ゾンビスクール!
さして面白いわけではないんだけど、ゾンビものの1つとして観て損はないかも。そう思わされた部分について多めに触れてます。ネタバレあり。
―2016年公開 米 88分―
解説とあらすじ
解説:「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズのイライジャ・ウッドがプロデューサーも務めるホラーコメディー。母校の小学校で臨時職員として働き始めたクリントだったが、その日の給食のチキンナゲットを食べた生徒たちが次々とゾンビ化し……。脚本を「ソウ」のリー・ワネルと『glee/グリー』のイアン・ブレナンが担当、新鋭ジョナサン・ミロとカリー・マーニオンが共同監督を務める。共演は「ミルク」のアリソン・ピル、「スーパー!」のレイン・ウィルソン、「キャッツ&ドッグス 地球最大の肉球大戦争」のジャック・マクブレイヤー。(KINENOTE)
あらすじ:小説家を目指していたクリント(イライジャ・ウッド)は早々に夢を諦め、母校の小学校で臨時職員として働き始める。だが登校初日から子供たちになめられ、同僚の教師たちも変わり者ばかりでクリントは孤独感に苛まれてしまう。そんな中、賑やかな給食タイムが始まり、生徒たちは大好きなチキンナゲットを頬張るのだった……。給食を終え、午後の授業の最中、一人の女子生徒の様子がおかしくなる。突如彼女はゾンビと化し、次々と周囲の生徒たちを襲い始める。瞬く間にゾンビが増殖、学校中の生徒がゾンビへ変貌してしまう。クリントたち教員はすぐさま学校を封鎖。キッズゾンビと教師たちの壮絶なバトルが始まった……。(KINENOTE)
予告とスタッフ・キャスト
(moviecollectionjp)
監督:ジョナサン・ミロ/カリー・マーニオン
出演:イライジャ・ウッド
冒頭が一番グロいような気も
冒頭に出てくる鶏の屠殺シーンてけっこうグロい。しかしまぁ、ああいう工程で処理・加工された動物たちを俺たちは食っているわけだから、その過程は頭の片隅に入れておいて忘れないようにしたほうがよいとは思う。
イライジャ・ウッド久しぶりに見た
イライジャ・ウッドを久しぶりに見たけども、この作品って彼がもっと若い頃に出てた『パラサイト』にけっこう似ている部分がある。彼は本作の製作にも関わっているようだったが、どういうスタンスでこの手の映画製作に取り組んでいるのだろうか。
映画の設定を踏まえて考えられることが興味深い
で、内容なんだけども、結論から言うとさほど面白くはなかった。役者たちにもさほど魅力がないし、コメディタッチのシーンについても笑えないし、唐突に終わるラストも尻切れって感じで気に入らない。でも、どうしようもない映画っていうふうには思わない。
本作でウィルスに感染して凶暴化するのは、思春期前の子どもたちだけ。大人への成長過程にある思春期の子と大人は感染しないのである。これには、製作側に何か意図があるんだろうと思わされた。大人と子どもの生物的断絶というか、理解しあえなさとでも言おうか。
大人VS子どもの構図から見えてくること
通常、大人は子どもを育てるもので、その一翼を担うのが教師たちだ。ところがこの作品の教師たちは、子どもに思い入れがなさそうな奴らが多い。で、安月給のわりにいろいろと責任を負わされることに憤りを感じている奴もいる。
だから、自分の身を守るためとは言え、凶暴化した子どもたちに悪態をつきながら、暴力を振るうのである。この行為は彼らにとっては快感でもあるのだろう。
日常生活で子どもたちは、訳のわからないルールを大人や教師たちに詰め込まれる。社会のルールを子どもに覚えさせることは、大人にとっては必要なことだ。なぜなら子どもたちが彼らと同じく大人になったときに、ルールに従って生きることが必要だと信じているからだ。もしくは従うよう育てることに、何の疑問も感じていないのだ。
しかし、子どもにとっては恐らく、そうしたルールの押し付けはストレスだろう。子どもは無垢で素直であり、だからこそ感情的。残酷で、平気で人を傷つけるし、周囲に迷惑をかける行為をためらいなくする。つまり、動物的なのである。なぜなら、本能で生きているからだ。
それを矯正することが大人の役割であるんだけども、子どもはそんなことは望んでいない。だから、育てられる過程で少しずつルールの使い方を覚えていくものの、みんながみんな、従順に親の言うことを聴くわけでもなく、反抗的な子は反抗的なのだ。また、表向きは従順でも心の中では大人をバカにしている早熟な子もいるだろう。
そうやって考えると、大人も昔は子どもであった存在なのに、実は子どもとは全く別のありようをしている存在に成り果てているとも言える。
大人と子どもの中間にいることを選べないか
大人たちは、もう子どもに戻ることはできない。なぜなら、子どもだった頃に、いやというほどルールを押し付けられ、それに従いつつ、時には反抗しつつも、社会生活の中に身を投じられている程度には常識人に育っているからだ。そういう大人にはもう、子どもに戻る力は残っていない。だから、子どもを理解できないし、襲われたら闘うしかないのである。
そうした断絶された存在同士の争いが比喩的に描かれているのが、この映画なんではないだろうか。
しかし、中には大人になりきれずにいる人間もいる。そういう人間は、子どもとは戦わずに、半分は大人、半分は子どものように生きる。この作品においてその役割を果たすのは、ドラッグをやって車から一歩も出ずに、ラストまで生き残る男である。
実は、彼のようなポジションで生きたほうが、ストレスが少なくこの世を生きられるのではないか。それは決して、犯罪者たれと言っているのではない。時には大人の態度で人と接し、時には子どものように素直に生を享受するーー。
やり方は人それぞれだろうが、それこそが、このブログの趣旨である、人生を半分降りて生きるために必要なことなのかもしれない。もちろんそれは、子どもではなく大人でいないと、できないことでもあるのだが。
そういう点で、特に面白さはないものの、ある考え方を教えてくれた作品であった。
↓「人生を半分降りる」ことに関わる記事
人生は半分降りたほうが楽しいのではないか(ブログタイトルなどはプロフィール参照)。書籍や映画や日々の雑感から、楽しくいきるためにいろいろ考える
↓プロフィールでも少しだけ「半降り」を紹介
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