リトル・オデッサ
―1995年公開 米 98分―
解説とあらすじ・スタッフとキャスト
解説:近年ロシア系移民が急増し、“リトル・オデッサ”と呼ばれるN.Y.ブリックリンの南端ブライトン・ビーチを舞台に、ひと組の兄弟の相剋を通して、現代アメリカが抱える家族の悲劇を描いたドラマ。監督・脚本はUCLA出身の24歳の新鋭ジェームズ・グレイ。製作は「ボブ・ロバーツ」「蜘蛛女」のポール・ウェブスター。現地ロケを展開した撮影は「キリング・ゾーイ」『真夜中の戦場』(V)のトム・リッチモンド。音楽はダナ・サノで、全編に流れるロシア正教のコラール(聖歌)が作品に深みを与えている。主演は「フォー・ルームス」のティム・ロスと、「母の贈り物」のエドワード・ファーロング。「きっと忘れない」のモイラ・ケリー、「愛と精霊の家」のヴァネッサ・レッドグレーヴ、「ドン・サバティーニ」のマクシミリアン・シェルらが脇を固める。94年ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞、助演女優賞(レッドグレイヴ)受賞。(KINENOTE)
あらすじ:一匹狼の殺し屋ジョシュア(ティム・ロス)は、裏切り者のイラン人宝石商を殺す仕事を請け負い、二度と戻らぬと誓って飛び出した“リトル・オデッサ”に帰ってきた。彼を英雄視する弟ルーベン(エドワード・ファーロング)は熱狂的に迎えてくれたが、母イリーナ(ヴァネッサ・レッドグレーヴ)は脳腫瘍で病の床にあり、父のアルカディ(マクシミリアン・シェル)は人の道をそれた息子を決して許していなかった。昔、息子をジョシュアに殺されたロシアン・マフィアのボス、ヴォルコフは躍起になって彼の行方を追っていた。一方、ジョシュアはかつての恋人アラ(モイラ・ケリー)と再会し、彼らは再び燃え上がるが、彼女は彼の孤独な影に不安を覚える。父は息子を殺人者となじり、家へ入れようとしなかったが、母に会いたい彼は、父がナターシャという愛人を囲っているのを知るや父を脅し、母との面会を実現させる。イリーナは苦しい息の下からルーベンの行く末をジョシュアに託した。兄弟の祖母の80歳の誕生日が盛大に開かれた。その席でヴォルコフはアルカディに息子の居所を教えるよう迫ったが、彼は口を割らなかった。その頃、ジョシュアは仲間たちと例のイラン人を射殺し、死体を焼却炉で焼いて処分した。兄を捜していたルーベンは、その一部始終を目撃してしまう。やがて、父がルーベンの不登校を咎めて顔を殴った。ジョシュアは父を雪の河原へと連れ出してひざまづかせ、背後から銃口を向けるが、彼には撃てなかった。そして、ルーベンは一人家に帰ったところ、母が倒れる。ヴォルコフに借金があるアルカディはついに息子を裏切り、居所を告げた。イリーナの葬式の後、ヴォルコフの手下がアラの家へ向かい、兄の危機を察知したルーベンは、急いで知らせようと自転車を走らせた。だが、それも虚しく、ルーベンは仲間に間違って撃たれ、死んだ。ジョシュアはルーベンの死体をかつぎ、焼却炉へ運んで行った。(KINENOTE)
監督・脚本:ジェームズ・グレイ
出演:ティム・ロス/エドワード・ファーロング
ネタバレ感想
誰も幸せにならない、バイオレンス家族映画。とはいえそんなにドンパチ暴力描写があるわけではなく、殺し屋ジョシュアの仕事は淡々と行われ、ラストの悲劇的殺しのシーンも静かに繰り広げられる。父が息子のルーベンを折檻するシーンもドアの向こうで行われ、詳細はわからない。
教養のあるロシア系ユダヤ人の親父は子育て(特に長男)に失敗し、自分もキヨスクみたいな売店の仕事しかできず、奥さんは脳腫瘍を患っており、その介護にいそしむ反面、外には愛人をつくっている。
その親父の息子2人は、それぞれに夢も希望もない生活を送っている。特に長男は破滅的生き方をしていて、殺し屋としては有能ではあるものの、彼が故郷に戻ったことにより悲劇が起こるのである。
内容は深刻で悲劇的なのに、正直なところ、大した感慨もなく劇終。なんでかはわからん。ではどうしてこの映画を観たのかと言えば、若き日のエドワードファーロングが観られるから。今作の彼は、若き日の美貌を保っていて、そこが貴重なのである。なんでかは、今の彼を知っている人ならわかるよね(笑)。今作は、汚いファーロングではなく、きれいなファーロングが観られるのだ。
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