高慢と偏見とゾンビ
ホントにゾンビ映画って多彩だよなぁ。リンカーンがゾンビと戦うトンデモない作品があったかと思えば、本作は小説の古典的名作『高慢と偏見』がもとになっているらしい。原作は未読なんで比較はできないが、高慢と偏見に満ちた人たちの恋愛映画です。ネタバレあり。
―2016年 米=英 108分―
解説:ジェーン・オースティンの古典『高慢と偏見』のパロディ小説を映画化。感染するとゾンビになるウィルスが蔓延する18世紀のイギリス。ベネット家の5人姉妹は日々ゾンビと戦っていた。そんなある日、資産家のビングリーと大富豪のダーシーが隣に越してくる。出演は、「シンデレラ」のリリー・ジェームズ、「マレフィセント」のサム・ライリー、「アメリカン・ハッスル」のジャック・ヒューストン、「Re:LIFE リライフ」のベラ・ヒースコート、「ライオット・クラブ」のダグラス・ブース。監督・脚本は、「きみがくれた未来 」のバー・スティアーズ。(KINENOTE)
あらすじ:謎のウィルスが蔓延する18世紀のイギリス。そのウィルスに感染した者は、ゾンビとなって人々を襲い出す。片田舎で暮らすベネット家の5人姉妹は、お金持ちとの結婚に情熱を燃やす母親を尻目に、少林寺拳法でゾンビと戦っていた。ある日、ベネット家の隣に資産家のビングリー(ダグラス・ブース)と、親友で大富豪のゾンビハンター、ダーシー(サム・ライリー)が引っ越してくる。姉妹と母親は狂喜乱舞するが、次女エリザベス(リリー・ジェームズ)だけは、ダーシーが初対面で見せた高慢な態度と、あまりにも冷酷にゾンビを駆除する姿に嫌悪感を抱く。やがて人類とゾンビの最終戦争が勃発し、ダーシーと共闘することになったエリザベスは、徐々に彼に対して偏見に満ちていた自分に気づく。(KINENOTE)
監督:バー・スティアーズ
出演:リリー・ジェームズ/サム・ライリー
紳士淑女とかようわからん(笑)
原作は未読。古典小説って今に残っているだけあって、読んでみると面白いものが多い。自分も数えられる程度の作品は読んでいるが、この映画の原作には手が伸びなかった。なんとなく、面倒くさそうな話だと思ったから。
てことでゾンビ映画ってところに興味を覚えて鑑賞してみたものの、登場人物のプライドの高さとか面倒くさいものの考え方についてなんとなくは理解できるものの、ラストに至るまでの心境の変化というかプライドの捨て方といいますか、自分の中にある壁を乗り越えて相手に想いを伝える行為なんかに、全く共感するところがなかったのである。
何でゾンビ映画にしたのか意味がわからん
要するに主人公たる次女のエリザベスっていう美人さんとダーシー大佐っていうイケメンは、お互い一目ぼれしてるわけだよね。でも第一印象は共通して最悪なわけだ。これは容姿ではなく、それぞれの物事に対処するにあたっての姿勢や態度みたいなところで。
そんな2人は関わりあう中でお互いに感じる怒りや不満をきちんと伝え、各々がまとっている壁、つまり自分自身の中にある高慢さや偏見のあるものの見方を認めたり気づいたりしつつ、その距離を近づけていく。
そして、それに気付かせてくれるのが自分自身の周囲にいる、同じく高慢や偏見の固まりみたいな母親や他の求愛者だったりするんである。その話が軸になっていて、そこにゾンビ要素を入れるという。
でも、なんでゾンビ要素を入れる必要があるのかは俺にはよくわからん。前に『ウォーム・ボディーズ』というゾンビ映画を紹介したけども、あれは作品にゾンビ要素を入れることに必然性があった。ところが、この作品にはそんなもんなくてもよいように思ってしまう。
原作を読めばもっと楽しめるのか?
読んでもいないのに言うのはいかがなもんかと思うけど、この映画で描かれていることって原作読めば十分なんじゃないのかな。無駄にゾンビ要素を入れてるから、なんかものすごく中途半端だ。けっきょく、知恵のあるゾンビとの共存って何だったのかがよくわからんし、ラスト、その意見の提唱者であり実は外道だった彼がゾンビ化して幸せになった主人公たちのところに攻めてくるんだけども、何がしたいのか意味分からん。無理やりゾンビ映画のお約束みたいなラストにしなくてもいいんじゃないかねぇ(笑)。
てなことで、結構期待してレンタルしたけど、主役の女優さんが美人だったなぁという以外に見るべきところのない映画であった。
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