二重生活(2016)
小池真理子の小説って読んだことないんだけども、何となくあらすじに魅かれて鑑賞した。作中に引用される女性アーティストのソフィ・カルによる『本当の話』って作品の中で触れられる「文学的・哲学的尾行」てのを実践してみた若い女性の心理、行動の変化に追った内容である。ネタバレあり。
―2016年公開 日 126分―
解説とあらすじ・スタッフとキャスト
解説:小池真理子の同名小説をNHKドラマ『ラジオ』で注目された岸善幸が映画化。修士論文執筆のため恩師の勧めで近所に住む妻子持ちの男の尾行を始めた大学院生が、彼の秘密を知ったことで尾行にのめり込み、同棲中の恋人との関係に影響を及ぼしてゆく。出演は「合葬」の門脇麦、「この国の空」の長谷川博己、「ピンクとグレー」の菅田将暉、篠原ゆき子、「お盆の弟」の河井青葉、「WOOD JOB!(ウッジョブ) 神去なあなあ日常」の西田尚美、「向日葵の丘 1983年・夏」の烏丸せつこ、「シェル・コレクター」のリリー・フランキー。音楽は「愛を積むひと」の岩代太郎。(KINENOTE)
あらすじ:大学院の哲学科に通う白石珠(門脇麦)は、19歳の時のある出来事により深い喪失と絶望に苛まれていたが、そんな日々からようやく恢復。現在は恋人の鈴木卓也(菅田将暉)と同棲生活を送っている。しかし、無意識のうちに穏やかな波風のたたない生活を望み、卓也との関係は平板などこか体温を伴わないものであった。ある日、珠は大学院の憧れの恩師・篠原弘(リリー・フランキー)から修士論文のテーマとして、フランスの女性アーティスト、ソフィ・カルによる『文学的・哲学的尾行』を実践してみてはどうかと勧められる。それは一人の対象を追いかけて、生活・行動を記録するというもので、尾行の対象者と絶対に関わらない事が条件であった。そんな折、彼女はふと、近所に住む既婚男性の石坂史郎(長谷川博己)を見かけ、突発的に彼の尾行を始めるが、ある日石坂の不倫現場を目撃してしまう。他人の秘密を知ることにぞくぞくとした興奮を覚えた珠は石坂の尾行を繰り返し、次第にその秘密は珠と卓也との関係にも大きな影響を及ぼしてゆく。さらに珠は、彼女が信頼を寄せる篠原の秘密をも知ることとなり……。(KINENOTE)
監督・脚本:岸善幸 原作:小池真理子:(「二重生活」(角川文庫刊))
出演:門脇麦/長谷川博己/菅田将暉/リリー・フランキー 篠原/西田尚美
他人を尾行をしたら自分を知ることに
門脇麦演じる主人公、哲学科の大学院生の珠。彼女は論文執筆にあたり、リリー・フランキー扮する哲学教授から、ソフィ・カルのような尾行を行ってみてはどうかと勧められる。で、それを実践してみたら、尾行相手の秘密を探ることに夢中になってしまい、対象と接触してしまうことに。で、接してみることで自分自身が隠していた秘密とも向き合わざるを得なくなっていくという話――だと思う。
秘密は他者と向き合わない言い訳か
この作品においては、菅田将暉演じる珠の恋人、卓也以外は皆さんそれぞれに秘密を抱えている。で、その秘密を抱えていることが、ある意味ではまっとうな社会生活を送る上で、他人とそれなりの関係を築くことの面倒くささから逃れるための言い訳みたいになっているように感じる。
例えば珠は、早くに亡くしてしまった自分の父親の親友だった男と不倫関係にあり、そいつが病気で死んでしまったことがトラウマになっている。ラスト、テキストで表されるように、「あなたは私をどう思っていたのか 私をどうしたかったのか 私は永遠に知らない」ことが気になってる? のか、その過去を引きずり続けたまま卓也と付き合っているのである。で、物語中で言及されるように、実は何のために卓也と付き合っているのか、自分でもよくわからないんである。
それを尾行対象であった敏腕編集者の石坂に告白するシーン。石坂に「陳腐な物語だな」と一蹴される。そんなもん大した秘密でもなんでもないと。確かにそういうもんではあるわな。自分にとってはつらい過去だろうが、何だろうが、他人に話してみれば、その程度のことなのだ。
それをさも大事なことのように表に出さず、でも何だかわからない、やり切れなさなのか寂しさなのか、そういう感情の揺れがある中で彼女は卓也と付き合っている。それを踏まえて考えるに、実は彼女、相手のことなんて興味がないし、だからこそ何で付き合っているのか分からないのである。
尾行することで得た見返りは空っぽな自己の内面
てなことで、個人的には主役の珠の行動に何一つ共感できることがなく、終始ムカついていた。なんなんすかね、この娘。尾行が適当すぎてバレるに決まってるだろとか、坂下にバレたらバレたで、自分のために論文を書かせてくれとか泣きつき、挙句の果てにはなぜか相手にキスを迫り、体で説得しよう(多分)とするとか、何なんすかね。
あんな野暮ったい娘に迫られても坂下としては困ると思うんだが、なぜかこの坂下も猿みたいな奴で、性欲が勝って珠をホテルに連れ込んじゃう。アホか。おまん愛人と路地で本番やってたじゃんか。この小娘がホテルで愛人は外? 酷いね。しかも、ラブホに入ったら入ったで、愛娘からのメールに気付いて萎えちゃってんの。馬鹿すぎ。
その後にほざくのがさっきの「陳腐だな」のくだりである。ベッドのうえでズボンのベルトも締め切ってないような格好で偉そうに抜かすなこの糞編集者が。ベストセラー量産してるやり手の編集は後先も考えずに性欲に負けちゃう猿以下のクズでした。
坂下の奥さんも、やけ酒とかしてドン底にたたき落とされたぶってたくせに、何で坂下とヨリを戻す気になれたのか。ドン底描写は単なる不幸な私ぶるための演技なのか。ずいぶん底の浅い人ですな。全く意味不明であった。
というか、何で秘密として描かれるのが男女の性愛のことばかりなんだろうか。異性が絡むこと以外にもいろいろとあるような気がするんだが。それを物語の軸においているんだから腐す部分ではないのかもだけど。
哲学は人生論ではないと思う
登場人物全員が空虚な心の持ち主で、人生を生きることに厭いている。それでも表面的には普通の顔をして生きていかざるを得ないという意味ではリアルな何かを描いているようにみえる。
しかし、この作品が哲学的なのかどうかと考えると、はなはだ疑問が残る。
冒頭のシーンで珠の枕元にはサルトルの『嘔吐』がおかれているし、論文では「実存」という哲学用語が使われるなどしているが、個人的にこの作品は哲学を人生論か何かと勘違いしているように感じたのである。人生論にしちゃったら単なる教訓めいた話になるし、思想とは言わずとも哲学ではないような。あくまで私見ですが。
それにしても、西田尚美って今でも若く見えて、相変わらず美人さんですね。そこはよかったところかな。
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