ビバリウム
あるカップルが新居を探して不動産屋に行ったら、ヘンテコな住宅地を紹介されて、二人はなぜかその街から出られなくなってしまう。しかも、二人のもとに謎の赤ん坊が送り込まれてきて、強制的に、その子どもを育てさせられることに。いったい誰が、何のために二人にこのようなことをさせているのか。ネタバレあり。
―2021年公開 白=丁=愛 98分―
解説とあらすじ・スタッフとキャスト
解説:第72 回カンヌ国際映画祭批評家週間にて、新しいクリエイターを奨励するギャン・ファンデーション賞に輝いたスリラー。若いカップルが不動産屋に紹介された住宅地を訪れたところ、住宅地から抜け出せなくなった上に、素性の知れない子を育てる羽目になり……。監督は、初長編「WITHOUT NAME(未)」がブルックリン・ホラー映画祭で作品賞など4冠に輝いた新鋭ロルカン・フィネガン。「ハミングバード・プロジェクト 0.001秒の男たち」のジェシー・アイゼンバーグと「グリーンルーム」のイモージェン・プーツが、奇妙な街から出られなくなるカップルを演じる。イモージェン・プーツは本作で第52回シッチェス・カタロニア国際映画祭最優秀女優賞を受賞。(KINENOTE)
あらすじ:新居を探しているトム(ジェシー・アイゼンバーグ)とジェマ(イモージェン・プーツ)は、立ち寄った不動産屋から、全く同じ家が並ぶヨンダーという住宅地を紹介される。家を内見し終えたところついさっきまで案内していた不動産屋が見当たらない。不審に思い帰路につこうと車を走らせても、どこまでいっても景色が一向に変わらず、住宅街から抜け出せなくなっていた。そんな二人のもとに、一つの段ボールが送られてくる。ダンボールを開けてみると、中には誰の子かわからない生まれたばかりの赤ん坊が入っていた。箱には、育てれば解放されるとの文字が書かれており……。(KIENOTE)
監督:ロルカン・フィネガン
脚本・原案:ガレット・シャンリィ
原案 ガレット・シャンリィ
出演:イモージェン・プーツ/ジェシー・アイゼンバーグ/ジョナサン・アリス
ネタバレ感想
意味不明。解説も種明かしもない
ビバリウムってのは飼育箱的な意味があるみたい。この作品においてはその訳が適当な感じだろうか。
しかしまぁ、短いお話の割には退屈。謎めいた展開はけっきょく最後まで謎のままで終わっちまうので、この手の映画が好きな人は好きだろうし、そうでもない人にとっては酷評されるんじゃなかろうか。意味不明で解説や種明かしもなしで終わっちゃうから、何だったのかを自分で考えなくちゃいけない。
カッコウの生態
であるから考えてみた。まず、冒頭のカッコウの生態みたいなんを紹介してるシーン。あれはまんま、この物語の流れを言ってるんではなかろうか。要するにそれは、ごく普通のカップルであるジェマとトムーー特にジェマが自分の子どもではない何かを育てさせられることになるという。
ただし、トムは“アレ”=マーティンを育てることを積極的に拒否している。しかし、ジェマは拒否しつつもマーティンを拒否しきれないでいて、それによってトムとの仲に亀裂が走る時期も出てくる。最終的には和解して元の仲に戻ることになるけども、ジェマは母性が働いたのか、一時期においてはマーティンを息子のように感じて育てている。
カッコウに巣を取られた母鳥が、カッコウを自分の子どものように感じて(いるかどうかは確かめようがないが)育てているように。
生みの親より育ての親 なんて言葉があるが、子どもから見れば確かにそうなんであって、マーティンにとってはジェマはママなんだろう。ラストにジェマから「私はあんたの母親なんかじゃない」と拒否されると、「あっそう」で済ませてしまうところは、人間的ではないんだが。
アレ=マーティンや、あの世界そのものは何?
