書籍 『何ものにも縛られないための政治学 権力の脱構成』 栗原康 感想

何ものにも縛られないための政治学 権力の脱構成 栗原康

内容

内容紹介:あらゆる支配を打ち破れ!最注目のアナキズム研究者が贈る無強制の政治学。カネにも、人間関係にも、国家にも、縛られない。強制の理屈を破戒する。あらゆる支配を打ち破れ!『村に火をつけ、白痴になれ』で旋風を巻き起こしたアナキズム研究者が放つ、【無強制】の政治学!!

アナキズムとは、「支配されない状態」を目指すことだ。自由で民主主義的な社会であるはずなのに、なぜ私たちはまったく自由を感じられないのか? 息苦しくなるほどに、束縛を感じてしまうのはなぜか? この不快な状況を打破する鍵がアナキズムだ。これは「支配されない状態」を目指す考えである。【無強制の政治学】という視点から、過去の思想と実践をわかりやすく振り返りつつ、現代社会の支配のルールを破戒する!カネに、人間関係に、社会に、国家に縛られない!! 社会契約をクーリングオフせよ。ゼロ憲法を宣言せよ!「神を突破せよ、この世界を罷免してやれ。さけべ、アナーキー!

一番たちが悪いのは、民主主義の名のもとに憲法制定権力をたちあげることだ。
契約も交換も自明のことなんかじゃないんだ。
なんどでも、権力の脱構成をやってやろう。etc.amazon

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自由で民主主義的な社会であるはずなのに、私たちはまったく自由を感じられずにおり、逆に束縛感を覚えている。この不快な状況を打破する鍵がアナキズムだ。これは「支配されない状態」をめざす考えである。過去の思想と実践をわかりやすく振り返りつつ、現代社会の支配のルールを破戒する。『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝』で旋風を巻き起こしたアナキズム研究者が放つ無強制の政治学。ゼロ憲法を宣言する! (「BOOK」データベース)

単行本: 368ページ
出版社: KADOKAWA (2018/7/20)
ISBN-10: 4041061253
ISBN-13: 978-4041061251
発売日: 2018/7/20

感想

まずはどうでもいい話

このブログの書籍紹介コーナーは、ほとんど栗原康の作品で占められている(笑)。それだけいろんな本を読んでいないということでもあるし、ほかの本が、感想書くほどの気持ちになれないってことでもある。

というか、本の感想って書くの面倒くさい。自分しか読まないならいいけど、一応、ウェブ上にさらすからには、引用箇所を明記すべきだと思っている。いるのだが、そうすっと、読みながら付箋しといて、あとからそこを抜き書きする作業が必要になる。…ダリぃ。

何とか効率化しようと考えて、最近は電子書籍なる便利なものがあるので、引用に使いたい場所をデータ上に保存して、ブログ上にコピペする方法がもっとも効率よさそうだと思った。で、今作はたまたま電子化されていたので、それを試みたのである。

だが、これもこれで結構めんどうだ。まず、スマホ、タブレット、デスクトップの3つを駆使して読み続けた結果、それぞれのアプリ内のデータを同期するやり方がよくわからんのである。だから、アプリごとのデータを、このブログに引っ張ってこなくちゃならん。めんどくさすぎる。

と思っていたら、後日データがすべて勝手に同期されていた。どういうことだ。よくわからんが俺の使い方の問題なんだろう。ということで、物が残らないしページをめくる感覚がないので、読んでる感が薄いけども、電子書籍ってその分やっぱり便利だね(笑)。

読後の印象

本書は栗原氏のこれまでの書籍を踏まえて、彼の目指したいところを表明した内容であると感じた。これまでの、『死してなお踊れ 一遍上人伝』『村に火をつけ、白痴になれ』『現代暴力論 「あばれる力」を取り戻す』の要素を入れ込みつつ、では実際に彼の言うアナキズムな世の中をつくるにはどうすればいいのか。各人がどのような生き方で生きればいいのかを説明しているように思う。

