インベージョン
主人公以外の人間たちが、すさまじい勢いで人間じゃないものに変えられていき、主人公はそいつらと同類にさせられないように逃げ続ける話である。しかも、逃げ続ける間、眠ってはいけないという。わかりやすいうえに、込めている内容にはかなりの毒がある良作。ネタバレあり。
―2007年公開 米 96分―
解説:一夜にしてまわりの人間が別人になっていくという恐怖を描いたサスペンス。監督は「ヒトラー~最後の12日間」のオリバー・ヒルシュビーゲル。出演は「めぐりあう時間たち」のニコール・キッドマン、「007/カジノ・ロワイヤル」のダニエル・クレイグ。(KINENOTE)
あらすじ:ワシントンで精神科医として勤めるキャロル・ベネル(ニコール・キッドマン)は戸惑っていた。スペースシャトルが爆発し、その対策チームの一員としてワシントンに戻ってきていた元夫のタッカー(ジェレミー・ノーサム)が突然、一人息子のオリバー(ジャクソン・ボンド)に面会を申し出てきたからだった。時を同じくして、キャロルのもとに女性患者が訪れる。「夫が別人になってしまった」と訴える患者を、はじめはただ妄想と診断するが、やがてキャロルの周りでも次々と不可思議な事が起こりだす。(中略)(KINENOTE)
監督:オリヴァー・ヒルシュビーゲル
出演:ニコール・キッドマン/ダニエル・クレイグ
リメイク作品
アメリカのSF作家、ジャック・フィニイによる『盗まれた街』を題材にした映画は、『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』(1956年、米)『SF/ボディ・スナッチャー』(1978年、米)『ボディ・スナッチャーズ』(1993年、米)、本作の『インベージョン』(2007年、米)てな感じに、何度もリメイクされている。ちなみに、『レプリケイト 襲撃』(2019年、米)も、かなり似たような作品。
シンプルな内容で鑑賞者にある疑問を投げかけてくる
話の中で解釈に困るような描写はないし、何がいいたかったのかわからない、というところもない。ただ単純に話の筋を追って、主人公がどのような結末を迎えるのか。その中で、ある疑問を人々に投げかける内容になっている。
その疑問とは何か。それはダニエル・クレイグが人間でないものに変えられたときに放つセリフに多くが込められている。「われわれに他者はいない」というセリフだ。そう。地球外生命体のウィルス? に侵された彼らは、人間でないものに変えられている。最も特徴的なのは、他者がない生命体に変わっているということである。別々の存在に見えるのに、他者がない。他者がないということは全員同じということだ。
全員が同じで他者がいない生命体
この作品に出てくる地球外生命体は、以前紹介した『ダークシティ』に出てくる異星人と同じようなあり方をしている存在なのである。こうした生命体に対しての疑問はその投稿で触れたので、興味がある方はそちらを読んでください。
上記を踏まえたうえで言うと、変異させられた人間たちには他者がいないので、全て1つなのである。だから、争う必要がないのだ。
作品中ではこの地球外生命体が人類を浸食していく数が増えれば増えるほど、ニュースで流れる話題が平和的なものになってゆく。世界各地で起きている紛争や争いが、次々と解決にむかっていくのだ。なぜそうなるのかというと、彼らは別々の固体であるものの、他者同士でなく全員が自分なのだから争う必要がない。だから争いがなくなるのだ。それって、いいことなんじゃないだろうか。人類が思い描く理想郷の一例じゃないだろうか。
だが、何かの違和感もある。鑑賞者および逃げ続ける主人公にとっては、自分は自分だけの固有の存在であるがゆえに、理想郷になっていく眼前の世界がおよそ受け入れがたい世界なのである。これについても別の記事、『パラサイト』の中で触れた。
この映画は上述の2作品を鑑賞したうえでみると、込められたテーマみたいなものをより理解できる。もちろんこの作品だけでも、同じことを理解はできるはず。
誰が世の中から平和を奪うのか
ラスト、人間の社会は元の平穏を取り戻す。だが、それが果たして本当に平穏な状態であるのかどうか。もしこのラストをハッピーエンドと単純にとらえるのだとしたら、そういう我々一人ひとりの行動や選択こそが、世の中を平和から遠ざけている要因になっていると考えることもできる。
つまり、人間は人間であり続ける以上、自分たちの望むような平和的社会は築けないということだ。しかし、自分やその周辺の狭い世界だけを平和にすることはできる。この物語の主人公が息子を守り続けたように。実は大多数の人間が争いもよしとする、狭い平和な世界を生きたいのである。
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