じゃあ、あの忌々しい子どもは何なのかというと、その辺は謎。四つん這いになったり、同種とコミュニケーションするときに、喉を膨らましてるその姿はカエルを連想させるけども、じゃあカエル星人たちが何を目的にあんなことを人間に強いているのかとか、そういう細部を説明するシーンやセリフはない。
終盤でマーティンがジェマに襲われて、道路と家の敷地の段差をめくって逃げた先の世界も何なのか。ジェマやトム以外にも、同じ境遇にさらされてる人がいたこと(いること)を示唆していたようだが、あの世界が別次元の世界なのか、同一の世界の別の住人なのかなども、さっぱりわからない。
また、トムが穴を掘り始めたとき、どうせ文字通り、彼は墓穴を掘ったことになるんだろうなというのはそのままそうなったんだけど、彼が穴の底で見つけた死体みたいのって何だったのかね。あれは自分自身だったのか、彼よりも先に9号に住んでいた人だったのか。
生まれて、生きて、死んだ
ということで、映画の表面的な部分だけでは、なんだかよくわからん内容だった。その表面的に語られていることとは、謎の存在の手により、外部のない世界に閉じ込められたカップルが、そこで自分のではない子どもを育てさせられて、かなりの期間を経たあとで、病気やらで死んで、その生を終えていくということ。
つまり、リアルな俺らの人生と、主人公らについて描写されていたことの共通点は、ある人間が生まれて、生きて、死んだということだけ。で、主人公たちが他の人と少し異なるのは、自分の意志ではなく、何かを育てることを強いられているということなんだけども、これってのは、ごく普通の人間も、人によっては子どもを産み、育てて、そして死ぬということで、強いられていることを除けば多くの人は子どもを育てて死んでいる。
バカだねママ、それが自然なのだ
であるから、ジェマが最後のほうで「私は何者なの? 私の役割は?」的にあの世界における自分について自問自答(マーティンに聞いてたかも)してたけども、それって現実の俺らだって同じといえばおかれている境遇は同じなのだ。
俺だって、自分が生まれたことに対して、果たすべき役割が何かなんて、わからない。ジェマはマーティンに、「バカだねママ」と言われている。まさしく、そうだ。そんなこと、考えたってわかりゃしないんだから、根源的には、どんな答えも、ない。
ということで、あの世界に閉じ込められようがリアルの世界だろうが、人間が死ぬまでにやってることを要約してみると、生まれて死ぬことだけなのは誰でも共通で、それがある意味で、人間の自然な生であるということを皮肉っているんではなかろうか。
世の中は不条理で意味不明
ただ、個人的にはそんなことを突き付けられたって、「そんなん知ってるし、そんな当たり前のことを言って何になるのか」と思っちゃうので、さしたる驚きも絶望もなく鑑賞を終えてしまった。この世界が在ること、そして、その中に自分が存在していることなんてのは、そもそも不条理でわけのわからんもんだ。別に生まれてくる必要なんてなかったのに、それでも、こうして生かされてしまってる。これが不条理でなくて何なのか。
しかし、そうした道理の通らぬ無意味な存在でありながらも、社会生活を送る中では何かの目的や意味を求められるのが人間社会のめんどうさで、構築された共同幻想をリアルなものとして生きている人にとっては、人生に意味や目的みたいのがあってしかるべきで、そこに何の疑問も持たずに生きているんだろう。
ただ、そうではない、本質的には社会生活ってのは実体のないもので、みんなが共同幻想をよりどころにして生きているように感じちゃう人にとっては、生きるのはなかなかつらく、面倒くさくなるときもあるだろう。
そして、上述したこの作品が突き付けている皮肉ってのは、共同幻想から覚めることのできなかった、ジュマのような人間に対してのものではないかということだ。
ただし、この解釈は俺がそういうような考え方をする人間なのでそう見えただけであって、ある意味では映画を通して俺が、自分自身を読み込んだだけのような気がするのも確かである。
資本主義に対する風刺?
もう一つ、別の見かたで考えると、この作品は、みんな同じような住宅に住み、加工された似たような食品を口にしてる現代人を風刺しているとも言える。加工された食品は味もなく、食うことの喜びもなくなってしまっている。
二人が閉じ込められた住宅街は、まさに俺らが住んでる現実を極限まで画一化して描き、その中で生きている人間は、リアルな俺らの生活様式と変わらないものなのだと、からかっているのだ。言い換えるなら、行き過ぎた資本主義社会を皮肉っているという言い方もできる。
ジェシーアイゼンバーグとイモージェンプーツの演技がよい
てなことで、さっきも書いた通り、短い尺だけども、退屈な展開のため、むしろ長尺に感じる内容だったが、とはいえ楽しめなかったかというとそうでもなかった。それは大雑把に考えてきたように、いろいろな解釈ができそうな奥行きがあるからだ。
また、解釈云々は別にして、アレ=マーティンの意味不明とも思える言動なんかは、まさに俺たち人類とはまったく思考のカテゴリーが違う生命体に遭遇したときのシチュエーションを想起させるし、何より、その存在が不気味で怖い。
ジェシーアイゼンバーグとイモージェンプーツの抑え目な演技もなかなか良くて、二人の演技力がこの作品に力を与えているように感じた。
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