個人的に興味深いのは、本書を含めて俺のこれまで読んできた書籍で心に残ったものの中に、狩猟採集民の生活は、今の定住民の生活よりも楽だった--というようなことを言っているものがあることだ。そして実際、そう思うのである。ちなみに本書以外でそれに触れているのは下記2冊の書籍です(國分氏のはそこまで言い切ってないけど)。


狩猟採集民の生活

で、本書において栗原氏は狩猟採集民の生活について、

よく、人間はよりよい生活をもとめて、狩猟採集をやめて定住農耕にうつったといわれがちだが、まちがいなくウソだ。だって、あきらかに狩猟採集のほうが労働時間もみじかいし、生きがいがあるのだから。はじめから、支配者に税をしぼりとられることがわかっていて、そのためにうんとたくさんはたらきたいとおもっているやつなんていないだろう。だから、いまでも狩猟採集で生活している人たちにたいして、かれらは農業をしらないからやっているんだといわれることもあるが、そうじゃない。イヤだからやっていないのだ。文明をよいとおもうな、クソッたれ。はたらかないで、たらふく食べたい。あたりまえだ。(Kindle の位置No.913-920). KADOKAWA / 角川書店. Kindle .

――と、はっきり言い切っている。いいね、気持ちいいくらいだ。「生きがい」については、定住生活に慣れちまっている俺にしてみれば、かなり見出すのが難しい部分も多そうだが、確かに、もともと狩猟採集的生活をしていたなら、それはそれで何の不満も持たず暮らせていたような気がする。先に紹介した『サピエンス全史』によると、けっこう飢えずに、しかも長生きだったらしいからね(赤子時代を乗り切れば)。

でも、今の世の中は定住生活で動いている。そこには支配と被支配者の関係がある。で、人間たちは相互に、社会契約という目に見えない契約を結んでいる。しかし、それって何なんだろうか。栗原氏はそんなのは奴隷になっているだけだという。

社会契約論がまもろうとしているのはなにかということだ。こたえはかんたん。奴隷制である、所有権である。なんか、みんな所有権をもっていますよとか、一人ひとりがご主人さまなんだとかいわれて、ごまかされてしまっているが、たいていは自分の身体をひとに貸しだして、奴隷のようにコキつかわれているだけのことだ。それでいて意識だけは主人だから、他人に支配されているだなんておもわない。奴隷のくせして、主人のまねごと。たちがわるい。しかもこれまで自分でカネをかけたり、他人にカネをかけてもらったりして、自分の身体をたもってきたわけだから、その借りをかえすかのように、ゼニだ、ゼニだと駆りたてられてしまう。 自由だ、自由だ、自己利益だ。自由という名の牢獄だ。ああ、もううんざり。人間は自由の刑に処せられている。(Kindle の位置No.1008-1015). KADOKAWA / 角川書店. Kindle .

社会契約っていつしたの?しるかそんなの クソしてねやがれコミュニケーションを爆破せよ。財産とは奴隷である。逃がせ、逃げろ、逃げさせろ。きたよ出番だ、アトラトル。この文明社会に一〇〇の、一〇〇〇の槍をぶちこんでやれ。原始人は自由にさきだつ (Kindle の位置No.1026). KADOKAWA / 角川書店. Kindle.

