ハウス・ジャック・ビルト
―2019年公開 丁=仏=独=瑞 152分―
解説とあらすじ・スタッフとキャスト
解説:第71回カンヌ国際映画祭に出品され、過激な描写で物議を醸したラース・フォン・トリアーの問題作。1970年代のワシントン州。建築家を志す独身の技師ジャックは、ある出来事をきっかけに、アートを創作するかのように、殺人に没頭するようになる……。出演は「マイ・ライフ・メモリー」のマット・ディロン、「エレニの帰郷」のブルーノ・ガンツ、「ニンフォマニアック Vol.1」のユマ・サーマン。(KINENOTE)
あらすじ:1970年代、ワシントン州。建築家になる夢を持つハンサムな独身の技師ジャック(マット・ディロン)は、あることをきっかけに、アートを創作するかのように殺人に没頭し始める……。5つのエピソードを通じて明かされる“ジャックの家”を建てるまでのシリアル・キラー12年間の軌跡。(KINENOTE)
監督・脚本:ラース・フォン・トリアー
出演:マット・ディロン/ブルーノ・ガンツ/ユマ・サーマン/シオバン・ファロン/ソフィー・グローベール/ライリー・キーオ/ジェレミー・デイビス
ネタバレ感想
ラースフォントリアー作品は準備が必要
本人がうつ病らしく、陰鬱な感じの作品が多いラースフォントリアー監督の新作。レンタルで鑑賞した。
この監督の作品は尺が長いし、気軽に観られる感じの内容でないケースが多いので、それなりの暇と心の準備が必要。なので、レンタルで出回っても、「待ってました、さぁ観よう」て感じにはならない。劇場でも観たかったけど、やっぱり他の用事とかの兼ね合いで、こうして自宅にて鑑賞となるのである。
で、本作は殺人鬼がいかに殺人鬼となり、どのような思いで殺人を繰り返していたかという内容が長尺の中で描かれる。彼は劇中で、60人以上の殺人を犯したーーと告白している。
しかもその後にも何人か殺しをしているっぽいので、合計何人を殺したのかはよくわからん。わかるのは、冷凍した死体を素材に、四畳半よりは大きそうな床面積の小屋みたいのが建てられるくらいの量は殺していること。
で、その中でも主要と思われる殺しのエピソードが5つに分けて描写される(最後のフルメタルジャケットの弾を使用した殺人実験は未遂ぽいが)。
第一の殺人
最初の殺しの対象はユマ・サーマン演じるセレブっぽいオバさん。こいつが、美人ではあるけど我儘で、まだ殺しをしてないジャック(マットディロン)を殺人鬼扱いするムカつく奴なのだ。
もちろん彼女はジョークでそれを言ってるんだろうけど、ジャックは彼女の言うことを聴いてやってるうちにだんだんイライラしてきて、衝動的に彼女をぶっ殺してまう。
ジャックは変わり者だけど、この時はまだ普通のオッサンだったのだ。その殺人者としての才能に目覚めさせたのは、むかつくおばさんだったという。このサックリとした殺しのシーンは、けっこう笑える。
第二の殺人
第二の殺人は、特に美人でもない普通の未亡人。なぜこの人を選んだかしらんけど、殺しちゃう。これはもう殺す意図があってやってる。雨に救われて証拠が消える描写があることから考えるに、これはユマサーマンに続く、第二の殺人っぽい。
で、ここからがダレるんだよなぁ、この映画。ともかく、この殺人については、殺してから自宅の倉庫まで遺体を運ぶまでの一部始終をずーっと描写し続けるので、長いのだ。ジャックは潔癖症らしく、殺した後もいろいろ現場の血を拭き取れないような気がしちゃって、何度も何度も現場を行き来しちゃって、しまいには警察が来ちゃう始末。
あんな怪しさ全開の質疑応答しちゃったら、どうあっても彼が犯人だとバレちゃうと思うんだが、そこはフィクションですな。このあとの殺人でも、どう考えてもバレそうなシーンは多々ある。
第三の殺人
第三の殺人は、家族の愛情に関する殺人。ここはけっこうコメディチック。二人の息子を持つ母親と恋仲になったらしいジャックが、鹿狩りのノウハウを息子に開陳してやるシーンに続いて、実際にその親子をライフルで狩っちゃうわけだが、酷い残酷シーンであるものの、さほどグロくもなく、俺は笑ってしまった。しかもその後、息子の一人を剥製にしてしまうというーー。
