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映画 クローブヒッチキラー ネタバレ感想 ラスト結末がおかしいがつまらなくはない

クローブヒッチキラー
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クローブヒッチ・キラー

敬虔なクリスチャンの家族の長男として育った16歳のタイラーは、10年前に起きた連続殺人事件の犯人が父なのではないかという疑惑を抱く。不安に駆られた彼は同事件を独自に調べている同級生の女子と協力して真相究明に乗り出すのだが――。ストーリーがなかなか面白く、中盤以降の真相がわかってからの展開はお笑い要素もあって楽しめるが、ラストが納得いかない惜しい作品。ネタバレあり。

―2018年製作 米 109分―

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解説とあらすじ・スタッフとキャスト

解説:「荒野にて」で注目の新星チャーリー・プラマー主演のミステリー。16才の少年タイラーはある日、父ドンの小屋で不審な写真を発見。10年前の未解決事件巻き結び連続殺人事件の犯人ではないかと疑惑を抱き、少女カッシと共に真相究明に挑むが……。共演は「サバイバー」のディラン・マクダーモット、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」のマディセン・ベイティ。(KINENOTE)

あらすじ:信仰を重んじる小さな町で、貧しくも幸せな家庭で暮らす16才の少年タイラー(チャーリー・プラマー)。ある日、彼はボーイスカウトの団長も務め、町の人たちから信頼厚い父ドン(ディラン・マクダーモット)の小屋に忍び込み、猟奇的なポルノや不穏なポラロイド写真を見つけてしまう。調べを進めるにつれ、10年前に起きた未解決事件巻き結び(クローブヒッチ)連続殺人事件の犯人が父ではないのかと疑惑は増すばかり。そこで、同じように事件を追う少女カッシ(マディセン・ベイティ)の協力を得て、真相を究明しようとするが……(KINENOTE)

監督:ダンカン・スキルズ
出演:チャーリー・プラマー/ディラン・マクダーモット/マディセン・ベイティ/サマンサ・マシス

ネタバレ感想

敬虔なクリスチャンたちの暮らす土地

2018年製作、日本では2021年に公開されたが、まったく存在を知らなかった。今回、レンタルで見つけて鑑賞。興味を惹かれたのは、犯人が捕まっていない10年前の連続殺人鬼のお話だったというところ。

この殺人鬼は女性だけを狙ってさらっては、ロープなどで緊縛して拷問にかけて殺害していたらしい。どうやらサディスティックな性癖があるみたいだね。んで、思春期真っ盛りの主人公、タイラーは敬虔なクリスチャンの一家に生まれてて、どうも物語の舞台になる土地の人々はみんな信仰心の篤い人たちみたいなので、異教徒にはさほど寛容ではない。それは10代の若者たちもそうで、それはその土地の慣習というか、つまりまぁ、キリスト教的な価値観が生活のすべてであるような街なのである。

タイラーとダン、父子の物語

であるから、タイラーの父、ダンも、というか彼自身がタイラーにキリスト教的生き方のなんたるかを教えているわけで、それはタイラーの母もそうで、ともかくタイラーはそうであるがゆえに、自分の性欲などを持て余しているようで、そこをダンにたしなめられたりもしているが、しかしまぁ、普通の青年であるからして異性との交遊はしたいわけで、やっぱり戸惑いもなくもない。

そうであったのに、頼りにしてて、自分の人生の指針であったような父親が、実はサディスティックな性癖を持っているんじゃないかという疑惑を持ってしまって、いろいろ逡巡しつつも、父の疑惑について解き明かそうとするのがこの物語の軸になる部分だ。

タイラーにとっては父がそういう人間であってほしくはないという思いがあるのに、現実は残念ながらそうではなく、最終的に父がクローブヒッチキラーであったことは動かしがたい事実であったことを知る。そして、彼はどのような選択をするのかが、この物語の結末につながっていく。

ダンの正体がバレてからが笑える

てなことで、冒頭でも述べた通り、ラストに至るまでの展開は地味でありながらもけっこうおもしろい。特に、タイラーの追及を受けてダンが自分のアニキ(現在はケガで障害があるので車いす生活&廃人同然)がクローブヒッチキラーであったという偽の真相を述べてから以降の、ダンの行動が笑えるのだ。

例えば、自分がコレクションしていた過去の殺人記録などをタイラーの前で焼却するところ。火をおこしたドラム缶の中にそれらの記録を投げ入れる姿は、すごい不貞腐れているように見えるし、名残惜しそうだし、どっちが父でどっちが息子なのかわからん逆転現象(笑)。

