アバウト・タイム 愛おしい時間について
時間移動系作品。最初はビル・マーレイ主演の『恋はデジャヴ』みたいに、意中の女性を手に入れるためにタイムリープを繰り返す展開なんだけど、その女性をゲットして以降は、親子愛や兄妹愛的な展開に変わっていく。ネタバレ感想。
―2014年公開 英 124分―
解説とあらすじ・スタッフとキャスト
解説:「ラブ・アクチュアリー」の監督や「ノッティングヒルの恋人」の脚本などハートウォーミングなラブコメディを多く手がけたリチャード・カーティスが、タイムトラベル能力を使って恋を実らせ万事うまくいかせようとする青年を通して、愛と幸せの本質に迫るSFロマンス。リチャード・カーティスは本作をもって監督業から引退することを宣言した。タイムトラベル能力を持つ家系であることを知り過去をやり直して人生をより良くしようとする青年を「アンナ・カレーニナ」「ハリー・ポッターと死の秘宝」のドーナル・グリーソンが演じるほか、「きみに読む物語」のレイチェル・マクアダムス、「ラブ・アクチュアリー」のビル・ナイらが出演。(KINENOTE)
あらすじ:イギリス南西部でティム(ドーナル・グリーソン)はちょっと風変わりな両親と妹、伯父ら家族とともに暮らしていた。家族との仲は良好であるものの、自分になかなか自信が持てず、恋人ができないでいた。21歳の誕生日を迎えた日、ティムは父(ビル・ナイ)からある秘密を告げられる。それは、一族に生まれた男子にはタイムトラベル能力が備わっているというものだった。はじめは冗談かと思い信じることができないでいたが、能力の使い方を覚えてからは恋人を作るために繰り返しタイムトラベルをするようになる。弁護士を目指すティムはロンドンへ移住、そこで出会ったメアリー(レイチェル・マクアダムス)に恋をする。しかしタイムトラベルしたせいでメアリーと出会っていないことになってしまう。なんとか彼女の愛を得た後も、タイムトラベルを繰り返して人生の成功を掴もうとするティム。やがて、どんなにタイムトラベルをしようと誰にでも起こりうる不運や波乱を避けることはできないことを知り、本当の幸せに気付いていく……。(KINENOTE)
監督・脚本:リチャード・カーティス
出演:ドーナル・グリーソン/レイチェル・マクアダムス/ビル・ナイ/マーゴット・ロビー
ネタバレ感想
恋愛家族愛人生訓映画
時間移動系映画に必ずついて回る突っ込みポイントはあるが、そこを不問にすれば、それなりに恋愛家族愛人生訓映画として楽しめるのではないだろうか。ただ俺は、そんなに楽しめなかったのである。とてもよかったのは、マーゴットロビーが素敵だったところ! 他は特にない。
「恋はデジャ・ブ」以外だと、これもけっこう面白いです↓
てなことで、この作品の話を。
主人公が格好よくない
そもそも、主人公の兄ちゃんがあんまり格好よくないので、いくら何度もやり直せるからといって、美女を手に入れられるのが気に入らんのである(笑)。
先に挙げた『恋はデジャヴ』が面白いのは、ビル・マーレイ扮する主人公の男が、偏屈で嫌な奴だからだ。そんな彼が意中の女性に何度もアタックしていく中で、自分自身の人間性を見つめなおし成長していくことで、女性から受け入れられていくのである。
一方のこの作品では、主人公は自分に自信がないだけで性格が悪いわけではない。だから、その点においてはさほどの成長ポイントはない。さらに弁護士になれるくらい頭はいいし、むしろどうして自分に自信が持てなかったのか、よくわからない。
女性に縁がなさ過ぎる生活を送っていたからだろうか。一番腹立たしいのは、メアリーにアタックしている初期の頃、彼は彼女の好きなアーティストのことを調べずに彼女がそのアーティストを評した言葉をそのまま使って口説く。そんな浅い知識ではいずれ付き合っているうちにボロが出そうなもんだが、そうはならない。
で、さっきも言ったように、メアリーをゲットして結婚してからは、父との親子愛、妹との兄妹的な展開になり主人公はさまざまな選択を迫られることになる。なるんだけど、そこで繰り広げられる展開に何の感慨もわかない。
もしかしたら俺に子どもがいないからそうなのかもしれないが、わかないものはわかないので、具体的に主人公がどんな選択をしていたのかもう覚えていない。とりあえず、物語はハッピーエンドで終わっていたが、俺はあまりハッピーな気持ちになれずに劇終を迎えた。レビューサイトとかの評価ほどおもしろい作品だとは思わなかった。相性の問題だと思うので、仕方ない。
未来にいけないのは本当か
時間移動系の作品には必ず突っ込みポイントがあると言ったが、主人公は父から時間移動の仕方とその条件を教わる。それによると、「未来にはいけない。過去にだけ戻れる」そうだ。これの説明が詳しくないため、最初から物語にはまれなかったのかもしれない。
なぜなら、父親の言う未来とは、その言葉を発した主人公が21歳になる年の1月1日からの未来なのか、それとも、どの時点においても未来には行けないのかがわからないからだ。その説明がない。
主人公は最初のタイムリープで前日に戻る。つまり過去だ。でもその過去から自分の意思で未来に戻ってきている。なんでそんなことできるんだよ、おかしいだろ。未来には行けないんだろ。過去を現在にしたんだから、未来に行けないんじゃないのかよ。
他者の存在を考慮しない親子
仮にその設定の説明がもう少しあったとしても、前述したようにこの主人公に感情移入できるところがなかったので、結果は同じだったと思われる。
この作品の親子は無数にタイムリープを繰り返して人生の価値を見出した的な話になっている。彼らは別の時間軸に移動しているというか、歴史を変えている当事者だからいいけど、彼らのように主観的視点のない他人たちは、勝手に歴史を変えられて人生も変わっちゃっているし、下手したら死んでいるし、ともかく、二人は、自分の時間軸以外の他人のことをちっとも考えにいれていない。
だからこそ、非情にも時間移動を繰り返せるのだ。しかも、わかっていないのは、主人公は時間移動を繰り返すたびに別の親父の人生をつくりだし、親父も親父で、別の息子の人生を作り出している。
そして、自分が触れ合わないで置いていく彼らのことについては、何の良心の呵責もないのだ。鈍感すぎる。たぶん俺が何を言っているのか読んでても理解できない人が多いと思うので、この作品の話はもうおしまいにする。
仮に理解した人は、下記の作品の記事で言ってることもわかるかも。
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