さらば、わが愛 覇王別姫
チェン・カイコー監督の名作。京劇の役者たちが、時代の流れと時の権力者たちに翻弄され、激しく浮き沈みしていく様が描かれる。何度観ても面白い作品です。
―1994年公開 香 172分―
解説とあらすじ・スタッフとキャスト
解説:京劇の古典『覇王別姫』を演じる2人の役者の愛憎を、50年に及ぶ中国の激動の時代を背景に描いた一編。香港の女流作家・脚本家、李碧華の小説(81年のTVドラマ用脚本を改稿したもの)を、「人生は琴の弦のように」の陳凱歌が映画化。脚本は原作者と葦。製作は「侠女」ほか胡金銓(キン・フー)作品への出演で知られる徐楓と湯君年、撮影は「子供たちの王様」以来、監督とは3作目の顧長衛。音楽は「秋菊の物語」の趙季平。主演は「欲望の翼」の張國榮、「秋菊の物語」の鞏俐、張豊毅。(KINENOTE)
あらすじ:1925年、北京。娼婦の母親に連れられ、孤児や貧民の子供たちが集まる京劇の養成所に入った9歳の少年・小豆子。新入りの小豆子は他の子供たちからいじめられたが、彼を弟のようにかばったのは小石頭だけだった。2人は成長し、女性的な小豆子は女役に、男性的な小石頭は男役に決められる。小豆子は「女になれ」と老師爺(黄斐)に躾られ、数え切れないほど殴られた。彼らは演技に磨きをかけ、小石頭は段小(張豊毅)、小豆子は程蝶衣(張國栄)と芸名を改め、京劇『覇王別姫』のコンビとして人気を博す。段小はある日、しつこい客に絡まれていた娼婦の菊仙(鞏俐)を助けたことをきっかけに、彼女と結婚する。少年時代より小にほのかな恋情を覚えていた蝶衣は2度と共演はしないと捨てゼリフを吐いて去る。その日北京は日本軍に占領された。ある日小は楽屋で騒動を起こし連行されてしまう。菊仙は日本側に取り入ってもらえるのだったら小と別れてもいいと蝶衣に告げるが、彼の協力で釈放された小は日本のイヌと彼を罵り菊仙を連れて去る。深く傷ついた蝶衣はアヘンに溺れる。そんなことがありながらも2人は和解へと進む。その後老師爺はこの世を去り、日本軍の敗退で抗日戦争は終わる。49年、共産党政権樹立。蝶衣と小は再び舞台に立つが、京劇は新しい革命思想に沿うよう変革を求められていた。変革に懐疑的な蝶衣は小四に批判され、そればかりか彼に『覇王別姫』の虞姫役を奪われてしまう。ショックを受けた蝶衣は芝居をやめてしまう。66年、文化大革命。共産党の厳しい政治的圧力を受け、小は蝶衣の過去の罪を摘発せよと強制される。小はそれに屈するが、同時に彼も激しく批判され、娼婦だった菊仙など愛していないと言ってしまう。彼の言葉を聞いた菊仙は自殺してしまう。77年、蝶衣と小は無人の体育館におもむき、11年ぶりに2人だけで最後の『覇王別姫』を演じる。舞い終わった時、蝶衣は自らの命を断った。(KINENOTE)
監督:チェン・カイコー
原作:リー・ピクワー
字幕:戸田奈津子
出演:レスリー・チャン/チャン・フォンイー/コン・リー
ネタバレ感想
時代の波に翻弄される京劇役者
この映画すごい好きで、もう何度も鑑賞している。なんというか、こういう激動の時代を背景に、その流れに翻弄されちゃう人間を描いた作品って大体面白いんだよな。この作品とほぼ同時代を描いた『ラストエンペラー』もかなりの傑作だし。では、上記のような映画作品としてほかに何があるかってのがぜんぜん思い出せないのが歯がゆい(笑)。
てなことで、この作品のすごさは、日中戦争から文化大革命までの数十年、中国社会がものすごい変化を遂げていることがわかるところ。なぜわかるのかというと、京劇という伝統芸能が、そのときの支配者たちに翻弄され、激しく浮き沈みしていく様が手に取るようにわかるからだ。
面白いのは、日本軍の京劇に対する敬意(段小の衣装で遊んでいるクズもいるし、それが段小のその後運命と関わってはくるものの)と、中国軍(国民党)の観劇に対するマナーの悪さがそれぞれわかるシーン。別に日本をめでて中国を貶めるつもりはないんだけども、あのシーンとそれ以降の中国の体制の変化の中で翻弄される京劇役者たちを見ていると、この作品は反日的内容になっているというよりは、おそらく事実と思われることを淡々と描いているのである。
そこがこの作品の良さの一つで、日本兵が中国人を処刑するシーンも当然描きつつ、国民党後の共産主義国になった中国において行われた文化大革命のシーンなどを観るに、反共的な要素も含まれており、その辺を客観性をもって描いているからこそ、そこに繰り広げられる権力によって行われる残酷な所業が浮き彫りになってくるのである。
