サークル
シチュエーションスリラー。2分という短いスパンで必ず人が死に続けることと、その犠牲者を投票で決められる設定は面白い。そのせいで、登場人物たちは誰を犠牲者にすべきかという話ばかりをしてしまい、協力して解決策を探す方向に話が進まないのだ。ちなみに作品の内容そのものは面白くないと思う。ネタバレあり。
―2015年製作 米 87分―
解説とあらすじ・スタッフとキャスト
解説:最後の一人になるまで続く、不条理な殺人ゲームに参加させられた人種も年齢も異なる50人の男女の恐怖を描いたシチュエーションスリラー。日本劇場未公開、Netflixにて配信。(KINENOTE)
あらすじ:謎の黒い部屋で、足元にある赤いサークルから出ることができず2分に一人が処刑されるのを待つだけの見知らぬ50人の老若男女。最後に残るべきなのは一体誰か。選別しているのは彼ら自身だった。(KINENOTE)
監督:アーロン・ハン/マリオ・ミショネ
出演:ジュリー・ベンツ/マーシー・マリック/カーター・ジェンキンス
ネタバレ感想
適当なあらすじ
閉鎖された謎の空間に閉じ込められた50人の男女が、生き残りのためにガタガタ言い合いをするシチュエーションスリラー。彼ら、彼女らが不条理かつ不可解な状況におかれる中でただ一つ間違いないと確信できることは、時が経つにつれて一人、また一人と空間内にいる人間が死んでいくこと。人々は置かれた状況の謎を解明し、無事脱出することができるのか――というのが適当なあらすじ。
判明するのは主に以下のことだけ
この作品は序盤、謎の部屋で目を覚ます人間たちの描写から始まり、ラストまでの99%くらいの時間、その部屋での出来事が描かれる。その部屋がどういう感じなのかは、書いて説明するのが難しいし面倒なので、冒頭の画像を参照。
人々は何のために、どうやって部屋に運ばれてきたか、よくわからない。当然、そこに集められた理由もわからない。
だから全員で情報提供しあって状況を把握しようとする。ところがその間にも、唐突に襲ってくる電気ショックみたいなのを浴びせられた人が次々に倒れていく。つまり、この部屋の何らかの装置に攻撃されているのである。その中で何となくみんなが把握し始めるのが、以下のことだ。
■自分が立っている赤い円から外に出ると、死の電撃に襲われる。
■円から外に出ないでいても、2分に一度、死の電撃が襲ってきて、部屋の中の誰かが必ず死ぬ。
■電撃を浴びて絶命した人間は、どういう原理かわからないが、輪の外に引っ張られて姿を消す。その後、どうなるかは不明。
■部屋の中心にある物体は、2分ごとに発生する死の電撃に誰を襲わせるか、投票できる装置らしい。
■装置に投票するのは、自分の手をつかって何らかの意思を伝えることで可能。
■最も票を集めた人間を、死の電撃が襲う。
■票が同数だった場合はその対象の人物に光の柱が降り注ぎ、他の人たちと区別ができる。
■同数だった場合は光の柱が降り注いだ人を対象に、あらたに投票が行われる。
――以上。
脱出策を考えるよりも、犠牲者を選ぶ投票を
で、最初はみんな、どうしてこんなところに連れて来られたのかを知ろうとして、情報を集めようとするんだけども、そうこうしている間にも2分過ぎてまうので、次は自分が電撃の犠牲にされるのではないかと、気が気でない。
そこである男が、まずは老い先短そうな年寄りを数人ピックアップして、そいつらを順番に数の暴力で投票しつつ、自分たちの死を先延ばして謎を解明する時間にあてようと提案する。確かにそのほうが好き勝手に投票が行われるよりは、話し合いはしやすい。
だが、倫理的・道徳的観点からそうした意見に対しての批判も当然おこる。ただ、批判がありながらも年寄りたちは気の毒にも淘汰されていく。そうやってワイワイガヤガヤ意見を言ったり罵り合ったりしている間にも、犠牲者は増えているし、投票は行われているのだ。
