アイリッシュマン
―2019年公開 米 210分―
解説とあらすじ・スタッフとキャスト
解説:Netflixオリジナル映画。第2次大戦後のアメリカ裏社会で、ある殺し屋が見た無法者たちの生き様をマーティン・スコセッシ監督が描き出す。出演、ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノ、ジョー・ペシほか。11月27日よりNetflixにて全世界同時配信。日本では配信に先駆けて劇場限定公開。第32回東京国際映画祭特別招待作品。(KINENOTE)
あらすじ:フランク・シーランは全米トラック運転組合(チームスター)の一員として長らく活動していたが、その傍らでブファリーノ・ファミリーと共に犯罪行為に手を染めていた。ファミリーの依頼で人殺しも行ってきたシーランだったが、彼が関与した事件の中にはジミー・ホッファの暗殺も含まれていた。本作は最晩年のシーランの回想という形を取りながら、ホッファ暗殺の真実や労働運動とマフィアの結びつき、裏社会に生きた者の悲哀を描き出していく。 (Wikipedia)
監督:マーティン・スコセッシ
出演:ロバート・デ・ニーロ/アル・パチーノ/ジョー・ペシ/ハーヴェイ・カイテル
ネタバレ感想
マーティンスコセッシのギャング映画ときたら、観ないわけにはいかないし、メチャクチャ期待してネットフリックスの配信を指折り数えて待っていた。ところが、なぜか配信する前から劇場公開も始まって、なんだよ、それなら劇場で観たほうがいいじゃんと思ったけども、いろいろ予定がつかず断念。けっきょく、配信から数日後、ようやく鑑賞できた。
何で配信日に観られなかったというと、この映画が長尺だからだ。長いからだ。長い映画は観るのに覚悟がいるというか、時間調整が…。とかそんな話はどうでもいい(笑)。
ともかく、犯罪映画、暴力映画好きな俺が、今年もっとも期待していたといっても過言ではない今作を鑑賞して、まず思ったのは俺はアル・パチーノが大好きだということだ。デニーロも嫌いではないが、パチーノが好きなのだ。それに気付いた。というのも、今作はパチーノ扮するジミーホッファが出てきてから俄然面白くなってくるし、彼が死んでしまってからは、後日談みたいな感じで淡々と劇終を迎えていく印象があったからだ。
どうしてそう思ったかというと、俺がアル・パチーノが好きだからだ。鑑賞中にそれに気付いたのだ(しつこい)。今作のパチーノは、『ヒート』の主演やってた頃くらいに若返っている。それはCGとか使っているからなんであって、彼自身が若返ったわけではない(当たり前)。
それはデニーロも同様だ。ただ、デニーロは青年期から老年になるまでの役を演じてるんだが、さすがに若返り感に乏しい。それでも現実の彼と比べたら十分若返ってるんだけども、さすがに青年期を演じるには無理があって、あまり違いがわからない。そのため、過去や現在を行ったりきたりする描写が、わかりづらくなっているようにも思える。
まぁそれは仕方ない。現実のパチーノもデニーロも俺の親父くらいの年だから、70超えてるわけだし。ジョー・ぺシはもう、登場した頃から最後まで、いつ死ぬのお爺ちゃん? て感じに老けている。老けすぎて最初、ジョーぺシってことがわからなかったくらいだ。
さらに、さらに、俺の大好きなハーヴェイカイテルまで出てる。もっと活躍してほしかったけど、マフィアのボス役で、メガネかけてる彼が、貫禄あってメチャかっこいい。
というようにスコセッシ監督の常連役者に、パチーノが加わった今作。…よく考えたら、パチーノがスコセッシ監督作品に出てるの、初めてだよね? まぁともかく、若返り加工は少し無理があるように感じるものの、素晴らしい役者たちが演じてる今作は、話云々以前に、それだけで鑑賞する価値がある作品だ。
で、劇中、ラッセルがケネディ暗殺に触れる場面がある。やったのは裏社会だと。なるほど、いろいろの説があるけども、これを観るにそれができそうな感もある。
内容については他にいろいろ書きたいことはあるけども、初見ではすべてを言い切れないし、味わいきれてない部分もあるので、それは書かない。いずれ、また本作を見返して、そのときに何か書けたらいいな。ともかく、長い話だけど、スコセッシ最新作を観れてよかった。
ということで、パチーノやデニーロが好きな人は、鑑賞しないわけにはいかない良作です!
早くも2回目を鑑賞した。ということで、前作よりも話は理解できたので、もう少し踏み込んだ感想を書く。
今回鑑賞してて思ったのは、フランクはサラリーマンの中間管理職みたいだなということ。ラッセルとジミーの間で板挟みになっているところなんて、まさしくそれ。
にしても、何でああなっちまうんだろうか。フランクは本当は、ジミーを殺したくなかったはず。とは言え、ラッセルに歯向かうのが嫌だったのもわかる。しかし、この男はあまりにも自分の意見がないのである。意思がないように見えてしまう。
その原因は、彼の戦争体験にあるようだ。命令に機械のように従い、機械のように人を殺しているうちに、自分の心がなくなったのである。
もちろんそれは気の毒である。ただ、それが原因であるにせよ、彼は復員後も権力に対して唯々諾々として従ったことに変わりはない。その中に自分の意思はないかもしれない。でも、彼は一生懸命仕事しているだけだったのだ。悪いのは自分で手を汚さないラッセルであり、他人にへりくだれないホッファだろう。
フランクの仕事が仮に殺人じゃなくて、単なる本当のペンキ塗りだったとしたら、この話は成り立たない。しかし、会社員がやってることってそういうことだよね。生活のために仕事をしている会社員にとっては。
スコセッシの過去作からできる解釈とか、まぁいろいろあるだろうし、例えば評論家の町山智浩氏の本作についての映画無駄話なんかは聞いてて楽しめたけど、俺にとってのこの映画は、中間管理職の辛さを描いたものに見えたのである(笑)。
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