グラビティ 繰り返される宇宙
タイムループ系の作品が好きなので鑑賞。ループ自体は一回しか起こらないけども、なぜループが起こるのかとか、そのループから脱出するために主人公がする選択にはそこそこ説得力があって、悪くはない作品。短いところもよい。ネタバレあり。
―2019年公開 米 70分―
解説とあらすじ・スタッフとキャスト
解説:「トータル・リコール」のマイケル・アイアンサイドらが出演するSFパニック・アクション。元刑事コールがデッド・ゾーンで消息を絶った宇宙船アトロパ号を発見し乗船したところ、不明船と衝突。その船とは過去のアトロパ号で、中には自分らの死体があり……。優れた配信動画を表彰するストリーミー賞にて2018年ヴィジュアル&スペシャルエフェクト賞を獲得。特集『未体験ゾーンの映画たち2019』にて上映。(KINENOTE)
あらすじ:元刑事のコールは、デッド・ゾーンで消息不明となった宇宙船アトロパ号を追っている。アトロパ号には、恋人が乗船していた。予定より早く船を見つけ乗り込んだところ、不明船と衝突し、航行不能になってしまう。調査に乗り出すと、衝突したのは過去のアトロパ号であることが判明。船中には自分たちの死体があり、船外ではさらに過去のアトロパ号とその脱出ポッドたちが無数に浮き惑星の重力に囚われて輪を作っていた。未来のアトロパ号が自分たちに衝突する時が刻一刻と迫る中、コールは愛する人を救うため、究極の選択をする。(KINENOTE)
監督:エリ・サジック
出演:マイケル・アイアンサイド/アンソニー・ボナベンチュラ/ジーニー・ボレッ/クリス・ボス
ネタバレ感想
ネットフリックス配信で見つけて即鑑賞。もともと短いドラマだったものを編集して製作したものらしい。70分程度の短い時間でそれなりに矛盾もなく完成させたところは好感度高いな。
この手のループ系映画作品はなぜループが起きるのかに言及しないものの、この作品は宇宙を舞台に設定していることもあってか、一応の説明はつけている。個人的にここは評価したい。
で、内容なんだけど、この作品ではループを繰り返す描写は一度くらいしかない。その辺は他作品とは異なるところだ。普通、この手の作品だと何度もループを繰り返しながら脱出ルートを探るものだから。そして、その中で主人公が人間的に成長するパターンが多いと思う。
ところが、この作品ではそうではない。しかし、ループは他作品にもれず、凄まじい回数が行われていることが示唆されている。それが、脱出ポットがある惑星の軌道上で円環をなしていることでわかる。まるで土星のわっかのように脱出ポッドが無数にむらがっているのを描写されているだけで、どれだけのループが繰り返されているのかがよくわかる。なかなか斬新だ。
この作品は各人物の掘り下げはさほど多くない。ただ、主人公のルークだけはそうではない。彼だけは、過去に何が起きて、それがゆえになぜ行方をくらましたアトロパ号のクルーを回収しにきたのかが説明され、そしてその目的たる元奥さんを救うために選択する行動の中に彼の成長があり、そして、元奥さんとの絆を取りもどす内容が描かれる。しかもそれが短い尺の中で中で無理なく説明がつけられている。ループの内容にもさほどおかしさは感じない。
その点の細かいところは言及するのはめんどくさいし、そのあたりは他のサイトできちんと説明してくれてるところがあるので、その辺を知りたい方には不親切な記事になっているけど、その辺はご寛恕ください。
ということで、個人的にこの作品には大いに好感を持った。
あと一応、俺がループ系作品に対して本ブログで事あるごとに言及している個人的な疑問について、この記事でもしつこく書いておく。
本作では最終的に、ルークAは死を選び、彼と関わっていた同じ時空間の奥さんは、あらたに現れるルークBと今後の人生を共にすることとなる。これは、奥さんにとっては良いことだ。なぜなら、ルークAとルークB、彼女にとっては同一人物と同じようなものだから。
ただし、ルークAにとってはそうではない。自分は死ぬのだ。そして、Bに奥さんを託すのだ。要するにそれって、他人に奥さんをたくしているのと変わりはない。しかし、それを理解してでも奥さんを生かす選択をすることに、彼の愛がある。
しかし、もう一度言うと、彼にとっては端的に他人なのだ。同一人物ではないのだ。しかし、この違いについては、奥さんに示すことができない。
ところがこの作品では、奥さんは、これまでの記憶と体験によって自分と体験を共有して心を分かち合ったルークAは死に、何も知らないルークBと生きることになる。であるから、少なくとも奥さんからも、ルークAとBの違いは分かるはず。端的にAとBは別人なのが、記憶と体験によって区別できるから。
しかしここからが本編に関係なく俺が言いたいことだ。今作ではAとBの体験と記憶が違うのでその部分において差異が示されるわけだが、そうではなく、重要なのは端的にAとBが違う存在ということだ。そしてその違いは、言えないのだ。記憶と体験によって区別されることとは別に、それは開けている世界の視点の違いの話だからだ。
下記の記事リストでも似たような話をしています。
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