さらに、それらの記録がなくなってしまったせいか、自分の性癖を抑えきれずにベットの上でジタバタする様はおもちゃを買ってもらえずに駄々をこねる子どものようだ(笑)。これは笑わせに来ているような描写ではないんだが、彼の行動の一部始終が滑稽。しかもあろうことか、自分が女装してロープで首を絞められているようなシチュエーションをつくって写真撮影とかしちゃってるからね。

ダンと兄貴とDV疑惑

ちなみに、彼が兄貴に罪を着せる話をタイラーにするくだりで、彼の言には真実を語っていると思われる部分もある。これは俺の推測にすぎないが、おそらくダンと兄は、若いころから女性を緊縛したいという欲望があったようで、最初は二人で女装してお互いを撮影しあったりして楽しんでいたのではないか。

ところが、ダンのほうは本物の女性でそれを体験してみたい欲求が抑えがたく、犯行に及ぶようになったのではないかと。で、それを止めようとしたのか、その真相を知った兄はなんらかの形で大けがを負うようになってしまったという。

まぁその辺が真実かどうかってのはこの物語にはさほど意味をなさないので、俺の妄想の域を出ることはない。にしても、ダンが衝動を抑えきれずに女性を襲っているシーンで彼が怒りと共につぶやいていたのは、自分の父親がクズ人間であったということだ。もしかしたら、虐待を受けていたのかもしれない。

こうした連続殺人鬼ものでよくあるのは、後の殺人鬼になる存在の育ての親である父が、敬虔なクリスチャンであって、そうであるがゆえに、子どもたちに信仰を押し付けるその行為自体がDVになってしまっているというケース。具体的に作品名が思い浮かばないんだけど、こういうのってキリスト教圏の映画作品で観たことがあるような気がする。

で、想像するに、この作品におけるダンも、彼がサディスティックな性癖を持つに至ったのは、そうした父親との確執というか、教育があったからではないかと推測しうる。その反面教師として彼は、タイラーをきちんと育てていたという姿を見るに、表向きは善き父親なのである。しかし、その裏側には殺人鬼的な欲望と常人とは異なる精神構造を抱えているという。

ダンの束縛から離れて成長するタイラー

常人とは異なる精神構造というと、ラストのほうでタイラーが父に銃を向けるシーンだ。ダンはタイラーが自分を撃てるとは思っていない。だから、彼を説得して銃を取り上げることに成功する。しかし、ダンはその銃口をタイラーに向けて引き金を引いてしまうのだ。

これはダンが息子への愛よりも自分だけの善悪の基準で自身の欲望を満たさんとした決定的なシーンで、タイラーによって自身の本質を試されたのであり、父子との対立に彼は負けたのである。父ではなく一人の人間としての欲望を選んだわけだから。であるから、タイラーの手によって葬られることになる。タイラーは父を乗り越えて、自立した男として成長したのだ。

ラストの説明不足が酷い

という結末は悪くないんだけども、でも、どうしても納得いかないことがあって、この作品のエンディングは非常に残念なものになっている。タイラーと彼の協力者の女性、カッシによって、ダンは行方不明扱いにされ、後日発見された遺体は銃の暴発による死亡とされる。つまり、この殺人事件の真犯人はいないままにされる。

しかし、ダンに襲われて乱暴されていた女性がその後、どうなっちゃったのよ。死んだの? 生きてたの? 死んだならその遺体とかどうなるんだよ。誰が隠すんだよ? 生きてたらタイラーとカッシの隠蔽工作は成功しないよね。その辺の説明がないのはおかしい。

さらに、カッシは自分の母親をダンに殺されてるのに、なんでタイラーの選択を支持するんだよ、おかしいだろ。

ついでに言うと、ラストのほうで、ダンが殺害された可能性もあるとして、タイラーに聴取を求めてくるんだが、母親がそれを拒否するシーン。あれを見るに、母親はダンの性癖を知ってたようなセリフを言ってる。まぁセックスをしてる相手なんだから、ある程度は知ってておかしくないとは思うが、もしかすると、母親はすべての真相をしっている可能性もあるなぁと思わされて、仮にそうだとしたら母親もまた、かなりのサイコ野郎だと考えられる。

ということで、再鑑賞すると他の発見もあるかなぁと思える、なかなかの面白作品ではあった。

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