クズとブスとゲス
これはなかなかすごい映画だ。よくわからない熱を感じる作品であった。主演も努めた奥田庸介監督のあの風貌。忘れようにも忘れられん。まさにクズが服を着て歩いているような男で、その突き抜け方にはある種の爽やかさすら感じる。普段と異なる映画体験がしたい人にはオススメです。ネタバレあり。
―2016年 日 141分―
解説とあらすじ
解説:「東京プレイボーイクラブ」の奥田庸介の4年ぶりの長編映画。女を拉致監禁し、裸の写真をネタに強請るクズ男、ストレートすぎる性格が災いして過ちを繰り返すバカ男、自己主張が苦手で、流されるまま生きて苦界にはまる女の3人が、負の連鎖を起こしていく。監督の奥田がスキンヘッドのクズ男に扮するほか、「青春墓場」三部作の板橋駿谷、本作がデビュー作となる岩田恵理、「殿、利息でござる!」の芦川誠らが出演。第16回東京フィルメックススペシャル・メンション受賞、第45回ロッテルダム国際映画祭正式出品作品。(KINENOTE)
あらすじ:寂れたダイニングバーでスキンヘッドの男(奥田庸介)が獲物を物色している。彼は見知らぬ女性に声をかけては薬で正体不明にさせ、裸の写真を撮って強請りを働いていた。しかし、今夜のターゲットはヤクザ(芦川誠)の下で働く商売女で、怒り狂ったヤクザ一味がスキンヘッドが母親と住む自宅に押し入ってくる。ヤクザに1週間以内に200万円払わないと殺すと逆に恐喝されたスキンヘッドは、行きつけのバーのマスターに強引に大麻を売りつけて金を作るが、約束の金額には程遠かった。その大麻の運び屋のリーゼントの男(板橋駿谷)は、恋人(岩田恵理)のために真っ当な職に就こうとしていたが、就職面接で意気揚々と前科を語るようなバカで、彼女の誕生日プレゼントを用意する金もない。仕方なくバーのマスターに持ち掛けられて運び屋家業を再開し、わずかな金を得た。リーゼントは数日遅れて恋人の誕生日を祝うが、それが運び屋で稼いだ金だと分かると大喧嘩になる。リーゼントのもとを飛び出した女がダイニングバーで傷を癒していると、スキンヘッドの男が近づいてくる。人恋しさから気を許した女は、彼の罠に嵌められる。彼女は借金の肩代わりにされ、デリヘル嬢として客を取るようになる。一方、恋人が去って落ち込むリーゼントは、バーのマスターから彼女が男とホテルに入るところを見たと聞かされる。我を失ったリーゼントは、夜の歓楽街を猛然と走り、ホテルから恋人を救い出す。彼女を嵌めたスキンヘッドのもとへ向かったリーゼントは怒りを炸裂させるが、スキンヘッドも対抗する。そこに、商売道具に逃げられたヤクザ一味がやってきて、二人をまとめて拉致し、凄惨なリンチを繰り返す……。(KINENOTE)
予告とスタッフ・キャスト
(シネマトゥデイ)
監督:奥田庸介
出演:奥田庸介/板橋駿谷/岩田恵里/大西能彰/カトウシンスケ/芦川誠
まさにクズの中のクズ、キングクズ(笑)
序盤はさほどテンポもよくないし、何かが始まりそうで始まらないので、ちょっと退屈。でも、スキンヘッドの男の自宅のシーンから物語に引き込まれた。なんでかっていうと、彼の食事である。なんと、冷蔵庫からニンジンを取り出して丸かじり。さらに、たぶん玉葱だと思うんだが、これも丸かじり(笑)。ちなみに、お母さんの食事? はビール(笑)。
家はゴミ屋敷だし、どうやら父親はいないっぽい。このシーンで、スキンヘッドが母親にきちんと育てられてこなかったのが分かるのである。つまり、主人公であるクズの母親もクズなのだった。
で、クズ主人公は玉葱をかじりながら外出(笑)。ぶっ飛んでいる。あんな奴と会話したら玉葱臭くてかなわんと思うのだが、物語を追っていくと判明することがある。要はこのクズ野郎、常に酒臭いか薬(大麻とかやってるみたい)臭いか、玉葱臭いかウンコ臭い(笑)やつなのだ。
しかも、容姿が酷いうえに、心もクズ過ぎの糞野郎。何度もいうが、本当に糞野郎なのだ。どれくらい酷いかというと、ナンパした女性に無理やり薬を飲ませて抵抗できなくした挙句、卑猥な写真を撮って、それをネタに脅して金銭巻き上げるとか、前述の母親がクズなのはわかるけども、そのクズに対して、ためらいなく包丁で指を切り落とそうとしちゃうくらいのド畜生なのである。たぶん母親にきちんと育てられなかったせいなのか、ともかく女性(男もそうだが)に対しての接し方が高圧的かつ暴力的。