で、彼らは結局どうしたいのかというと、ほぼ意見として一致するのは「自分は生き残りたい」ということ。ま、そうだよね。…当たり前だ。その自分が、それぞれの自分であり、自分という生き物ではないことは言うまでもない(メチャ蛇足な一文です)。
ともかく、その当たり前のことを実現するには、まずは部屋から脱出する方法を見つけなければならない。そのためには、話し合い、考えるために意見を出し合いたい。しかし、次の誰かが死ぬまでに2分しかない。
この物語の設定が面白いのは、その2分という短いスパンで、誰かが死ぬことと、その犠牲者を投票で決められるということだ。みんなは自分が生き残りたいために、誰を犠牲者にすべきかという話ばかりをしてしまい、けっきょくは協力して解決策を探す方向に話が進まないのである。
しかし、中にはそうでもない人もいて、醜い言い争いが絶えない状況に嫌気がさし、自ら志願して票を集め、先に死を選ぶ人も出てくる。まぁ確かにそういう人も出てくるだろう。
個人的に変だなぁと思ったのは、次に死すべき人を投票によって減らしていく展開はよしとして、この作品の登場人物らは、結局は最後に誰か一人しか残らない前提で話を進めているのである。
最後まで残れるのが確実に自分であるという確信は持てないはずなのに、何の疑問も抱いていないかのように、人々は誰かが犠牲になるごとに、次の犠牲者を誰にするかの話ばかりをしている。いずれ自分が、数分か、長くても数十分後にはその対象になることが確実なのにだ。
そこまで死が眼前に迫っている状況で、あんな投票騒ぎができるもんだろうか。俺だったら、死の恐怖で喋ることもできなくなっちゃうんではないかと思った。まぁもちろん、全員がそうなったら作品にはならんのだが。
妊婦のお腹には胎児がいるでしょ
てなことで、子どもと妊婦だけは最後まで生き残らせることが暗黙の了解みたいな感じになったまま、どんどん部屋の中から人が減っていく。その展開は単調でけっこう飽きる。発狂して自ら円の外に出ちゃう人間とかもいそうなもんだけど、そういうことは起きない。尺が短いから耐えられるものの、描かれる内容は面白くはない。
最終的には、子どもと妊婦とある男が生き残る。で、男が子どもと妊婦にだまし討ちみたいなことをして2人を犠牲にし、彼と妊婦のおなかにいた胎児が最後に残るという状況を作り出す。なぜ男がそうしたかというと、胎児には意識がないし動けないので、投票ができないからだ。
つまりあの状況をゲームととらえるなら、胎児と自分が最後の2名となる状況をつくれたやつが勝者だったのである。どうやら作品内でそのことに気づいたのは、最後に生き残った男だけだったようだ。さんざ妊婦を話題に出しておきながら、誰も胎児にも投票権があるだろうことには言及しない。さすがにそれは、ちょっとおかしいのではないか。気付きそうなもんだけどな。
結局何を楽しませたかったのか
で、ラストのラスト、男は外の世界で目覚める、空には宇宙船みたいな乗り物が。そして、それを眺めている人々の集団に、男も加わったところで劇終である。
最後のシーンが何を意味しているのかはさっぱりわからんが、あの部屋は地球外生命体によってつくられたもので、人間を集めたのはエイリアンたちだったということだろう。しかし、何を意図してそんなことをしたのかについては、やはり一切の説明がない。
じゃあこの物語は何がテーマだったとか、表現したい何かがあったのかと問われると、そういうものもさっぱり感じない。極限状態で見せる人間の汚さ、エゴむき出しになることの醜さだろうか。でも、仮にそうだとしても、想定できるような人間のクズな部分しか描かれないので、あんまり驚きもないし、何より面白くないんだよなぁ。
この作品はネットフリックスで鑑賞できます。
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