月光の囁き
人気ギャグ漫画家・喜国雅彦の初のシリアス漫画『月光の囁き』を映画化。同じ剣道部に籍を置く高校生の日高拓也と北原紗月。それまで、互いに好意を持ちつつ仲の良い友だちとして振舞っていたふたりだったが、ふとしたきっかけでようやく恋人に発展。自転車二人乗りでの登校、図書室でのデートといった交際に喜びを感じていた紗月に対し、拓也はそうした普通の恋愛では満たされない想いがあった……。マゾ的嗜好を持つ男とそれに嫌悪しつつも離れられない女の異色の青春ラブ・ストーリー。(all cinema ONLINE)
ネタバレ感想
ド変態だね、君たち!
序盤はかなりさわやか恋愛映画かと思わせておいて、途中からアブノーマルな世界に入っていく。あれはあれで愛の形であり、純愛である。ヘタに外側に開いたベタな純愛よりは密度が濃い…と思われる。あまり羨ましくはないが。
少年は別にマゾではないのではないか。好きな女の子の所有物を盗むとか盗撮とか匂いとか、つまり生身の相手ではなく代替的なものを嗜好してしまうのは、相手にぶつかりきれない臆病さの現われのように思う。それが相手にばれたことにより開き直り状態になり、特攻ストーカー野郎みたいになったのだろう。
逆に少女の方はノーマルでいたいのに、彼の異常性をなぜか否定しきれずに自分の潜在的なサディズムを外側に出してゆくのである。とまどいながらではあるが。ということで河原のラストは、彼女がそれらを受け容れたから、少し爽やかに終ったのかもしれぬ。
あの少年、彼女のこと、すげぇ好きなんですね
しかし、少年はあれでいいのだろうか。いまいち彼がマゾだったとは思えないのだが。しかしマゾだったんだろうなあ…。そして、彼のすごさはフェティシズムの対象が女性全体ではなく、すべてあの1人の少女にのみ向いていることである。だから純愛なんですな。
てなことで、若い変態カップルのピュアな恋や若者の自意識云々が描かれているというより、男女の関係性の中から普遍的とも言えるような愛情が芽生えていく感じのある良作であった。
で、当時はあの作品を鑑賞したときに、この登場人物たちの持つフェシティズムとでもいえそうな変態性を描くことで人間同士の交流を描いたあのスタイルこそが、なぜか日本的なものであり、邦画もああいう部分を掘り起こしていけばいいのに、
※この記事は2005年4月に書かれたものを加筆・修正したものです。
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