すべてが変わった日
息子を亡くした夫婦が、義理の娘の再婚先に孫を取り戻しに行ってみたら、その相手の家族と揉めちゃってバイオレンスな対決をする羽目になる話。ダイアンレイン演じる妻に終始振り回され続けるケビンコスナーが、不憫と言えば不憫(笑)。ネタバレあり。
―2021年公開 米 113分―
解説とあらすじ・スタッフとキャスト
解説:ダイアン・レイン、ケビン・コスナー共演で贈る、1960年代を舞台にした西部劇のテイストあふれるサイコスリラー。元保安官の夫とその妻は3年前に一人息子を亡くし、再婚して離れてしまった義理の娘と孫を探すが、再婚相手の男の家族は狂気に満ちていた……。ラリー・ワトソンの2013年の小説“Let Him Go”を原作に、ファッション業界出身の異色の映画監督、トーマス・ベズーチャが監督・脚本を務めた。共演は、強権的女家長役に「ファントム・スレッド」のレスリー・マンヴィル、義理の娘役を「プライベート・ライフ」のケイリー・カーターが演じたほか、ドラマ『バーン・ノーティス元スパイの逆襲』の主演として人気を博したジェフリー・ドノヴァン、ディズニー・チャンネルの大人気テレビ映画『ディセンダント』シリーズのブーブー・スチュワートらが脇を固めた。(KINENOTE)
あらすじ:1963年、モンタナ州の牧場。元保安官のジョージ・ブラックリッジと妻のマーガレットは、落馬の事故で息子のジェームズを失う。3年後、未亡人として幼い息子のジミーを育てていた義理の娘のローナが、ドニー・ウィボーイと再婚。暴力的なドニーがローナとジミーを連れてノースダコタ州の実家に引っ越したと知ったマーガレットは、義理の娘と孫を取り戻すことを決意する。しかしジョージとマーガレットを待ち受けていたのは、暴力と支配欲ですべてを仕切る異様な女家長、ブランシュ・ウィボーイだった……。(KINENOTE)
監督・脚本:トーマス・ベズーチャ
出演:ダイアン・レイン/ケビン・コスナー/ケイリー・カーター/レスリー・マンヴィル/ウィル・ブリテン/ジェフリー・ドノヴァン/ブーブー・スチュワート
ネタバレ感想
不穏な空気が漂うシーンがいい
レンタルで見つけて鑑賞。後半があんなにバイオレンスな展開になると思わなかったので、けっこう驚き。
この作品には良いシーンが二つあって、まずはジョージ(ケビンコスナー)とマーガレット(ダイアンレイン)夫妻が、最初に女家長の支配する家に乗り込んだシーン。
用意された食事を食べるにも至らずに、お互いの主張がズレまくって一触即発。夫妻が女家長の家を辞去せざるを得なくなるまでの展開が、終始不穏な空気が漂ってて、緊張感があった。
あともう一つ、ジョージとマーガレットが孫と義理の娘の奪還作戦を決行する直前に、泊まっていたモーテルに女家長一味が乗り込んでくるシーン。ここは不穏というよりも、上記のシーンよりもさらに暴力描写が起こりそうな雰囲気がプンプンしてて、実際にジョージが斧で指を切り落とされるという痛すぎる展開になるわけだが、ここがまたよい。
こうした緊迫感を画面上に醸し出しているのは、舞台となる家やモーテルの薄暗さと、家長一家それぞれの暴力性が充満した演技力と、それに対抗するケビンとダイアンの演技によってなされたものであり、この映画の個人的に印象に残ったいいシーンであった。何度も見たいものではないが。
この2つのシーンは、『デビルズリジェクト・マーダーライドショー2』で行われる、ある一家の惨殺シーンや、『悪魔のいけにえ』で殺人一家に囚われたヒロインが味わう戦慄描写に勝るとも劣らないーーてなことはなく、あの2作品と比べたら勝らないし劣るんだけども、あれらと似たような嫌さを感じさせるシーンであって、ある意味ホラー的な、そして人間心理の奥底にある、どうしても抗えない相手を前にした際の、暴力への恐怖心みたいなのを呼び起こしてくれるという意味で、ありがたくはないものの、秀逸な描写であった。
マーガレットの暴走
ただねぇ、個人的にはこの映画ってそれだけなんだよね、優れたところ。優れたところがあるだけマシなんだが、本当に、その他は何とも言えん微妙さ。
そもそも、このお話は義理の娘の息子、つまりジョージ夫妻にとっては孫が、女家長の家で虐待的な育て方をさせられてるんじゃないかと不安になったマーガレットが、半ば強引にジョージを巻き込んで勇んで出かけることによって、物語が転がっていくんだけども、そもそもこのマーガレットは正義感あるまともな人間であることを匂わせてはいるが、よう考えたら、孫にベタぼれしてるだけで、周りが見えてない耄碌ババぁという見方もできなくもないんである。むしろ、そういう風にしか見えないシーンも。
自分の息子が生きてる時も、義理の娘を押しのけて孫の世話をしてやってるところなんて、クソ小姑と変わらんと言えば変わらんわけで、後のシーンで、彼女はそうしたコミュニケーション不全であったことを義理の娘に謝ってはいたものの、そもそも、おまんが息子がいた頃からちゃんと節度ある態度で息子の家族と接していれば、こんなことにはならんかったんではないかと思わずにいられない。
ラスト以降は平穏に生きれるか
女家長たちの一家もかなりイカレてる奴らなので、ジョージ夫妻のやってることは一見、まともに見える。しかし、よう考えてみたら、虐待疑惑があるから孫を俺らで育てさせろーーとかいきなり人様の家に乗り込んで行くってかなり常軌を逸した行動とも言える。
しかもあろうことか、指を切られた腹いせとは言わないにせよ、ジョージはショットガン持って、こいつらの邸宅に忍び込み、結果的に一家を皆殺しにしたとも言えるわけで、いくらジョージが命を落とすことになったかといって、マーガレットたちがラストの後以降、無罪で平穏に暮らすことなんてできるんだろうか。
突っ込みどころ
他にもツッコミどころはたくさんあって、ジョージは元保安官だったわけだし、女家長たちにモーテルに乗り込まれたとき、拳銃で奴らを撃つチャンスはあったわけで、威嚇の意味も込めてサッサと誰かの足にでも弾をぶち込んでやればよかったのである。
さらに、女家長の一家はあの田舎町でかなりの情報伝達網を持つ権力者であるようだが、なぜそこまで権力があって、地元の保安官もあいつらになびいちゃってるのかがよくわからん。なんで?
タイトルの件
あと、邦題の意味がよくわからん。すべてが変わってしまったのは、おそらくジョージ夫妻にとって息子を亡くしてしまった日のことであり、そのことを指しているんかなと思うんだけども、それが物語全体を通してどういう意味をもたらしているのかが疑問。
原題はLet him goなので、「彼を手放す」ことになったという意味にとるなら、マーガレットが息子と夫を手放すことになったということか。全体を通して考えるなら、マーガレットの孫への執念によって、ジョージを手放すことになったという意味にとるのが自然そうなので、そう考えると、これはマーガレットがもたらした災厄であるとも受け取れる。あのあと、あのオバサンと義理の娘たちはどうなったんだろうね。
コメント