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映画『エンド・オブ・デイズ』 悪魔VSシュワちゃん 結末が・・・だけど、面白いです ネタバレ

エンドオブデイズ
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『エンド・オブ・デイズ』

解説:1999年12月31日――1000年紀《ミレニアム》最後の日に悪魔が復活。だが悪魔が世界を支配するためには、運命の下に生まれた一人の女が必要だ。教皇の命により悪魔の魔手から彼女クリスティーンを護るべく修道士がNYに飛ぶが、悪魔の前に成す術は無い。だが元刑事で今は民間警備会社で働くジェリコ・ケインは運命に導かれるまま、悪魔からクリスティーンを守る役目をまかされる事になる。新世紀を賭けた壮絶な死闘が今始まろうとしていた! (all cinema ONLINE)

※この記事は2003年に書かれたものです。ネタバレしてます!

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サタンの悪巧みを阻止する話

1999年の作品で、主演はシュワルッツェネッガーです。この作品の彼は、いつもとはちょっと違う、暗いヒーロー像を感じさせるジェリコという男を演じています。で、内容。1979年、バチカン市国の教皇庁から物語は始まります。聖職者たちが何やら話をしてて、「今年生まれるはずの腕に模様を持つ娘と悪魔が20年後、世紀が変わる数時間前に交接することで、悪魔の息子の誕生云々という話題がどうのこうのされる。

どうのこうのされた後、本当に腕に模様を持つ赤子が生まれます。で、その病院の悪魔崇拝者の医者と看護師が、母親の手から生まれたばかりの赤子に蛇の生き血を吸わせ、変てこな呪文を唱える儀式を行います。そして、赤子が20歳になるまで、自分たちの真の目的を隠したまま、親代わりになって娘を育て続けることに。

悪魔が本当に復活!

そして20年後、1999年のアメリカで実体を持たない存在=悪魔が現れます。この生命体? は、あらかじめ宿るべき運命の肉体、ある株屋の男の精神を乗っ取ります。これにより株屋が実体を持つ悪魔に。すでに赤子だった娘は20歳になっています。実の両親は数年前に他界。おそらく、悪魔崇拝者達によって秘密裏に葬られたと思われる。

神などに頼らん。俺には銃がある!

主人公のジェリコは、元刑事で、現在は要人警備の仕事についています。彼には暗い過去が。刑事だった頃に、ある犯罪者に妻と幼い娘を殺されてしまっているんですね。そのため罪の意識に苛まれ、自殺しようとしてもできないでいるのが1999年のジェリコです。彼はもともと神を信仰していたらしいのですが、妻子を殺されたことで信仰を捨て、己の体と銃を頼りに生きていくことに決めました。

銃で悪魔を倒せるのか

ハイ、そんな彼が警護をすることになったのが株屋です。この時点で株屋はすでに悪魔なのですが、警護中、この悪魔が何者かに狙撃され、ジェリコは逃げた狙撃主を追い詰めてみると、なんと、それは神父だった! なぜ神父が株屋を殺すのか? 腑に落ちないジェリコは親友で同僚のシカゴと共に調査を開始します。すると、ある娘の存在に行き当たる。彼女こそが、冒頭の腕に模様を持つ娘で、ジェリコは成り行き上、彼女を悪魔から守ることになってゆくわけです。

悪魔を倒すのは信仰の力です!?

ジェリコは信仰を捨てた男です。ところが相手は悪魔。悪魔を退けるのは神の力ということで、また別のグループがいます。昔から事が起こることを知っていた、娘を保護しようという聖職者たちの集団です。彼らは「神を信じなさい、信じるものは救われる。教会に篭り、時が過ぎるまで娘をかくまい続けよう」と言うのですが、ジェリコはそれを認めません。「信仰が何になる? そんなので娘(クリスティーン)を救えるか! 俺が俺の銃で守ってやる、そのほうがいい」と主張する。でも、クリスティーンはジェリコの意見を拒否。哀れジェリコはスゴスゴとアパートに帰るのです。

