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映画『ダークシティ』これは夢か、現実か? 想像力を刺激する良作!

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『ダークシティ』(1998)アメリカ 100分

これは夢か現実か・・・? 作品を通して日常を考えると、自分たちもダークシティの住人と同じ状況にあることがわかるようになっていて、鑑賞するものの背筋を凍らせる作品・・・。というのは言い過ぎか(笑)。その辺について紹介したい。

解説:闇に閉ざされた都市の謎をめぐるSFスリラー。監督は「クロウ 飛翔伝説」のアレックス・プロヤスで、同作で組んだアンドリュー・メイソンが視覚効果監修・製作(マラ・ブライアン、アーサー・ウィンダスと共同)とミニチュア監督(視覚効果監督のブルース・ハントと共同)を手掛けた。脚本はプロヤスの原案を基に、プロヤス、レム・ドブス(「KAFKA 迷宮の悪夢」)、デイヴィッド・S・ゴイヤー(「ザ・クロウ」)が共同で執筆。製作はプロヤスとメイソン。製作総指揮はマイケル・デ・ルーカ、ブライアン・ウィッテン。撮影は「クロウ」に次いでプロヤスと組んだ「ダイヤルM」のダリウス・ウォルスキー。音楽は「絶体×絶命」のトレヴァー・ジョーンズ。美術は「GODZILLAゴジラ」のパトリック・タトプロスと「マッシュルーム」のジョージ・リドル。編集は「ダイヤルM」のドブ・ホーニング。衣裳はリズ・キーオー。出演は「ハムレット」のルーファス・シーウェル、「気まぐれな狂気」のキーファー・サザーランド、「秘密の絆」のジェニファー・コネリー、「マイケル」のウィリアム・ハートほか。

あらすじ:太陽の昇らない都市ダークシティ。ある日突然記憶を喪失し、身に覚えのない連続殺人事件の犯人にされたジョン・マードック(ルーファス・シーウェル)。目覚めた彼が見たものは、彼につきまとう不気味な黒いコートの一団と、なぜか全ての住民が一斉に眠りについた間に何者かの意志で一変していく都市の姿だった。そしてジョンにも自在に事物を変える不思議な力が宿っていた。謎の人物シュレーバー博士(ドナルド・サザーランド)、妻エマ(ジェニファー・コネリー)、そして彼を容疑者として追ううちに都市の謎に気づいたバムステッド警部(ウィリアム・ハート)の協力を得て、都市の謎に迫ったジョンは恐るべき真実を知った。黒いコートの一団こそ都市の創造者であり、滅びゆく種族である彼らは“魂”を得るべく、人間である住民をいずこからともなく連れて来て、日々新たな記憶を“刷り込み”して実験していたのだ。かくしてジョンは、ミスター・ブック(イアン・リチャードソン)と名乗る彼らの首領と対決に挑み、死闘の末彼らを打ち破り、意思の力で海と光を取り戻し、都市の新たな創造にとりかかるのだった。

監督:アレックス・プロヤス
出演:ルーファス・シーウェル/ウィリアム・ハート/キーファー・サザーランド/ジェニファー・コネリー

ネタバレあり!

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ダークシティの仕組みについて

この作品って後のいろいろなSF映画に影響与えているんではないかと思われる。例えば街が創造されていく描写なんて、『インセプション』を想起させるなぁ。謎めいたストーリーがコンパクトにまとまりつつ劇終に至るので、楽しめます。

ともかくタイトル通りの暗くて鬱々とした感じのする街で、どんよりとした表情で生きている人々。ネタバレ全開でいくと、この街で生活する人々は、ある異星人? たちから連れ去られ、宇宙空間の中の箱庭みたいなところに閉じ込められて日々を送っている。

でも、誰もそのことに気付いていない。我々と同じように、平凡な日常を暮らしていると思い込んでいる。なぜかというと、彼らの記憶は異星人に刷り込まれたものだからだ。過去の思い出などをきちんと覚えているものの、実はそれは異星人に注入された記憶なのである。

それがわかるのは、この物語でキーワードになるシェルビーチと呼ばれる海辺。シェルビーチは住民にとって観光地のような場所になっているほどに、街の象徴的な場所であり、各人の確かな記憶としてあるものの、誰1人としてそこ至るための道順を覚えていない。なぜならそれは、異星人により全員に注入された作られた記憶だから。

