ダークレイン
最後まで楽しく観られる良作。この作品で言及されている内容って、藤子・F・不二雄先生の漫画、『モジャ公』のエピソードにもあったよね。それは、種族が違う者同士が各々の種族の個体の区別をつけられるのかという話であった。ネタバレ全開しつつ、その話題にも触れます。
―2017年 墨 90分―
解説とあらすじ、予告とスタッフ・キャスト
解説:雨に潜む“何か”が人間を狂わせていくウイルスパニック。特集企画『未体験ゾーンの映画たち2017』の一作。(KINENOTE)
あらすじ:世界中が未曾有の豪雨に見舞われた夜、人里離れたバス・ステーションに居合わせた8人の男女が奇妙な現象に巻き込まれ、ひとりの女性・ローザがウイルスに感染したような症状を見せ…。(KINENOTE)
(シネマトゥデイ)
監督:アイザック・エスバン
出演:ルイス・アルベルティ
いきなりネタバレします
今作は観たいのに観られていない『パラドクス』と同じ監督の手になる作品だ。そっちが見つからないので、この作品を借りてきた。別に期待してなかったけど、なかなか面白いです。
ネタバレ全開でいくと、この物語の黒幕は、少年・イグナシオ。で、この子は恐ろしい能力を持ってる子どもなんだけど、それを知っているのはお母さんだけ。他の人は、彼の能力を知ることはできない。なぜなら、知ってしまった人はお母さん以外は死んじゃうから。
どういう能力かっていうと、人間を個体の区別がつかないよう同じ顔に変えてしまう能力を持っているのだ。彼は単なる精神病の子どもに見えるのだが、どうやら異星人みたいのに操られているらしい。サイコキネシス的な力はどうして使えるのか説明がないのでよくわからんが、ともかくそういう能力を持っているらしいーーよく考えたら変な雨を降らせていたのも少年かどうかはわからんが。
みんな没個性の髭面に(笑)
異星人たちはイグナシオを使って、人間たちを没個性の同じ顔に変えてしまう力を持っている。だから、この物語に出てくる登場人物、というかこの世界の人類は、全員、髭面のオッサンに顔を変えられてまうのである(笑)。
犬も赤子もみんな、髭面のオッサンになる。ビートルズもショーン・コネリーも、マリリン・モンローのポスター写真の顔もみんな髭面のオッサンになる(笑)。笑える。
髭面のオッサン。実は物語冒頭から感染者なのである。オリジナルの顔は、イグナシオが持っていた髭面の人形。おっさんは知らぬ間にイグナシオによって感染源の顔にさせられていたのである。
すこし疑問なのは、没個性とか言うけども、顔が同じになった以外は、さして没個性になってないんじゃないかと思えるところだ。例えば物事の考え方とかクセとかが残っているような気が。他者との区別なく全て同じになるような描写があれば納得もいくが、そういうのはなかったので、単に顔が同じになっただけにしか見えない。それで没個性と言われてもなぁとは思った。
異星人のたくらみは何なのか?
いずれにしても、異星人がなんで人間を没個性化したいのかはよくわからない。しかし、起こっていることは、イグナシオがお母さんに読み聞かせてもらった、『ダークレイン』という漫画の内容そのものなのだ。
その内容によると、異星人は雨によって人間になんかのウィルス? を感染させる。そして、みんなを同じ顔にしてしまうのだ。アリのたとえが出てくる。人間はアリの顔を区別できない。みんな同じ顔だと思っている。それと同じように異星人からしてみれば、人間も同じ顔の生き物なのだ。意味がわからないかもしれないが、そういうことを言っている。
つまり、生物的に人間より複雑な構造をした上位の生命体から見ると、下等生物は没個性の同じ存在に見える。だから人間とて異星人からして見れば同じ。「お前らなんてアリと同じだから、俺らからしたら固体の見分けなんてできねぇよ」と言っているのだ。
そう考えるとこの映画は、お前ら(人類)だってアリと大差のない存在なんだよって、人類の思いあがりを痛烈に風刺しているようにみえなくもない。でも、そういうことを監督=人間のお前が言うなよ。とも思ってまうのである。そんなこと、言われんでもわかっとるわ。
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そもそも、異星人が人類を下等に見るのは別にかまわんが、異星人どもだって同じ突っ込みをされたら自分に返ってくるブーメランなことをしているのである。たかが異星人じゃん。同じ生物だろ。こっちだってお前らの見分けなんてつかねぇよ。エイリアンの顔識別できるか? プレデターの顔識別できるか? 多少の個体差は描くものの、そんなに違いを描写できてる作品はあんまないだろ。・・・と、何に対して突っ込んでいるのか論点ずれてきておかしな感じになってきたので話題を変えて、この作品のおかげで思い出した、面白い漫画を紹介したい。
没個性な生命体が出てくる作品の記事↓
藤子Fの漫画、『モジャ公』に似たようなネタの話があります
上記のような個体の見分けがつかないという話で、すごく面白い作品を思い出した。それはドラえもんで有名な、藤子・F・不二雄大先生の漫画、『モジャ公』のあるエピソードだ。作風は『21えもん』と似ているけども、『モジャ公』で描かれる話は、もっと風刺や哲学的テーマが込められた話が多く、ともかくおもしろいのである。
で、その作品の中で、この映画と似たようなことを扱った「ナイナイ星のかたきうち」という話がある。あらすじは書いてられないので端折るけども、この作品において、異星人同士は種族が違いすぎて、別の星の生き物の個体の区別がつけられないという話が出てくるのだ。
もうすこしわかりやすく言うと、主人公の空夫は地球人。彼がある異星人、クエ星人のムエという生物に命を狙われる。ムエは過去、地球人によって自分の親父を殺されてしまったため、あだ討ちがしたいのだ。しかし、親父を殺した地球人は、空夫の時代よりも1000年以上も前に生きていた地球人なのだ。
なのにムエは空夫を1000年前の地球人と同一人物だと思いこんで、抹殺しにくるのである。これは、クエ星人の寿命が1000年以上あることと、地球人の個体の違いを見分けられないことからくる誤解なのだが、そこをラストまで巧みに隠しつつ描き切った内容で、ともかく面白い。
ついでに紹介しとくと、藤子F先生にはSF短編集があるんだけど、それも本当にすごい。もうすごすぎて困っちゃうくらいすごい。全部面白い。毒があり、闇があり、そして恐ろしく、とはいえギャグもあり、漫画だからこそ理解できる作品もあって、ともかく人間が孤独でよるべない存在だということを、情け容赦なく描き切った話もたくさんあるし、本当に素晴らしい作品集なんである。
読んだことない人はぜひ、先生のSF短編を読んでほしい。
俺は本作を鑑賞して、この監督は『モジャ公』を読んだことがあるんじゃないかと疑ってしまったくらいに、あらためて藤子F先生の偉大さを感じたのである。
・・・という話は別にして、ところどころ雑さは感じたものの、冒頭からモノクロ時代の映画の出だしを思わせる不穏な映像と音使いなどもあってワクワクできる、面白い作品でした。笑えるし、オススメです。
やっと観られた↓
こっちは同監督の3作目
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