ナチュラル・ボーン・キラーズ
ウディ・ハレルソン扮するミッキー、そしてジュリエット・ルイスが演じるマロリー。二人は善悪の基準を普通の人間と同じく持っているものの、その一線を越えることにためらいがない。だから笑いながら人を殺せる。この作品が示しているのは、殺人鬼をヒーローに祭り上げるメディアとそれに踊らされる大衆への風刺だと思われる。ネタバレあり。
―1995年公開 米 119分―
解説とあらすじ・スタッフとキャスト
解説:永遠の愛を誓い、殺人を繰り返すカップルの逃避行を描いたヴァイオレンス映画の問題作。欧米各国で年齢制限公開や上映禁止となったことも話題を呼んだ。暴力そのものの描写は極めてあっさりとしており、殺人や暴力を娯楽として消費していく現代アメリカ社会、及びメディアに対する痛烈な諷刺に主題が置かれている。35mmから粒子の粗い16mmフィルム、さらにVTR映像へ。カラーからモノクロへ、またはその逆。スクリーンプロセスやアニメーション合成、実際のニュース映像、映画やテレビ作品の断片の唐突な挿入など、夥しいイメージショットで目まぐるしく変転する凝った映像と編集が特徴的。監督は「ドアーズ」「JFK」「天と地」と、90年代に入りコンスタントに話題作を提供しているオリヴァー・ストーン。製作はジェーン・ハムシャー、ドン・マーフィー、クレイトン・タウンゼンドの共同。「レザボア・ドッグス」「パルプ・フィクション」のクエンティン・タランティーノがビデオショップで働いていた頃、「トゥルー・ロマンス」に次いで書き上げた2本目のシナリオの映画化だが、彼とストーンの間で意見が衝突。結局、タランティーノのシナリオは原案として、リチャード・ルトウスキー、デイヴィッド・ヴェローズ、ストーンが脚本を執筆した。以下略。(KINENOTE)
あらすじ:片田舎の名もない町のハイウェイ沿いのレストラン。客もまばらな店に、ミッキー(ウディ・ハレルソン)とマロリー(ジュリエット・ルイス)の2人が立ち寄る。ジュークボックスに合わせて踊るマロリーを卑猥な仕種ではやし立てる地元の中年男たち。突如マロリーは彼らに襲いかかり、強烈なパンチを食わせ、ミッキーの銃が火を吹く。楽しむようにいあわせた者を惨殺した2人は、レジの金を掴むとただ1人だけ生かしておいた女に「ミッキーとマロリーがやったと言え」と告げる。マロリーは幼い頃から父親(ロドニー・デンジャーフィールド)に性的虐待を受け、母親(エディ・マクラーグ)は黙って見ているだけだった。ある日、マロリーは肉屋の配達人だったミッキーと出会う。互いにひと目惚れした2人は父親の車を盗んで旅立つがあえなく捕まり、ミッキーは刑務所へ。強制労働の最中に竜巻に乗じて脱走したミッキーはマロリーの家へ向かい、2人で父親の頭を金魚鉢に沈め、母親をベッドに縛って火を放つ。やっと自由を手にした2人はルート666をひた走る。傷つけた手の平を合わせて血を分かち合い、永遠の愛を誓った。道を教えてくれた警官を射殺したり、町で拾った女の子をモーテルの部屋に監禁してその前で行為に耽る2人は、いつしかマスコミによって英雄に崇められる。52人を殺した彼らに憧れる若者は後を絶たなかった。そんな彼らを、有名犯罪者を捕らえて名声を手に入れ、ベストセラーを書きたいと考える暴力刑事ジャック・スキャグネッティ(トム・サイズモア)と、2人をスターに仕立てて独占インタビューを行い、視聴率を上げようと画策するTV番組キャスターのウェイン・ゲール(ロバート・ダウニー・ジュニア)が追っていた。道に迷ったミッキーとマロリーはインディアンの呪術師の老人の小屋に泊めてもらうが、悪夢にうなされたミッキーは誤って老人を撃ち殺す。初めて後悔した2人は逃げる時にガラガラ蛇に噛まれ、町のドラッグストアに駆け込むが、スキャグネッティら警察に包囲され、ついに逮捕される。2人が別々の独房に入れられた刑務所は、嗜虐的な所長ドワイト・マクラスキ-(トミー・リー・ジョーンズ)によって日夜、囚人たちへの虐待が行われていた。2人の逮捕から1年後、所長と本人の許可によりゲイルによるミッキーのインタビューが監獄内からの独占生中継で行われることになった。「殺人こそが純粋な行為だ」とうそぶくミッキーは、メディアへの痛烈な批判を語る。一方、所内にいあわせたスキャグネッティはマロリーの独房を訪れ、彼女に性行為を強要する。TV中継は所内の娯楽室でも流れており、見ていた囚人たちの興奮が高まった末に暴動へと発展。ミッキーは隙を見て警備員の銃を奪うと、マロリーの元へ急ぎ、スキチャグネッティを殺す。再会した2人は、愛を確かめ合った。暴動で所内は大混乱となり、ミッキーとマロリーは殺戮を開始する。人質のはずのゲールもこれに加わった。脱出した2人は惨めに命乞いするゲールを殺し、いずこともなく消えた。(KINENOTE)
