さがす
―2022公開 日 123分―
解説とあらすじ・スタッフとキャスト
解説:「岬の兄妹」で注目された片山慎三監督の長編2作目にして商業デビュー作。第26回釜山国際映画祭ニューカレンツ部門に正式出品された。懸賞金300万円がかかった指名手配中の連続殺人犯を追って姿を消した父と、その父を不安と孤独を抱えながら探し求める娘の姿を描く。苦悩と矛盾に満ちた人生を歩んできた父・原田智役を佐藤二朗が演じる。娘の楓役をオーディションで勝ち取ったのは「湯を沸かすほどの熱い愛」「島々清しゃ(しまじまかいしゃ)」の伊東蒼。指名手配中の連続殺人犯・山内照巳を演じるのは「ホットギミック ガールミーツボーイ」「東京リベンジャーズ」の清水尋也。自殺志願者・ムクドリ役には『全裸監督』の森田望智が起用された。大阪出身の片山監督の父が指名手配犯を見かけたという実体験から生まれたオリジナル作品。(KINENOTE)
あらすじ:大阪の下町で平穏に暮らす原田智と中学生の娘・楓。「お父ちゃんな、指名手配中の連続殺人犯見たんや。捕まえたら300万もらえるで」。いつもの冗談だと思い、相手にしない楓。しかし、その翌朝、智は煙のように姿を消す。ひとり残された楓は孤独と不安を押し殺し、父をさがし始めるが、警察でも「大人の失踪は結末が決まっている」と相手にもされない。それでも必死に手掛かりを求めていくと、日雇い現場に父の名前があることを知る。「お父ちゃん!」。だが、その声に振り向いたのはまったく知らない若い男だった。失意に打ちひしがれるなか、無造作に貼られた「連続殺人犯」の指名手配チラシを見る楓。そこには日雇い現場で振り向いた若い男の顔写真があった。(KINENOTE)
監督・脚本:片山慎三
出演:佐藤二朗/伊東蒼/清水尋也
ネタバレ感想
「岬の兄妹」の片山慎三監督作
2022年、ようやく劇場で1本目の映画を鑑賞。それなりに評判がいいみたいなので、期待をして観に行ってきた。この作品の片山慎三監督は、『岬の兄妹』の人なんだってのを、鑑賞後に知った。この人は社会の底辺というか、生きづらい環境にいる人たちを描くのを意識してるんかなぁて感じの内容。
てなわけだから、話自体はけっこう暗くて、例えば障害のある人の介護の問題であったり、安楽死の問題であったり、性倒錯者の犯罪を題材にするなど、今日のいろいろな社会問題を詰め込んでいる印象。
深刻で辛い話ではあるが
で、今作の指名手配中の連続殺人鬼は過去に起きたいろいろな事件の犯罪者の特徴なり犯罪手口を模倣した役どころとして登場してくる。白いソックスを履かせた死体に欲情するってのはかなりの逸脱感があるんだが、この犯罪者がなぜその性癖を得たのかの背景は描かれない。まぁその辺の犯罪者が犯罪者になるに至った部分てのは、話の大筋に関わる部分ではないから特に違和感はないんだけど。
とはいえ、前評判というか、それなりの評価を得ているのを知っていて、かなり重たい話で、生きることの辛さとか悲しみとかそういうのをこれでもかと突き付けてきて、それを味わうことでラストに負のカタルシスみたいなんを得られることを俺は期待してたんだけども、率直に言って、期待しすぎだったかなというのが感想。
確かに最後まで観ているものをひきつける物語展開はいいと思う。あえて時系列をいじったり視点を変えることで、登場人物、特に佐藤二朗が演じた智という人物がいかなる人間であったかとわからせる構成は面白いし、それはうまくいっている思う。
だが、なんというか、描かれている内容は深刻でなかなか辛い話ではあるんだが、個人的にはさほど何かが得られた感じはしなかった。
娘と母の関係は?
特に物語中で不満が残ったのは、娘の存在だ。この話は行方をくらました父を彼女が捜していく中で、父親という人物が何者であったのかを見出していく内容になっていて、最初のパートはその娘の視点で描かれるからそれはいいんだけども、殺人鬼や父親の視点の物語にうつってからは、彼女の存在がラストまでさほど重みをもたなくなっているように感じる。
もっとも違和感があるのは、難病を抱えた娘の母との関係が全くと言っていいほど描かれていないところ。智が病に苦しみ自暴自棄になっている妻を献身的に介護している様や、その過程で妻を殺すことを選択するまでの間に、娘の存在がほぼ出てこないのだ。
すべては智の思惑の中で事が運んでいて、娘がまったく不在。娘に愛情を抱いているであろう男として描いているように見えるのに、母親の問題について何も共有されてないというのは、何とも片手落ちな描き方という印象はぬぐえない。
ラストの展開、その結末は納得できるんだけど
だが説得力に欠ける
そうであるのにラストの部分で、娘は智という父親がいかなる人間だったかを見出し、そしてある選択をするわけだが、上述したように娘の存在が序盤以降で薄くなりすぎて、ラストで彼女があれだけの存在感を出してくることにあまり説得力がないように思えた。
あそこまで娘の存在を消すなら、あのまま智の人間性をこれでもかと見せつけ、それが破滅に至るようになる展開のほうが面白かったような。
そのような破滅に至る俺の妄想した展開は以下のようなもの。
こういうラストを予想した
智は妻を間接的に殺し、殺人鬼と自殺志願者の女=ムクドリを自らの手で殺している。そして、それぞれの殺人の意味合いはあたりまえだがまったく異なる。
どういうことかと言うに、ムクドリ殺しの時、相手は死を心底望んでいたからから、智に対して抵抗をしない。しかし、彼女は例外なのだ。なぜなら殺人鬼がムクドリを殺すとき(殺しきれてないが)に彼は、「俺が殺してきた人間たちに、本当に死にたがっている奴なんていなかった」とムクドリにいうのだ。つまり、ムクドリ以外の自殺志願者は、いざ死ぬ瞬間には、それを拒否したということだ。
智はその事実を知らない。ムクドリは抵抗しなかったから。しかし、彼女は例外なのだ。自殺をほのめかす人間で、人の手を借りて死のうとしている人間が、実はいざ死を目の当たりにすると、それを避けようと抵抗しようとすることを。
であるから智は、ラストで登場する最後の自殺志願者を「救ってやろう」とするのである。死をもたらすことで、相手の人生を救ってやろうとするのだ。金も得られる。智は相手を救ってやろうと活動するのである。
それで、智は最後の自殺志願者を自分の手で殺してやろうとするものの、志願者は死を恐れたのか思わぬ抵抗にあって失敗。それが原因で警察に逮捕されることになるーーというのが俺の期待した妄想展開。
ところが当然そうはならない。この物語ではラスト、その自殺志願者は智の娘だったことが判明し、彼女によって智は断罪されることになるのだ。
確かにこの展開のほうが、智にとっては心に負う傷や悔恨の念は深いだろうと思われる。であるから物語的に重さがあるのは、俺の妄想したラストよりも、オリジナルのラストであるのは間違いないと思われるのに、やっぱりそこにカタルシスがないのだった。それはやっぱり、娘の存在の描き方に問題があったのではないかと思うのである。
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