ミザリー
雪山で事故に遭遇したベストセラー作家を助け出したNo.1ファン。身動きの取れない作家は彼女のロッジで看護を受けるが、次第に彼女の狂気が浮かび上がってくる。「恐怖のメロディ」に代表される、あぶないファン心理をついた作品の中では、主人公とファンの間に“作品”という媒体を通して、恐怖シーンを始めとしたストーリーを展開させてある所がポイント。(all cinema ONLINE)
※以下、ネタバレしてます!
アニー怖すぎ
キャシー・ベイツ扮するアニーという中年女、恐ろしすぎ。ストーカーみたいな感じだった。しかし、あれも一つの愛の形ではあるのであって、まあ一方的で求められる側にしてみればうんざりではあるけど、仮にあれが、作家も彼女のことを憎からず思えば、ああいう結末にはならぬわけで・・・と言っても、あんな人間を好きになれるとは思えないわな(笑)。
自己中度大爆発
しかし、やはり、あれも一つの激しい愛の形ではある。ただ、自己中心的過ぎるのが、良くない。彼女は狂っているけど、狂っていることが、より、その愛の真実味を増しているように見えた。
ただ、それはやはり、激しい自己愛でしかなかったようにも思える。彼女は作家の一番のファンを自称し、事故にあった彼を甲斐甲斐しく看病するわけだが、次第にその狂的な性格が現われ出すことになる。
私の物語を書いてちょうだい!
酷いことに、作家の魂を込めて完成させた原稿を、自分の気にいらないストーリーだからと焼き捨てさせ、自分が編集者となって、彼に新しい、作品を書かせようとする。このあたりなどは、要するに作品の主人公、ミザリーを自分に投影させているんだろうと思われる。そして、作家に自分の物語を書かせようとする。それもいいように捏造された、自分の白昼夢みたいなものを。自分が実現できなかったこと、できそうもないことを作家に書かせることで充足させようとするわけで、彼女の白昼夢を作品にしようとする。
ババァの白昼夢なんて書くかボケ!
しかしやはり、作家は他人の白昼夢なんて、書けない。書けても、書いていて気が乗らないだろう。だから作家はやる気がないし、最後にはその出来上がった作品を、アニーの前で復讐の意味も込めて焼き捨てる。作家の行為に激しく取り乱すアニー。一方の作家は冷静に、「これは君のマネだよ」と言ってのける。
愛情のキャッチボールはありません
まぁやっぱり、彼女の愛は自己愛だったと思われる。作家のこのセリフにも、それが表れている。彼女は自分の物語を燃やされて取り乱すのに、作家が精魂込めて書いた作品も、自分が気に入らなければ焼き捨てさせてしまうわけだから。やはり、お互いの間に関係性のない愛ってのは、自己愛に過ぎんのだろう。
怪演! キャシー・ベイツ
とにかく、キャシー・ベイツ、キャシー・ベイツの演技力が、この作品の肝である。彼女の表情、過剰なくらいに見える、あの表情の演技、実にその場のアニーの感情を狂的に、巧く表していると感じた。
特に最後の、アニーの最期のシーン。豚の置物で殴られて絶命する豚野郎というなんともアレなシーン。殴られて、床に倒れふすまでのあの一瞬の表情、あの、目、そして血まみれの顔面、オドロオドロシく、狂的な中に、アニーが辿ってきた人生の寂しさ、哀しさが窺える。実に役者だと思った。
神の正義ってどんなだろう?
そんなわけで、アニーが感銘を受けて、大事にしていた、作家の名言を紹介。「人間の正義ではなく、神の正義に従う」確かそんな言葉だった。なるほど、彼女の過去の経歴、そして彼女の狂的な一面はこの言葉を好むことからもなんとなく分かるような気もするし、狂っているということは、ある意味でとても己の感情に対して忠実である、ということなのだろうとも思われる。でも、神の正義ってのは、どういうものなんだ?
※この記事は2004年5月の記事を修正しました。
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