サマー・オブ・84
オカルト好きな15歳の少年とその友人たちの、夏休みに起こった出来事を描く、ホラーなのかミステリーなのか青春映画なのか、それらをごったまぜにした印象の作品。ネタバレあり。
―2019年公開 加 106分―
解説とあらすじ・スタッフとキャスト
解説:「ターボキッド」の映像制作ユニット・RKSSによるスラッシャー映画。1984年、夏。郊外に暮らす15歳のオカルト好き少年デイビーは、ひょんなことから向かいの家に住む警官が連続殺人犯なのではと睨み、親友3人とともに独自に捜査を開始するが……。出演は、ドラマ『グッド・ドクター 名医の条件』のグラハム・バーシャー、「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」のジュダ・ルイス、「ライ麦畑で出会ったら」のカレブ・エメリー、ドラマ『THE 100/ハンドレッド』のコリー・グルーター=アンドリュー。(KINENOTE)
あらすじ:1984年、夏。オレゴン州イプスウィッチの緑豊かな郊外の住宅街で暮らす15歳のデイビー(グラハム・バーシャー)は、エイリアン、幽霊、猟奇犯罪などの記事の収集に余念がない好奇心旺盛な少年だった。近隣の町で同年代の子供たちが狙われる連続殺人事件が発生し、デイビーは向かいの家に住む警官マッキーが犯人ではないかと睨み、親友のイーツ(ジュダ・ルイス)、ウッディ(カレブ・エメリー)、ファラディ(コリー・グルーター=アンドリュー)とともに独自に捜査する。やがてデイビーの前に、彼の想像をはるかに超える恐ろしい現実が現れる……。(KINENOTE)
監督:フランソワ・シマール/アヌーク・ウィッセル/ヨアン=カール・ウィッセル
出演:グラハム・バーチャー/ジュダ・ルイス/ティエラ・スコビー/リッチ・ソマー/カレブ・エメリー/コリー・グルーター=アンドリュー
ネタバレ感想
冒頭に書いたように、いろいろな要素をぶち込んでみた作品という印象。何となく、『スタンド・バイ・ミー』的な青春要素に、『イット・フォローズ』の暗い雰囲気を混ぜたような感じとでも言おうか。
個人的な感想としては終盤まではけっこう退屈で、ラストの20分くらいからの展開はなかなか楽しめた。終盤までの展開がなぜ退屈なのかというと、ほとんど何も起こらないから。思わせぶりというか、ラストに至るための伏線的事件や出来事はあるものの、描かれるのは、主人公のデイビーの日常なのだ。
その日常の中に、連続殺人鬼の捜索という活動があるんだけども、彼は本気で隣人を犯人だと思い込んでいるものの、鑑賞者も、彼の両親も、単なる子どもの妄想だろーーと思わせる展開が続き、ほぼそのままで物語は結末を迎えそうになる。
主人公とその友人3人が、その連続殺人鬼を捜すくだりが軸なんだけども、そこがそもそもあんまり面白くなくて、恐ろしげな音楽を流したり、突然人が現れてビックリさせるホラー的な定番演出などはあるものの、逆に言えば、怖がらせる要素がそれしかないのだ。
だから、スプラッターシーンなどがいつ起きるのかと期待している鑑賞者や、殺人鬼に追いかけまくられる展開を期待している人にとっては、かなりストレスがたまるだろう。
俺はこの映画の予備知識がまったくなくて鑑賞したので、この映画が何をしてくれるのか、どこへ行こうとしているのかが気になって最後まで鑑賞できたが、だがしかし、やっぱり終盤までの展開は退屈だった。
前述したように、軸となる犯人捜しのくだりがスリリングではなく、核心への迫り方も、子ども的発想と行動によるものなので、「自分も昔、近所に痴漢が出るという噂に対して、あんなように勝手に容疑者つくって疑ったことがあったなぁ」なんて、幼い頃に思いを馳せてノスタルジィを感じた部分はある。でもそれは、俺の単なる思い出を作品によって想起させられただけなので、別に物語の楽しさには寄与しない。
友人との関わりや、年上の女の子との淡い関係づくりも、さほど物語に大きな効果を与えているように思えない。彼ら各人の家庭環境の紹介なども、さほど深堀はされないため、物語展開に大きく作用するようなものは、ない(皆無とは言わないけど)。
で、彼らの友情を描いたのかというと、デイビーとデブの友情は多少描かれたが、残りの二人とはそうでもなく、それが確かに子ども時代の友人関係としてはリアルであるかもしれないが(特にラストの描写など)、しかしやっぱり中途半端感は否めなかったのである。
と、いうことで、ラスト20分くらいの展開には「そうくるか~」という驚きはなくもなかったので、楽しめた。なかなか無常ですな。デブとそのお母さんが気の毒。個人的には、デイビーはあの夏の出来事が尾を引いて、暗く、まともな生活のできない大人になっていくだろうと想像する。
本作は1984年が舞台になっている。スマホがない時代なので、主人公たちの犯人捜しのツールも、無線機など、当時の道具によるもの。でもこれって、時代設定を80年代にした意図はどこにあるんだろうか。よくわからなかった。どうせその頃の話にするなら、ラストは同時代のデイビーを描くよりも、30年以上経過した現代に話を移し、大人になったデイビーが未だに殺人鬼に怯えている生活を送っている描写をしたほうが、より恐怖が増したように思うんだが。
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