情報を拡散させるという手法だった。その目論見は見事に成功するが、世間の怒りはクリスティアンの予想をはるかに超え、皮肉な事に「ザ・スクエア」は彼の社会的地位を脅かす存在となっていく……。(KINENOTE)
監督・脚本:リューベン・オストルンド
出演:クレス・バング/エリザベス・モス/ドミニク・ウェスト/テリー・ノタリー
ネタバレ感想
上流も下流も全員糞だ
尺が長いし無駄に長い猿男(モンキーマン)のシーンなどを観るに、何だかよくわからん映画と思っちゃう部分もあるけど、これは恐らくセレブリティな生活をしている人たちの道徳的常識的観念を風刺、つまり現代社会の中流以上の人間を皮肉っている作品ではないかと思った。
俺は中流以下の生活をしているけども、その俺自身も「おまえは糞だ」と言われているようにも感じた。そういう意味では、「お前ら全員糞だ」と言われているように思った作品であります。
話者に気持ちよく喋らせない
ともかく出てくる人間に好感が持てない奴らばかり。特徴的なのは、この作品において描かれる会議、講演、演説、その他いろいろ。その場で喋ろうとする、もしくは喋っている人間が発言している場面で、必ず何かのノイズ的場違いな音が入り込む。だから、その場において中心的であるべき喋り手に気持ちよく自己の用意したスピーチを開陳させる場を与えない。
あれはどう考えても作り手が意図的にやっていると思う。
例えば序盤に主人公のオッサンが、企画している展示会イベントの趣旨を出資者と思われるセレブに述べるところ。あのシーンでは出席者の一人の携帯が鳴ることで、主人公のスピーチが中断される。
彼はいろいろと準備をしていたのにも関わらず、その携帯の音で準備した内容と異なるシチュエーションに置かれる。でも、機知によってユーモアのある演説を披露し、その場を切り抜ける。
一方、その後に行われるパーティの食事をつくったシェフがメニューを紹介するシーンで、セレブどもは誰がつくった食事なのかではなく、ただその食事を貪ることにしか興味がないらしく、シェフの説明を聞こうとせずに食事の用意された部屋に移ろうと移動していく。
だから、シェフは怒るのだ。「俺の話を聞いてからにしろ!」というようなことを彼は言う。彼の怒りはわかる。しかし、そもそも、そんなもの食う人間にしてみればどうでもいいのだ。誰が作ろうがなんだろうが、ともかく食いたいだけだから。
話を聞くには相手を尊重する気持ちが必要だ
つまり、聞く側の人間が話し手のことなんて、まったくどうでもいい存在だと思っているんである。リスペクトがない。敬意を払ってない。だから聞かない。実は、人の話を聞くってのはけっこう大変なんである。それについては個人的意見を披瀝したいところでもあるが、長くなるのでやめておく。ともかく、何かを話す、話させてもらい、それを傾聴してもらうには相互に信頼関係が必要なのかもしれない。
この作品ではそのほかにも、そのシーンにおいて主要と思われる人の喋りを、他者が遮るシーンがいくつもある。それは前述したように意図的に作り手が挿入しているのだろう。で、面白いのはそこに登場してくる横やり入れる人間が、たいがいはセレブリティな人々であることだ。彼らはお洒落な衣服に身をまとい、しゃべる会話も知的で世の中を動かせる力のある人たちの、いうなれば権力者・エリートたちだ。
恥をかきたくないので、人助けもできない
でも、彼らは形式ばった場で形式的な言葉しか話さないし、主人公が己のことを認めていたように全員がプライドの塊なのだ。だから、他人にへりくだることができない。謙虚ぶっているようで、誰に対しても謙虚になれない。そして、恥をかきたくないので大切な人を守ろうとする行動に出られない。
それを最もよく示すシーンは、モンキーマンがセレブどもの宴会の余興に出てくるシーンだ。あれはどこまでが主催者の演出なのかわからん。異様に長いあのシーンでわかるのは、サプライズを演出した側にもモンキーマンを抑止しようとする気がないし、その演出にのせられて楽しんでたセレブどもも、モンキーマンの逸脱行為をパーティの演出だと思いたいのか、自分が不快な思いをしていても、その場で押し黙ってモンキーマンが自分のところにちょっかいを出しに来ないようにうつむいている。
で、ある美女のところにモンキーマンがやってきて、自分の性欲むき出しで彼女を襲うシーン。あのとき、美女は旦那(恋人?)に助けを求めるが旦那は動けない。で、レイプ直前になったところで、ある老人紳士がモンキーマンに立ち向かう。そこでようやく、他の男どもも立ち上がり、数の暴力でモンキーマンに襲いかかる。モンキーマンは猿(本当は人間だけどw)だが、その猿山のボスに一人で立ち向かえなかった彼らは、情けない猿以下のオスにも見える。
主人公も猿
主人公のキュレーション野郎はお洒落で社会的地位もあるし、イケメン親父である。だが、猿なのでインタビュアーの女性と関係を持たないようにしていたのに、性欲に負けて関係を持ち、その後インタビューア女性に脅迫めいたアプローチを受ける。
あの女もどうかしていて、冒頭のインタビューは事前に準備してこなかったのが簡単にわかる、ひどい内容。彼女はセレブな主人公に近づきたいのでイベントのパーティで彼にモーションをかける。で、主人公はその誘い方の下品さにうんざりしているくせに、性欲に負けて彼女の部屋でセックスをする。そこにオランウータンみたいな飼い猿がいるのも笑える。んで、あの意味不明な精液入りゴムのやり取り。こいつら全員ただの動物。
ともかくそんなアホばっかが出てくる映画です。主人公のあの脅迫状のくだりも、なんであんなことするのか理解できない。自分がその脅迫状出したことを明るみにしたくないくせに、自分の名前で脅迫状を出しちゃうし。あのアラブ系の兄ちゃんとの信頼関係のなさとか、もうともかくすべてにおいて、アホばかり。
監督は性格悪いね(笑)
アホがアホなことしてあぶく銭を稼いでいる裏では、要求ばかりいっちょ前な浮浪者がたくさん出てくるし、まじめな(?)浮浪者もいるし、ラストの主人公は次女に嫌われたような感じもするし。ともかくエゴむき出しな奴らばっかりを登場させたという意味では、非常に身につまされる内容の作品であった。
この監督作には、『フレンチアルプスで起きたこと』というのもあるけど、あれもけっこう嫌な内容で、なかなか性格悪い人だなぁと思います(笑)。
ディスっているように見える記事だけど、ところどころ笑えるし、おもしろい作品です。主人公の衣装とかもオシャレでかっこいい。あんな服着てみたい。俺には似合わないだろうな、きっと(笑)。
コメント