バーバリアン
就活のためにデトロイトにやってきた女性が民泊先で恐ろしい眼に遭うホラー。スリリングだったりコメディっぽかったり、突然舞台が変わったり、目まぐるしく進展する物語が新鮮でけっこう楽しめる。ネタバレあり。
―2022年製作 米 103分―
解説とあらすじ・スタッフとキャスト
解説:『バーバリアン』は、ザック・クレッガーが単独上映脚本と監督デビューを果たした 2022 年のアメリカのホラー映画です。アーノン・ミルチャン、ロイ・リー、ラファエル・マーグレス、J.D. リフシッツがプロデュース。主演はジョージナ・キャンベル、ビル・スカルスガルド、ジャスティン・ロング。 (wikipedia英語)
あらすじ:そこは、絶対に選んではいけない宿〈ホーム〉だった—— 仕事の面接のため、デトロイトを訪れたテス。深夜に宿泊のために借りたバーバリー通りにある家に到着するが、ダブルブッキングにより、すでに見知らぬ男キースが滞在していた。嵐の中、行く当てがなかったテスは、彼とともにそこに宿泊することを決意。その夜、自分の部屋で眠っていたテスは、部屋のドアが開けられ、家中を動き回る大きな音で目がさめる。翌日、地下室にトイレットペーパーを探しに下りたテスは、誤って鍵をして閉じ込められる。そこで、謎の扉を見つけるのだが…。(Filmarks)
監督・脚本:ザック・クレッガー
出演:ジョージナ・キャンベル/ビル・スカルスガルド/ジャスティン・ロング
ネタバレ感想
町山智浩氏の紹介によると
Amazonのレンタル配信で鑑賞。映画評論家の町山智浩氏が紹介してたのもあってか、SNSなどでは密かに話題になってた。町山氏の紹介によると、途中からぜんぜん違う内容になっていって「誰が野蛮人なのか」と思わせる話だと。
さらに言うには、今作の監督が物語の着想を得たのは、ギャヴィン・ディー・ベッカーという人の書いた『暴力を知らせる直感の力~悲劇を回避する15の知恵~』という本からだそうだ。どうやらこの人、防犯コンサルタントという肩書を持つらしく、本書は暴力から身を守る知恵を与えてくれるものらしい。
町山氏はそれを紹介しつつ、その本の「こういう男は危険」という項目について言及していた。その本を俺は未読なのでどんくらい女性よりに書かれてるかは知らんけども、確かに『バーバリアン』の主人公は女性のテスであり、彼女の視点から見た恐怖が描かれているという感じに鑑賞できる。
キースは怪しいのだが
それはもう序盤からそうで、テスは見知らぬ地のデトロイトにやってきて、この都市の郊外の治安の悪さをあまり知らなかったようだ。であるから、警察が理不尽な理由で守ってくれないことを身をもって知るし、民泊先の近所に得体の知れない浮浪者がいて、そいつに脅かされることにもなるし、就活の面接官に宿泊先の地域を述べたら、ドン引きされたりするのだ。
で、話の筋としてはこのテスが、民泊先がダブルブッキングで先に住んでいる男がいることを知り、本当はそいつと一緒にその家に泊まりたくないないのに、やむを得ずそうせざるを得なくなるまでのその過程に恐怖要素がちりばめられている。これがまさに、上記の本に基づく、女性目線からの恐怖なんであろう。
先に泊まっていたキースはとてもいい人間で親切に見えるが、その親切さに裏がありそうにも感じる絶妙なキャラ。とは言え、話しているうちにキースと趣味が合うような気がしてきたテスはだんだんと心を許すようになって、飲むまいと我慢してたワインも一緒に飲んじゃって、最終的には意気投合。なんとなく親密な感じで、もしかしたら恋心芽生えちゃってるんではないかと思わせるくらいに距離が近づいちゃう。
普通の映画だったらここで、実はキースがとんでもない奴だったーーという展開になっていきそうだが、この作品ではそうはならない。
ババアと軽薄な男AJ
二人が宿泊する家の地下には奥深い地下通路と部屋があって、そこには謎の全裸ババアが住んでいて、なんとニックを壁に叩きつけてぶっ殺しちまうのである。なんなんこれぇ…とダッシュな展開に驚いていると、いきなり場面が変わって、軽薄そうな男が海岸ぞいの道路を車で失踪しているシーンになるのだ。
こっから視点は、このAJという男からのものに変わる。繰り返しになるがこいつは、およそ悩みなんてなさそうな、軽薄さが服を着ているような人間で、実際に過去の仕事で女性をレイプした疑惑が浮上して、現在とりかかってる仕事の依頼人からその疑惑を指摘されて解雇されてまう。
確かに身に覚えがあるんだけどもレイプした事実を認めたくないAJであったが、裁判を起こされることになり、金がないので工面する必要に迫られる。それでデトロイトにあって民泊に貸してる家を売ることにするのだ。そして、その家がキースとテスが泊ってた家であることが判明する。
家にたどり着いたAJは、人が住んでいる気配がするのを不審に思いはするものの、それはまぁおいといて、自分も知らなかった地下室を見つけるのだ。地下室はけっこう広そうで、いろいろ調べたら敷地が広いほうが高値で家が売れることを知ったAJは、ウキウキしながらメジャーで地下室の広さを計測し始めるのだが、突如現れた怪力ババアに襲われることになるのだーー。
