ハッピーエンド(2017)
展開がゆったりしてるし説明も少ないので、ハネケ作品は観るのがけっこうシンドイ。今作品は爺さんと少女の関わりが何かの救いをもたらすのかと期待させて、そうでもないような展開になっている。他人のことを知ろうとしない家族たちの関わりはどうなっちゃうのか。ネタバレありで個人的解釈。
―2017年公開 仏=独=墺 107分―
解説とあらすじ・スタッフとキャスト
解説:ミヒャエル・ハネケの下、欧州の実力派俳優競演で綴る愛と死のドラマ。瀟洒な邸宅で三世代同居しながらも、心はバラバラなブルジョワジーのロラン家。そんな中、家業を娘のアンヌに譲って引退した85歳のジョルジュは、13歳の孫娘エヴと再会するが……。出演は「愛、アムール」のジャン=ルイ・トランティニャン、「エルELLE」のイザベル・ユペール、「アメリ」のマチュー・カソヴィッツ。(KINENOTE)
あらすじ:難民が多く暮らすフランス北部の街カレー。瀟洒な邸宅で三世代同居するブルジョワジーのロラン家では、建築業を営んでいた家長のジョルジュ(ジャン=ルイ・トランティニャン)が高齢のため、すでに引退。家業を継いだ娘のアンヌ(イザベル・ユペール)は、取引先銀行の顧問弁護士を恋人に、ビジネスで辣腕を振るっていた。だが、専務を任されていたアンヌの息子ピエール(フランツ・ロゴフスキ)は、ビジネスに徹しきれない。使用人や移民労働者の扱いに関して、祖父や母の世代に反撥しながらも、子どもじみた反抗しかできないナイーヴな青年だった。また、アンヌの弟トマ(マチュー・カソヴィッツ)は家業を継がず、医師として働き、再婚した若い妻アナイス(ローラ・ファーリンデン)との間に幼い息子ポールがいた。さらに、幼い娘を持つモロッコ人のラシッドと妻ジャミラが、住み込みで一家に仕えている。一家は同じテーブルを囲み、食事をしても、それぞれの思いには無関心。SNSやメールに個々の秘密や鬱憤を打ち込むばかり。ましてや使用人や移民のことなど眼中にない。そんな中、トマは、離婚のために離れて暮らしていた13歳の娘エヴ(ファンティーヌ・アルドゥアン)を、一緒に暮らそうと呼び寄せる。こうしてジョルジュは、疎遠になっていたエヴと再会。意に添わぬ場面ではボケたふりをして周囲を煙に巻くジョルジュだったが、死の影を纏うエヴのことはお見通しだった。一方、幼い頃に父に捨てられたことから愛に飢え、死とSNSの闇に憑りつかれたエヴもまた、醒めた目で世界を見つめていた。秘密を抱えた2人の緊張感漲る対峙。ジョルジュの衝撃の告白は、エヴの閉ざされた扉をこじ開けることに……。(KINENOTE)
監督・脚本:ミヒャエル・ハネケ
出演:イザベル・ユペール/ジャン=ルイ・トランティニャン
ネタバレ感想
ハネケ作品はシンドイ
人間の道徳観とか倫理観をエグってくる、ミヒャエル・ハネケ監督の最新作。劇場で観られなかったので、さっそくレンタルしてきた。別のハネケ作品の記事でも触れたけど、彼の作品は、ともかくわかりづらい。
説明が極端に少ないし、やたらとスローテンポで同じシーンを映し続けたりするなど、集中してないと物語から置き去りにされてってまうのだが、集中するのがシンドイくらいに退屈なのだ。
で、この作品も相変わらずそんな感じなんだけども、昔の作品たちと比べると、格段に内容を理解しやすくなっているように思われた。それは俺が彼の作品に慣れつつあるのか、その辺はよくわからん。
爺さんは少女を救ったのか
ということで作品内の話。家族という近い間柄の人間たちも、互いのことに関心がまったくなくて、みんな自分のことばかり考えているということを示唆したかったように俺には思えた。
で、子どもであるエヴは親からの愛情が薄い日々を暮らしたせいなのか、スマホの画面を通して物事を客観視することで、世界との距離を保っている。画面を通して観る世界に対しては、彼女は非常に素直である。その素直さが、非常に残酷なのであって、普通の子どもとは違うのだが、彼女はそうしないと日々を生きられない存在になっている。
自殺未遂を図った彼女は父親の愛情が薄いことを皮肉交じりにディスるわけだが、父親には彼女の真意がわからない。それで、父は、自分の父親に彼女の心を探ってほしいと頼んだのだろう。
それがあの、エヴと爺さんが己の罪を告白するくだりである。エヴはスマホの画面を通さずに、初めて自分の体験を告白する。しかし、母親を死に至らしめることになった行為については触れない。そういう意味では、彼女は心を閉ざし続けている。
つまり、彼女に一番近づける可能性のあった死にとらわれている爺さんも、あれ以上の距離を縮めることはできなかったのだ。そこがハネケ作品の恐ろしさかもしれない。
通常の作品であれば、彼女は爺さんと心の距離が近づくことで、少しずつ人間らしい何かを取り戻していくパターンになりそうなもんだが、この作品ではそうはならない。けっきょくエヴは、爺さんの自殺行為を、動画に残そうとするのである。何も変わっていないのだ。
他人の個性を知ろうとしない
ピエールは典型的なダメ息子だったが、彼を観ていてわかるのは、この作品の人間たちは、お互いに誰も、それぞれの個性を知ろうとしていないし、実際に知らないということだ。自分たちで、相手はこういう人間だというレッテルを貼り、その視点を用いてしか相手と接していない。ピエールと母親の関係を観ていると、それがよくわかるだろう。
これは間違っているかもしれないが、作中に、いきなり挿入されてくる、男の子が自分の髪型についてコメントしている動画、そして、ライブハウスみたいなところでキレキレの踊りをしながら歌う男のシーン。あそこに移っている男は両方、ピエールだと俺は思った。あれが本来の彼なのだ。しかし、彼のイキイキとした姿を、家族が知ることはないのである。
ハネケの思いは誰に届くのか
てなことで、ハネケ監督は何かのインタビューで、自分の作品を通して鑑賞者に何かを考えてほしいというようなことを言っていた。なるほど。確かにそうだ。彼の作品は、理解できない他者との関わりや、子どもと大人の関わりを描くことで、人間の道徳や倫理について考えさせるような内容になっていると思う。
しかし、映画に娯楽的楽しみを求める人が彼の作品を鑑賞するかというと、その確率はかなり低いと思う。実は、彼の作品を好んで選ぶ人は、彼の作品を観なくとも、上記のようなことを自ら考える力は持っているように感じるのだ。もしそうだとするなら、ハネケの作品に込めた願いは、成就しづらいものなのかもしれぬ。それでも続けるのが芸術行為の一つだといえば、それはそうなんではあるが。
エヴを演じた女優さんが非常に可愛い。将来キレイになるだろうねぇと思わされる容姿であった。
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