段小と程蝶衣と菊仙の関係について考察
さらに、時代のうねりや、主義主張の対立などがある中で、各登場人物がそれぞれ、どんな思いをもってその時代を生きているのかがよくわかるように創作されているところがまたすごい。
特にすばらしいのは、段小と程蝶衣の関係ではなく、菊仙と程蝶衣の関係の揺らぎである。別に二人とも仲良くはならないんだけども、菊仙の程蝶衣に対する接し方は、非常によろしい。
何がよろしいかというと、菊仙は相手との距離を近づけるために、心を開いているからである。相手がどんなに腹が立つ嫌いな人間でも、それでもうまくやっていこうと、拒否せずに向き合おうとしている…ように見える。
それだけに、彼女が文革のあおりで段小の裏切りにより自殺するに至るのが、非常にツライ。ある意味では、しっかりと現実と対峙して地に足のついた生き方をしようと頑張っていた彼女が、その出自も影響してもっとも不幸になっているからだ。
段小はけっこうわがままに、自分の思うままに生きられている。若い頃の彼は非常にいい奴で、少年漫画の主役になれそうな感じのキャラなんだけど、大人になってスターになってからは、名声を鼻にかけた感じの俗人になっちゃっているところがけっこう残念。仕方がないとはいえ、文化大革命のときに程蝶衣や菊仙を裏切っちゃうところなんかも、若い頃の彼とは全然違う人になっちゃってる印象だ。
おそらく彼は、程蝶衣が自殺して後も、普通に行き続けて天寿を全うするだろう。程蝶衣は幻想の中に生き、最終的に物語の中で死ぬことを選んだ。これもまた、ある意味ではわがままを貫いたという意味で、幸福である。
ただ菊仙のみが、時代と、2人の男に翻弄され続けた人生だったとも考えられなくもない。2人の男は、それぞれ自分の世界でわがままを通して生きたと観るならば。
4K版観てきた!
2023年7月30日、4K版を劇場で鑑賞してきた。素晴らしい。いい映画はやっぱり劇場で観るとより一層その素晴らしさが心に染み入ってくる。上述した感想に加えて、また違う感慨が得られるのは、やはりこの作品に奥深さがあるからだろう。
主要な3人の登場人物に関する思いとしては、上に書いてきたことは変わらないんだけども、ラストに至るまでにいろいろなことがありすぎて、しかも役者の演技も素晴らしいので、そのたびごとの感情や、相手に対する愛情や憎しみやらなんやら、言葉にできない何かまでも、表情やそのしぐさで感じられるのである。すごい。
ちなみに今回発見したのは、小四が単なる共産主義野郎になっていたのではなかったこと。彼はもともと段小と程蝶衣の弟子みたいな感じで物語に登場し、後に現代劇と京劇の狭間で揺れる人間として描かれ、最終的に共産主義的思想に染まりながら程蝶衣に反旗をひるがえしていくわけだが、実は程蝶衣と同じく虞美人(実は程蝶衣に?)に魅せられていた男だったということが判明し、転落していくであろう未来が示唆されていたのだ。今まであれ、程蝶衣のシーンだと思ってて、意味不明だったんだが、あれは小四が虞美人の化粧をして程蝶衣の舞台道具を愛でて恍惚としてるシーンだったわけだな。たぶん。
ついでに言うと、幼いころの程蝶衣(小豆)に性的虐待を働いた張とかいうジジィ、あいつは清朝末期の宦官だったわけだが、あいつが共産党の時代になっても生き残ってタバコ売りをする老人になってたのに今回初めて気付いた。
プラス、このジジィはある意味では、ジャニー喜田川みたいな存在であったのだなと今回鑑賞してて思ったのであり、この作品は時代が変わっても普遍性を失わない素晴らしい作品であるとあらためて感じた。
人間のそのたびごとの感情や、時代の移り変わりに翻弄される姿、権力の放つ暴力が市井の人をいかに不幸にするかというクソさ加減、さらには、教育という名の児童虐待であったり、性的搾取であったり、人間のクソさ部分をこれでもかとえぐりつつ、愛することの難しさ、そしてその素晴らしさと悲しさと、生きることの不条理さなどなど、さまざまなことを表現している素晴らしい傑作なのである。
ちなみに、『覇王別姫』の話と関連する、項羽と劉邦が始皇帝亡き後の中国で覇を争うお話はとても面白い。司馬遼太郎の小説、『項羽と劉邦』がお勧め。漫画で読みたい場合は横山光輝の『史記』にもこのエピソードが収められてます。
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