監督:オリヴァー・ストーン
原案:クエンティン・タランティーノ
出演:ウディ・ハレルソン/ジュリエット・ルイス/ロバート・ダウニーJr/トミー・リー・ジョーンズ/トム・サイズモア
ネタバレ感想
これだけは観とけ! (笑)
あらすじはKINENOTOのラストまでの引用を参照ください。上映当時、俺は劇場にはいかなかったけども、内容が過激ということで結構話題になってた。で、この作品は公開以降から数年間、さほど映画に詳しくない人が知ったかぶりして、「これだけは観とくべき映画」みたいに痛いこと言わせちゃうような位置づけにあった。
ちなみに、90年代の作品で同じような位置づけの作品には、タランティーノ監督作の『パルプ・フィクション』がある。『ナチュラルボーンキラーズ』も元の脚本はタランティーノによるものらしいので、要するに、タランティーノ絡みの作品がそういう位置づけなのだ。
タランティーノはすごい、スタイリッシュ、観ないと人生損する――とかたいして観てもいないくせに言っちゃう恥ずかしい輩がけっこういたのだ、大学とかに。少なくとも俺はそういう言を学内とかで耳にした。
かく言う俺も、本当は人のこと言えなくて、タランティーノがすごいらしいから観てみよう、と『レザボア・ドッグス』『パルプ・フィクション』は立て続けにレンタルして鑑賞したけど、正直、さっぱりわからなくて楽しめなかった(笑)。あの2作のよさを、自分なりに見つけて楽しめたのって、20代後半になってからだったな。そういう意味では本作も同じで、初見の時は何がおもしろいのかさっぱりわからなかった。
幻想的な『俺たちに明日はない』という感じ
で、今回たぶん、2度目か3度目の鑑賞なんだけども。まぁ楽しめはしたけども、さほど心に残る何かがあるわけでもなかった。今さらながら、この作品って『俺たちに明日はない』をファンタジーみたいにした内容だと思った。あのアニメ描写とか、ところどころ幻覚みたいなリアル世界ではないような風景描写がされているところなんかが、そう感じさせた部分。ブライアン・デ・パルマ監督の名作、『スカーフェイス』やそれより過去の映画、そしてヒトラーやスターリンの演説が壁に移り込むシーンなどは何なのかはよくわからん。
メディアと大衆批判・全員同じ穴の狢
いずれにせよこの作品の表層的な部分で示しているのは、殺人鬼をヒーローに祭り上げるメディアとそれに踊らされる大衆への風刺だろう。では、もっと奥深い部分では何を示唆しているのかと言われたら、そんなものはないーーと思われる(笑)。
ウディ・ハレルソン扮するミッキー、そしてジュリエット・ルイスが演じるマロリー。二人は善悪の基準を普通の人間と同じく持っているものの、その一線を越えることにためらいがない。だから笑いながら人を殺せる。
そういう意味では二人とも精神異常者ではあるが、この映画に出てくる主要な人間は、どいつもこいつも精神異常と言えるほどに、どこか人として逸脱した部分がある。なので、そういう意味では主役の二人と同じ穴の貉だ。
例えばロバート・ダウニーJrが演じるキャスターなんかは、ミッキーに言われたとおり、自分も殺人を犯すことに楽しみを覚えて興奮しているシーンがある。トミーリージョーンズが演じた刑務所長もイカレ人間。だから、ミッキーが自分を評して『俺は生まれながらの人殺し』というセリフ、実はすべての人間に対して言っているようにも感じなくもない。
てなわけで、今見てみると、キャストが非常に豪華だ。トム・サイズモアがまだ痩せているのが笑える。同じ年に公開されてるはずの『ヒート』だとかなり太ってたんだけどな。あと、前にもどっかで書いたけど、ジュリエット・ルイスって今は何をしているんだろうか。さっぱり映画作品でお目にかからなくなったけど。
コメント