かぞくのくに
病気治療のために北鮮から一時帰国した長男が、在日コリアンとして日本で暮らす家族のもとへ。再会を懐かしむ家族だったが、本音を語れない長男と家族は素直に再会を楽しめず…。その後、いったいどうなってまうのかという話。ネタバレあり。
―2012年公開 日 100分―
解説とあらすじ・スタッフとキャスト
解説:ドキュメンタリー映画「ディア・ピョンヤン」「愛しきソナ」で自らのルーツや家族を取り巻く状況を描いたヤン・ヨンヒ監督初のフィクション映画。差別や貧困に苦しんでいた在日コリアンが、当時地上の楽園と謳われた北朝鮮へ集団移住した帰国事業。これに参加した兄が病気治療のために25年ぶりに日本へ帰国した家族の情景を映し出す。出演は「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」の安藤サクラ、「空気人形」の井浦新、「息もできない」のヤン・イクチュンほか。音楽は「聯合艦隊司令長官 山本五十六―太平洋戦争70年目の真実」の岩代太郎。2012年第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門に公式出品され、C.I.C.A.E.賞『国際アートシアター連盟賞』を受賞。(KINENOTE)
あらすじ:1970年代に帰国事業により北朝鮮へと渡った兄。日本との国交が樹立されていないため、ずっと別れ別れになっていた兄。そんな兄・ソンホ(井浦新)が病気治療のために、監視役(ヤン・イクチュン)を同行させての3ヶ月間だけの日本帰国が許された。25年ぶりに帰ってきた兄と、日本生まれで自由に育ったリエ(安藤サクラ)、兄を送った両親との家族だんらんは、微妙な空気に包まれていた。兄のかつての級友たちは、奇跡的な再会を喜んでいた。その一方、検査結果はあまり芳しいものではなく、医者から3ヶ月という限られた期間では責任を持って治療することはできないと告げられる。なんとか手立てはないかと奔走するリエたち。そんな中、本国から兄に、明日帰還するよう電話がかかってくる……。(KINENOTE)
監督・脚本:ヤン・ヨンヒ
出演:安藤サクラ/井浦新/ヤン・イクチュン/京野ことみ/村上淳/宮崎美子
ネタバレ感想
ラストの安藤サクラに希望がある
在日の人が祖国の北朝鮮で暮らすために戻っていく帰国事業なるものがあったらしい。16歳にして半ば無理やり帰国させられた長男のソンホ。そして在日コリアン2世の日本語教師として暮らす妹のリエ。この2人と家族とのやり取りを中心に、国交が断絶した国の狭間で引き裂かれた家族の悲哀が描かれている。
この作品は、なかなかツライです。ハッピーエンドとは言えない。唯一、長男のソンホに生き方を指南されたリエだけが、スーツケースを買って、あらたな人生へ旅立とうとする姿が描かれる。そこだけは救いだ。
俺は考えずに従うだけ。お前は自分で考えて、納得して生きろ
長男のソンホは父の命令で北鮮に送られ、そこで家族をつくり、上からの命令には絶対に従って生きていかねばならない。それについてソンホは「あの国では考えずただ従うだけ。思考停止させているんだ。俺はこう生きるしかない」という。そういう国なのだ。だからこそ、妹のリエに対して、「お前は考えて、自分で出した答えに納得しながら生きろ」と励ますのである。
これはとてもいい言葉だ。別に、在日の人でなくても、どんな社会に生きるにあっても、この言葉は大事だと思う。だって、今の日本だって、何も考えないように思考停止させるような社会になっていると言えばなっているから。このソンホのセリフを聞いていた時に俺は、ジョン・カーペンター監督の『ゼイリブ』を思い出した。「金は神だ」、「考えるな」、「従え」と人間の潜在意識に働きかける世界を描いた、あのディストピア作品をである。
ともかく、この映画を観て思ったのは北朝鮮に暮らすよりは、日本で生きるほうがマシだろうということだ。ソンホにしても、ヤン・イクチュン扮するソンホの監視役にしても、どこかで北鮮の人として生きることに忸怩たる思いがあるのが見て取れる。それでも、その国で生きていかなければならないのだ。
どうしてこういう国家が存続し続けられるのかは謎だが、ともかく、独裁国家ってのは恐ろしいですなぁ。日本はまだマシだが、思考停止して考えることをやめた人たちがこれからも増えるようなら、明日は我が身とも言える。独裁国家化はされなくとも、ディストピアになる可能性はあるし、もうそうなりかけているのだ。なっているとも言える。
ヤンイクチュンと宮崎美子
途中まで、あの監視役がヤン・イクチュンとは気づかなかった。彼はやっぱり『息もできない』のインパクトが強すぎて、他の作品に出てきてもあまり存在感がないことが多く、どうしても同じ役者には見えないんだよなぁ。
あと、母親役の宮崎美子が思いのほか母親演技で(あたりまえ)、俺も母親に会いたくなった。特に喋りたいことはないんだが(笑)。
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