てなことで、場面がAJに変わってからは、この男のキャラを示すような感じで、コメディチックかつ軽薄な感じで物語が進む。これはテスの視点ではなく、AJの視点から見ると、あの怪しげな地下室が別のものとして見られるというギャップを示しているようだ。確かにAJは、あんだけ不気味な場所にいてもさほど怖がっているようには見えず、金のためにセッセと作業を進めているように見えなくもない。
ババアと誘拐レイプ男
で、その後の展開はというと、テスとAJがババアの脅威から身を守り、地下から脱出するなどジタバタする内容になっていく。そして、ババアがなぜあの地下室にすみつき、何をしているのかが明かされていくのだ。
ということで、途中でレーガン大統領時代にまで話が遡る。この頃のデトロイトはすでに衰退がはじまってる頃らしく、ベビー用品を買い漁ってた謎の男の隣人は、別の土地に引っ越すと謎の男に告げていた。隣人は男に「君はどうするんだ」と尋ねるが、男はデトロイトに残るつもりだそうだ。
なんでこの男がデトロイトに残るかというと、同じ土地に住む女性を狙っているからみたい。ある日、水道局員のふりして彼女の家に侵入した彼は、内側から窓の鍵を開けて、その家を退去する。この先のことは描かれないが、男はその窓から侵入して拉致。女性をレイプしたんじゃないかと思われる。そしてこの男こそが、AJが後に買い求めるあの家の持ち主で、地下に監禁部屋をつくっていたのである。
そして彼はその地下で、レイプした女性の子どもを育て、長じてから近親相姦をし、さらにその子どもをーーと繰り返していくうちに、あの怪力ババアが誕生したらしい(黒人浮浪者の話によると)。AJの目の前で自殺した、枯れ果てた老人が、おそらく監禁男だったようだ。
で、その後いろいろあって、AJは怪力女に殺され、テスが怪力女を銃殺して物語は終わる。一応、話の筋はそんな感じで、難しさは何もないんだが、どうして怪力女があんなパワーを手に入れられたのかとか、どうして、地下室への扉は勝手にしまって鍵がかかっちゃうのかとか、その辺は謎。物語の大筋には関係ないので、別にどうでもいいっちゃどうでもいいんだが。
意味不明ではないが、結局何なの?
ということで、視点を変えながら進んでいくこの物語で、テスは比較的まともな人間として描かれていて、キースやAJの命を助けようと努力する人物。一方のAJは、終盤で自分の過去の罪などを反省し、改心していくかのようなセリフを言うものの、自分の命を守るためにテスを利用するなど、最後までゲス人間として描かれていた。
という意味では、狂っているとはいえ、赤子に対する愛情を持つ怪力ババアや、危険を顧みずに男たちを助けようとするテスを通じて、女性の献身性を描き、その対極にある男性の軽薄さや性的視点でばかり女性を観ているようなクソっぷりを突き付けている作品ということなんだろうか。
と思っているうちに物語は終わっちゃうんだよね。で、流れてくる曲が『Be My Baby』と。
Be My Babyとミーンストリート
The Ronettes – Be My Baby (Official Audio)
『Be My Baby』はマーティンスコセッシ監督の『ミーンストリート』って作品のオープニングで流れる曲だ。話自体はさほど面白くないんだけど、オープニングはとてもカッコいいし印象的なので、そこだけでも一見の価値あり。
ーーという話はどうでもいいとして、エンディングでこの曲が流れたことで、俺の脳裏に、『ミーンストリート』で主人公を演じたハーヴェイカイテルの一人語りのセリフが蘇ったのだ。それは「教会で罪は贖えない 我々は街や家庭で罪を贖う それ以外はまやかしだ」というもの。このセリフの後、『ミーンストリート』は『Be My Baby』が流れるオープニングへつながっていく。
ということで、それを思い出してなるほどと思った。今作の監督が意図的に『ミーンストリート』のセリフと結び付けたくて『Be My Baby』を選曲したのかどうかなんて知らないが、個人的にはまさに上記のセリフがこの作品を表しているんではないかと感じた。
というのも、この作品の主たる人物は全員何らかの罪を犯している。テスは怪力ババアを殺し、怪力ババアはAJとキースを殺し、監禁男は誘拐レイプ犯で、AJもレイプ犯。罪を犯している。そして、AJは過去の罪を反省はしているものの、贖罪的行為をすることがなかった。
人間は些細なものから大きなものまで、いろいろと罪を犯して人生を生きるが、それらは日常の中でしか、対人関係の中でしか贖えないのだ。AJには特に、その機会があった。おそらく、監禁男にもあっただろう。それが許されるか許されないかとかはどうでもよく、贖罪の機会はいつでもあったのだ。
そして、物語内ではババア殺し以外の罪を犯していないように見えるテスにも、人生を生きるにおいて、なんらかの罪を犯しているはずなのだ。人間は常に虞犯的な存在だからだ。みんな虞犯者なのだ。みんな、野蛮人=バーバリアンだ。
というわけで、個人的にはその解釈がしっくりしたので、監督の意図とかには関係なく、そういう作品として消化し、楽しめた作品であった。
善悪を超えた言葉を獲得するために、みんな人間であることをやめよう。
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