容姿、言動、体臭と何もかもがクズ。糞過ぎる男。それがこの物語の主人公なのである。すごい。ここまで感情移入したくない人間を中心に据えるとは、すごいです。
↓こちらはKINGカズです。お間違いなきよう(笑)。
何だかよくわからないが、感情がこもった作品だ
こんな奴が中心となって物語が進むわけだから、誰も幸福になんてなれませんわな。でも、不思議なことに鑑賞し終えて考えてみると、登場人物のクズとブスとゲスは、それなりに成長というか、明日への希望を見出して現状の肥溜めから巣立って行ったように見えるから不思議なのである。まずここが、この映画のすごいところだろう。
ラストの感想から述べてしまったが、鑑賞中に感じたのは、この監督は何かに対して激しく怒りを感じているようだ――ということだった。そして、そうした現状を嘆いているようにも思えた。
レンタルしたDVDには初日の舞台挨拶が収録されていて、それによると監督は「個人的な映画」として撮ったそうだ。つまり、自分の全部を投入したということだろう。確か「作品自体が自分」的なことも言ってような。そう考えると、監督の言葉にしきれない感情が、そのまんま、むき出しになっている作品とも言えそうである。
誰一人として名前を呼ばれない
もうひとつ特徴的な部分を挙げると、これも監督が意図的にやったそうだが、登場人物たちは名前で呼ばれることがない。これはどうしてなんだかよくわからない。物語が進むにつれ、登場人物たちが名前で呼び合わないことがだんだん気になり始める。
ということは、よく考えてみると、通常の作品では大抵、主要な人物の名前はどっかでわかるようになっているということでもある。
で、作品内に、ここは名前を呼ぶだろ! と思うシーンがある。それはリーゼントの男が、恋人の誕生日を数日遅れで祝うシーンだ。リーゼントは、たぶんこの物語ではゲスに該当するんだと思うが、どちらかというバカである(笑)。笑えるくらいバカだ。いい意味ではピュアでもある。
そいつが恋人の誕生日をサプライズで祝う。その時に、ハッピーバースデーの歌をうたってあげるのだ。この歌は最後のほうで相手の名前を呼ぶ箇所がある。であるから、観ているほうからすると、ようやく名前が出てくるなと思わされる――のだが、リーゼントは名前を呼ばずに「スィートダーリン」と歌うのである。マジでずっこける(笑)。
糞みたいな世で生きるには、考えることが大事だ
個人的に重要だと思われたセリフがある。それは、『ケンとカズ』にも出てたカトウシンスケ扮する、麻薬大好き人間のセリフだ。実はこの作品で一番まともなのは、彼のように思える。その他の登場人物はどいつもこいつも人をイライラさせる感じだが、彼だけはそうでもない。もちろん常識的に見ればおかしいのだが。
で、彼が、麻薬の運び屋になったリーゼントに昼飯をつくって食べさせてあげるシーンがある。その時に彼は、「世の中は不条理だ(うろ覚え)」的なことをいう。ともかく、世界はけっこう酷いのだと。生き辛いのだという。でも、そんな中でも、生きていくうえで放棄してはいけないことがある。それは、「自分で考えること」だと彼は言うのだ。本当にそのとおりだと思う。
そして、そのセリフを踏まえたうえで主要な登場人物たちを観ると、クズとブスとゲスはもちろん、クズの母、デリヘルを運営するヤクザ。みんな、考えることを放棄しているように見える。特に、自分に向き合って考えるということを放棄しているように、俺には見えた。そう考えるとあの麻薬大好き人間は、作品の中で、唯一の良心とも呼べる存在だったのかもしれないと思えてくる。
ラストのクズとブスとゲスは、逃亡とは言え新しい世界に旅立つことになる。彼らの前途を左右するのは、「自分で考える」ことをするか否かにかかっているのではないか。
奥田監督はずいぶん若い人みたいなので、今後、どんな作品を撮るのか興味が湧いた。ちなみに、既存作品も気になったので調べてみたら、商業映画のデビュー作は、俺の好きなジョニー・トー監督が絶賛していたらしい。これは絶対観ようと思う。
コメント
みんながどんな形でこの映画を見てるのか気になり、こちらの投稿拝見させていただきましたがとても共感しました
ハンバーグを食べるシーンはとても重なる物があったりなかったり、
とても面白かったです!
監督さんが主演なのも驚きでした
また拝観させていただきます。
コメントありがとうございます。なかなかぶっ飛んだ内容で面白い映画ですよね。