殺人聖職者軍団現る

実は聖職者たちにはもう一派いて、「もし悪魔が娘と交接すれば、年明けとともに世界は終わる。それを避けるには、今の時点でクリスティーンを殺せばいいのだ。一人の犠牲で人類全体が救われるのだ、神も許してくださる。だから殺そう、今殺そう、すぐ殺そう」という奴らです。「クリスティーン殺す派」ということで、「クリ殺派」ですね。

で、「クリ殺派」は、前述の「クリ保護派」の教会を訪れ、娘を襲撃します。クリ保護派の神父たちはオロオロするだけ。そこに悪魔がやってきます。そしてそれを追ってジェリコもやってきます。

あれ? 結局信仰なんですね・・・

まあそれでですね、乱戦の末にジェリコが悪魔を倒すんだけど、その結末がですね、結局信仰の力なんですね。最後の悪魔との戦いでジェリコは神に「俺に力を貸してくれ」とか言うんですよ。それで自分の中に悪魔を取り込み、剣で自分の体を貫く。悪魔は立ち去り、ジェリコの目の前には亡くなったはずの妻と娘が天から迎えに来て、彼は笑いながら息を引き取ります。つまり、これでジェリコは救われたのです。という結末ですね。

あれれと思いました。この作品て「皆さん神を信じなさい」と言いたいんですかねぇ。「結局信仰が大事なのかYo?!」と突っ込みをいれたくなりました。これじゃあダメですね。なぜかって、この作品において神を信じていた聖職者たちの汚さ、頼りなさが随分描写されているんですね。だから、己の力のみを頼りにするジェリコがカッコよく見えるわけです。「神が許してくれる」とかいう理屈で殺人を正当化する聖職者たちがいるかと思えば、「とにかく信じろ信じろ」信じろ一辺倒の信じろ聖職者たち。

この作品に出てくる聖職者たちは、自分たちの抱える不安だとか何だとかを自分自身に引き受けず、信仰という言葉にすりかえて神に押し付けようとしている。だから殺人も正当化できる。神のせいにしているから。

個人的には、ジェリコにはあのまま自分の力だけで悪魔と戦ってほしかった。しかし、よく考えてみれば、悪魔をキリスト教の神に対立するものとして考えるのなら、悪魔を倒すのが信仰の力であるという以外に、結末のつけようがないのもわからんでもない。それか、悪魔がああやって実体化して出てくるなら神も出してしまえばよかったのかも。で、ゴジラ対キングコングみたいな感じで神と悪魔に血みどろの喧嘩をさせるとか…ダメか。

善=神で悪=悪魔なら、二つを足したのが人間だよね

この作品に出てくる悪魔は、酷く人間的で、狡猾で良かったですよ。あの力があれば、自分も似たような行動をしそうな場面がありましたからね。個人的には、ジェリコと同じくらい魅力があるのが、この悪魔でした。

ところが、人間の体に憑依していた間の悪魔は酷く悪魔らしく見えるのに、終盤、肉体をジェリコに破壊され、実体を現した悪魔は、なぜか悪魔に見えないです。単なる異形の化け物。これは非常に皮肉ですが、実際のところ「これが悪魔」なんて見本はないんだから、人間が一番悪魔の真の姿に近いわけですなぁ。つまり、悪魔てのは人間の悪の部分の集まりなんですね。だから神は人間の善の部分の集まり。てことで、神と悪魔が善悪を超越した存在だとしたら、人間には想像もできない存在なんだと思います。

この映画において実体化した悪魔は、ドロドロの粘土状の土塊みたいなのに顔があるんですけど、なんかですね、単純と言うか、発想が貧困といいますか。なんでこういうのってオドロオドロしくなるんですかね。仮に悪魔とかいうのが現実にいるとしたなら、人間の発想では絶対に思いつきようのない、素晴らしく綺麗な、美的な存在だろうと思うなぁ。

人間の発想っていうのは、自然の創造力には勝てないんでしょうね。例えば、天才の絵描きが想像上の生物を描いたとしても、おそらくキメラみたいなものが出来上がるでしょう。それは美的なものかもしれないが、自然の創造力には勝てないと思います。まぁこれは、自分の価値観でしかないですけどね。何か話が別の方向へズレているような気がするので、この辺で。

あんまりほめてないけど、面白いし、好きな作品です。

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