記憶は常に書き換えられている

ダークシティには朝が来ない。夜中の12時になると突如、時間が止まったかのように住民たちは眠りにつく。眠りにつくというより、強制的に眠らされる。その間に、異星人たちが住民たちの過去の記憶を追加・修正しつつ、それに基づき、住人の生活する家、そして街そのものの形状も変化させるなどの活動を行っている。

ダークシティの創造者であり支配者である彼らは、なぜそんな手間のかかることをするのだろうか。実は彼らの種族は、全員が同じ意思を共有しているのだとか。そして、彼らの進化はどうやら、成長曲線上のどん詰まりにあるらしい。つまり滅びかけている。だから、人間の持つ記憶の機能を実験し、自分らが生き延びるべきヒントを探っているのだ。

そんな彼らにとって、主人公は非常に意味のあるキーパーソンであり、だからこそ、彼らと主人公の戦いが始まるのである。

想像力を喚起してくる作品

個人的な話でいうと、この作品に惹かれるのは、記憶とか時間とかに関する問いが散りばめられ、形而上的雰囲気があるところだろうか。

実は、本作品で描かれている世界の状況は、現実生活に置き換えても、同じことが起きているのではないかと想像できる。つまり、睡眠前の自分と覚醒前の自分は、果たして同一人物なのだろうかーーという疑問だ。作品内の住民は自分の記憶が変えられていることに気付けない。記憶が遡ってつくられているため、本人には疑うことすらできないのだから、それは当然である。

唯一主人公だけが、その秘密に気付くことができるわけだが、普通はそんなことには気付きようがないのである。それを考えると、我々の平凡に暮らしている日々も、同じ記憶を維持したまま生きているのだとは言い切れぬことに気付かされる。そういうことに気付かせてくれるところが、この作品の面白さである。

心が一つなのに個別の生物でいるってどういうこと?

違和感があるのは、心が一つの異星人たち。彼らは人間の個性に目を向けたが、彼らもそれぞれが個性ある一つの存在として各々が描かれているように見えることだ。そして、心が一つなのに固体が複数ある必要は全くないのだが、なぜそういう進化を遂げるのだろうか? て考えると、彼らはもともと一つだったんじゃないかと思いたくなる。

人間もそうだけど、ある生殖能力を有した生物って子どもを産んで個体数を増やして社会を形成する。でもそれって優れたことなんだろうか。なぜなら、社会をつくったことで争いが起こるのだから、区別のつく固体が増えることは、自己保存を第一に考える固体が増えることに他ならない。そうした固体は他から危害を加えられたら、抵抗する。そういう固体を増やし続ければ同種族間の争いはそうそうなくならんのは当然といえば当然のことなのだ。

いきなり例を挙げると、『エヴァンゲリオン(最初のアニメのやつ)』は、人類全体をひとつにまとめちゃおうという感じの話が出てくる。主人公はそっちの世界は選択しないものの、もし選択してたとしたら、どういう世界になるのだろうか。俺は、固体が総体になった存在こそが人間の進化の上位にいる生命体なんじゃないかって考えているので、そっちの生命体になることを選ぶ結末も見たかった。

 

そのような感じで見ると、ダークシティの異星人たちはやはり、全員の心が一つには見えなくて、もろ個別の存在じゃん! という突っ込みをどうしても入れたくなる。でも、固体がたくさんいるのに心が一つの存在ってどう表現すればいいんだろうか? そういうのが出てくる映画は過去にあっただろうか。『惑星ソラリス』を思い浮かべたが、あれは星がひとつの生命であるだけなので、何かが違う・・・。

創造主になった彼は、これから何をするんだろうか

ということで、主人公がなぜ特殊な能力を持てたのかは謎というか、俺が覚えてないだけかもしれないが、最後、彼はその特殊な能力を使って神になる。あんな狭い世界の神になっても、嬉しくないような気がするが、彼はあの世界を今後、どのようにカスタマイズしてどのように暮らしていくのだろうか。

あと、ウィリアム・ハートが演じてた警部。有能でいい人だったが、あのあっさりした去り方は扱い酷くはないか。現実の人の生き死にのあっけなさという意味ではリアルではあるものの、もっと哀しんでやれよと思わずにはいられなかった(笑)。

没個性な生命体が出てくる作品の記事

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