俺たちは天使じゃない(1989)
―1989年製作 米 101分―
解説とあらすじ・スタッフとキャスト
解説:刑務所を脱走した2人の男が巻き起こす騒動を描くアクション・コメディ。マイケル・カーティス監督による55年製作の同名作品のリメイク版で、エグゼクティヴ・プロデューサーは主演のロバート・デ・ニーロ、製作はアート・リンソン、監督は「プランケット城への招待状」のニール・ジョーダン。戯曲を脚本化したロナルド・マクドゥゲルのオリジナルを基に、脚色はデイヴィッド・マメット、撮影はフィリップ・ルースロ、音楽はジョージ・フェントンが担当。出演はほかにショーン・ペン、デミ・ムーアなど。(KINENOTE)
あらすじ:35年、アメリカ。カナダ国境近くの州刑務所に服役していたネッド(ロバート・デ・ニーロ)とジム(ショーン・ペン)のふたりは、ある日殺人犯ボビー(ジェームズ・ルッソー)の死刑執行に立ち会った際に、彼の脱獄計画に巻き込まれ、心ならずも刑務所を脱走し、ニューイングランドの小さな町に逃げ込んだ。しかし国境を越えるために身分を神父と偽ったふたりは、折からふたりの神父が来るはずだった教会に送り込まれてしまい、そのまま修道院での生活を始めるのだった。その間にもふたりは、隙をみては国境越えの機会をうかがうが、結局はうまくゆかず、そのうちにネッドは、町に住む聾唖者の娘を抱えたモリー(デミ・ムーア)という美しい女性に夢中になってゆくのだった。やがてネッド達を追う刑務所長の一行が、この町にもやって来た。そんな時ネッドは、祭りの日にカナダの姉妹関係にある教会まで行列する話を聞き参加を希望するが、障害者を同伴しなくてはならないという。ネッドはモリーの娘を頭に思い浮かべるが、モリーはなかなか承知しない。そのさ中、町で脱獄犯が射たれたというのでかけつけたネッドは、そこにボビーの姿をみた。重傷のボビーは、自分も連れて行かねばネッドたちの正体をバラす、と脅迫する。混乱の中で、偶然祭りの説教者に選ばれたジムのとっさの説教に感動したモリーが、ネッドに娘の同行を許可し、こうして行列は始まった。ところが国境への橋の上で山車に身を隠したボビーの姿が発見され、警官隊の銃の発砲で倒れたボビーの勢いに巻き込まれ、モリーの娘がダムの待つ川の中へ転落してしまう。それを見たネッドは娘を追うように川へ飛び込み、彼女の一命を救うのだった。その時、娘は口がきけるようになっていた。そして祭りは終わった。教会での生活に馴れたジムはここに残る決意をし、モリーたちとともにカナダヘ渡るネッドを見送るのだった。(KINENOTE)
監督:ニール・ジョーダン
出演:ロバート・デ・ニーロ/ショーン・ペン/デミ・ムーア
ネタバレ感想
若き日のロバート・デニーロとショーン・ペン、そしてデミ・ムーアが出演しているということで鑑賞。1950年代の作品のリメイク版らしい。
一応コメディ映画ってことみたいだけど、さほど笑える要素はなかったかなぁ。デニーロのコミカルな表情や動き、ショーン・ペンの役ごとに全くことなる印象を抱かせる演技力なんかはさすがとは思うけども。
話の内容は、囚人だった主人公二人が、誤解があって修道院の牧師になりすましてアメリカの国境を越えてカナダに逃げおおせようと目論むんだけど、修道院でのドタバタの中で、それぞれの心境が宇少しずつ変化していって、最後はお互いの道を見出してハッピーエンドを迎えるという感じのものだった。
じゃあそれがなんなんだっていうと、俺には特に何も感じるところがなかったんであり、さほど楽しめもしなかったのである。デミ・ムーアが美人だったなぁというのと、主役二人の若き頃の演技が観られたという意味ではよかったんだけど。
ちなみに、そもそも修道院を訪れるはずだった著名な神父2人は、どうして最後まで現れなかったんだろうか。そこのところがよくわからんかった。何か来れないことに対する説明とかあったかなぁ?
あったんなら、俺が集中してなくて、単に見落としてたんだろう。
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