ターミネーター 新起動/ジェニシス
1と2が大好きで、3は記憶にない。4は未見の状態で鑑賞。思っていたよりも観られる。特に前半は。でも物語が進むにつれて、どうでもよくなっちゃったな。ネタバレあり。
―2015年公開 米 126分―
解説とあらすじ・スタッフとキャスト
解説:殺人サイボーグ“ターミネーター”の活躍を描いた人気SFアクション第5弾。2作目までのストーリーを継承し、新型ターミネーターも登場して新たな物語が繰り広げられる。アーノルド・シュワルツェネッガー(「サボタージュ」)が12年ぶりにシリーズに主演。監督は「マイティ・ソー ダーク・ワールド」のアラン・テイラー。(KINENOTE)
あらすじ:2029年、ロサンゼルス。人類抵抗軍は敵である機械軍の中枢にとどめを刺そうとしていた。1997年の“審判の日”に機械軍が放った核ミサイルで30億人もの命が失われて以来、長く苦しかった反撃が遂に終わる。すべては“預言者”と呼ばれる抵抗軍のリーダー、ジョン・コナー(ジェイソン・クラーク)の指導の成果だった。ところがその直前、ジョンを出産する前の母サラ・コナーを抹殺するため、機械軍はターミネーターを1984年に時間転送装置で送り込んでいた。サラ抹殺を阻止するため、ジョンの右腕カイル・リース(ジェイ・コートニー)が過去への旅を志願する。1984年に到着した途端、T-1000ターミネーター(イ・ビョンホン)の襲撃を受けるカイル。その窮地を救ったのは、ただのウェイトレスに過ぎないはずのサラ・コナー(エミリア・クラーク)だった。歴史は書き換えられ、“2029年から送り込まれたターミネーターは私たちが倒した”と告げるサラ。彼女が“オジサン”と呼ぶ相棒は、外見は中年男ながら、“スカイネット”が殺人マシンとして量産したT-800ターミネーター(アーノルド・シュワルツェネッガー)だった。何者かに“サラを守れ”とプログラムされたT-800は、両親を殺された9歳のサラを救って以来、彼女を守りながら女戦士に育て上げたのだ。T-800の使命は、サラ・コナーを守り抜き、“審判の日”を阻止する事。そのためには、自我に目覚めて暴走する人工知能“ジェニシス”の起動を何としても止めなければならない。人類滅亡までのカウントダウンが迫る中、2人の前に立ちはだかる人間でも機械でもない第3の存在。最新最強のT-3000ターミネーターの正体は……?そして、人類の救世主は一体誰なのか……?(KINENOTE)
監督:アラン・テイラー
出演:アーノルド・シュワルツェネッガー/エミリア・クラーク/ジェイソン・クラーク/ジェイ・コートニー/イ・ビョンホン/J・K・シモンズ
ネタバレ感想
前半は1と2の名シーンみたいなところを使いながら、あたらしい展開が見られるのでけっこう面白い。若いT-800と中年になったT-800との戦いが始まるシーンには驚かされた。
そんな感じで前半はいいんだよね。楽しめる。だけど、2017年に時間移動するあたりから、物語の適当な展開が気になり始めて、つじつま合わせるために考えながら観るのが面倒くさくなって、最終的にはもうどうでもいいかって感じに投げやりになって鑑賞を終えた。
決してつまらなくはないんだけども、やっぱりなんだかなぁ~という感じ。そもそも、T-1000が弱すぎだし、若いほうのT-800も対戦車砲みたいので一撃でお陀仏させられてるし、まぁ強かった敵が続編では量産型的に簡単に倒されちゃうってのはゲームの世界みたいなありがちパターンではあるから仕方ないとは思うものの、新型のT-3000もあまり強くないというか、1000との違いがあまり際立っていないのはどうかと思うんだよな。
あと、時間移動の設定が適当すぎないかなぁ。なんでT-800だけ未来に行けないんだよ。なんか説明があったような気がするけど、変じゃない? あと、裸にならなきゃ時間移動できないってのは何となくわかるんだけど、2体同時は平気なのか? 移動中に融合しちゃったりしないの? それこそ「合体」になっちゃわないかと心配したんだけど、それはどうやら大丈夫だったらしい。
T-800が見た目、表面的に年をとるには一応説明があるし、年をとること自体は別にいいんだけど、彼がターミネーターじゃなくて、ただのオッサンにしか見えないのもどうかと思う。殺人マシーンで無表情だからこそのロボットだろ。
人間とターミネーターのかかわりを叙情的に描写するシーンは2のときに表現できているんだから、あのように撮影すればいいだけだ。だから人間のように表情豊かにする必要もなければ(そんなに豊かではかったけど)、ただの人間の親父みたいなセリフを吐かせる必要もないと思ったのである。
さらに、カイルはカイルで、なんだか立ち位置が中途半端だし役者の顔が普通すぎて、ごめんだけどもう顔を覚えてない。サラ役の人は美人でよいと思ったけど。
さらにさらに、サラを護衛するためのT-800は誰が送り込んだのかの説明ないのもなぁ。続編つくるつもりだったらしいから、続きで描くつもりだったんだろうか。
3部作狙いの映画ってけっこうあると思うけど、こういう風に失敗して続編がでなくなる可能性もあるんだから、1作ごとにきちんと完結する形で製作するのが客に対する礼儀ではあるまいか。
たとえば、名前は挙げないけども俺の好きな作家たちは、そのたびごとに全力で創作していると公言している。そうした作家たちの素晴らしいところは「1作ごとに全てを出し切らないと、次の創作はうまれない」と自覚しているところ。
本来、創作ってそういうもんだと思うんだよね。「続編のために、この作品はここまでで終了しておこう」とかそういう態度での製作ってやっぱ気に入らないのである。
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