殺人はアートか
このエピソードあたりから、ジャックは自分の夢であった建築家になるという希望(それはアーティストになりたいという願望でもあるらしい)が叶わないせいなのか、殺人をアートとして語るようになる。それはヴァージとか言う、謎の人物と作中でたびたび交わされる会話の中でわかってくる。
殺人がアートかどうかと言われれば、それはようわからん。が、すべてのアートに倫理観が必要かと言われれば、それはそうではないとは思うので、ジャックの言っていることの意味も、わからんではない。
第四の殺人
第四の殺人は、愛情に関する話らしい。ジャック自身も人に恋愛感情を持ったことがあるとかないとか、ヴァージとの会話があってから、ライリーキーオ扮するバカギャル殺しが描かれる。
彼女の名前はジャクリーンというんだが、ジャックは彼女をアホだと思っているからか、シンプルというあだ名をつけている。彼女はそれが気に入らないのか、やめてほしいと言うけども、確かにジャックとの会話を聞くに、あまり頭がよさそうには見えない。
この二人はさほどお互いのことを知らないっぽいので、恋仲ではなかったんだと思われる。出会いが描かれないのでよくわからんのだが、そこは物語とはあまり関係なくて、この殺しでジャックは、彼女の乳房を切り取って、財布にするのである。これがつまり、彼の言う愛情ということなのかな?
第五の殺人
で、第五の殺人は一発の弾丸、強力なフルメタルジャケットという弾には、何人の人間を殺す貫通力があるのかを試す実験である。これ、めちゃくちゃ不謹慎覚悟で言うけど、試してみてほしかったなぁ。いろいろあって、試す前に冷凍倉庫に警察がきてしまうのである。残念(笑)。
まぁしかし、ここまでの間に延々と長尺を使って、特徴的な殺しを描いてきて、ヴァージとの会話の中で、ジャックがアーティスティックなことで世に名を成したい男だったということが説明され、建築はうまくいかなかったので、殺人の中にそれを見出すようになり、最終的にヴァージの助言もあって、死体を使って家を建ててしまうという所業にいたるのだ。
ヴァージとは何者か
と、考えるとこのヴァージという人物はジャックの別人格みたいな人なのかと思いきや、細かいところはよくわからん。
まぁでも、エピローグ的なエピソードで、ヴァージがジャックを連れて地獄めぐりみたいなのをするから、キリスト教的倫理観の象徴みたいなもんなんだと俺は勝手に解釈した。※調べたところによると、古代ローマの詩人ヴェルギリウスだそうです。そーいえば、本編でも少し言及されてたような(笑)。
ラストでは裁かれる
乱暴に言っちゃえば、ヴァージが何者なんかなんてどうでもよい。ともかく結末では、この作品の倫理が示される。俺はそこまでのエピソードの中で、ジャックの所業がアーティスティックなものであることを、ある意味肯定的にとらえられているように思っていたので、そのままそれを肯定して終わるんかなと思ったら、きちんとジャックは地獄に落ちるのである。
そして、あのエンドロールの歌では、「ジャック、二度と戻ってくるな」とはっきり言われている(笑)。正直なところ、「なんだ、そんな話だったのか」と肩透かし感もあった。ああいう結末を示したということは、ジャックの所業は悪であり、悪は裁かれたーーということなんでしょうね。
作品内でアート論を語っちゃうところなんか、この作品がアートではないことを証明しちゃってると個人的には思うけども、俺の鑑賞した限りのこれまでの同監督作と同様、非常に倫理について考えさせる内容ではあったな。俺はこの監督のそういうところが好き。
でもなぁ、全体的には長すぎる感があって、手放しには称賛できない作品だった。つまらなくはないけど、冗長すぎるというか。そういえば、自身の『メランコリア』の映像を引用しているシーンがあったなぁ。あれは何なんだろう。
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