「人間は自由の刑に処せられている」奴隷なのだ。社会契約だって、した覚えなんかねぇと。そんなもんから逃げ出して、原始人になれと言っている。

いま自由、自由っていわれているけれども、それは奴隷が主人のふりをしようとしているだけのことだ。これまでの労働はしんどかった。もっと自由にはたらこう、もっとクリエイティブにはたらこう、もっとオシャレにはたらこう、もっともっとと。自分をみがけ、おまえをみがけ。よりよくなれ、よりよくなれ。でも、やっていることは真夏に、汗をダラッダラながしながら店先で行列をつくり、小さくまえへならえをやっているようなもんで、苦役でしかない。タダばたらきだ、奴隷なのだ。でも、それを笑顔でやってのけると、お店や街の商品価値があがって、自分の価値もアップしたみたいにおもえるのだろう。しかもわらえないのは、この主人ぶっている連中というのは、その価値をひきさげるような人たちがいると排除にかかるということだ。クサい、キタナい、ジジイ、ババア。ちくしょう。そろそろ、自由をぶっとばすときがきたようだ (Kindle の位置No.1793). KADOKAWA / 角川書店. Kindle

じゃあ栗原氏のいう原始人とか、狩猟採集民的な生き方って、どんなものなのか。俺が理解したうえでの栗原氏の言う生き方。

ともかく、あらゆる権力やインフラは必要ない。制度も政治も必要ない。会議もないし、統治もされない。やりたいことがあれば、みんな、めいめいがやればいい。やりつくせばいいのだ。今ある世の中から逃げちまえ。負けようがなんだろうが、関係ない、負け続けて逃げ続けろ。やりたいことしか、やりたくない――。

みんなが好き勝手生きてて平気なの?

そんな生き方をするべきと言っているようだ。でも、みんながテメェ勝手に生きちゃって、世の中の秩序は保たれるのか? 大丈夫なんだろうか? どうやら大丈夫らしい。ここからは引用が前述したものより遡るけども、彼は『孟子』を引いて言う。

自分の目のまえをヨチヨチあるきの幼児があるいていたとする。かわいいもんだ。で、ふとその子をみたら、いまにも 井戸におっこちそうになっている。ああ、あああっこのとき、人間というのはたいていなにも考えずに、うおお、うおおおっとさけびながら、井戸にむかって体をなげだし、手をさしのべて子どもをたすけようとしてしまうものだ。たとえそれで自分が体勢をくずし、井戸におっこちてしまったとしてもである。たすけることで、その子の親からお礼をもらうとか、そんなことは考えない。そういうんじゃなくて、体が勝手にうごいてしまうのだ。人間というのは損得勘定だけでうごいているんじゃない。いざとなったら自分の身をほろぼしてでも、わが身かえりみずに、ひとに手をさしのべてしまうものだ。相互扶助である。 (Kindle の位置No.690-697). KADOKAWA / 角川書店. Kindle .

相互扶助について述べた後に、さらにこう続ける。

もうひとついっておきたいのは、オレ、オレ、オレと、自分のために、自分のよろこびのためにうごいているときだって、ぜんぶがぜんぶ自己利益のためにうごいているわけじゃないということだ。むしろ逆で、ほんとうにこりゃおもしれえとおもってうごいているときというのは、たいてい損得とか、そういうのをとっぱらってしまって、われをわすれてうごいているものだ。 (Kindle の位置No.710-713). KADOKAWA / 角川書店. Kindle .

まわりがどうおもうかじゃない。ただ自分の力をぶちまけてやればいい。そうすれば、その力がおもってもみなかった方向にひろがっていく。ああ、自分にはこんなことを考えることもできたのか、こんな表現をすることもできたのかと。ピョンピョン、ピョンピョン。グングングングン。自分の生きる力が跳躍し、ひろがっていく。ひとはそういうところに充足感をおぼえるのだ。大正時代のアナキスト、大杉栄はそういうのを「生の拡充」とよんでいた。で、なのだが、この生の拡充というのは、さっきの相互扶助とセットだというのってわかるだろうか。
(Kindle の位置No.743-749). KADOKAWA / 角川書店. Kindle .

世の中を統治する権力は必要ない。そんなもんなくても、自分の喜びのために動いたって、相互扶助はできると言っている。人間はできると言っている。俺はほんとうにできるかなぁと思う部分もあるけども、それは自分が損得考えて、やりたいことをやり抜くような境地を忘れているからか、それとも、経験したことすらないからなのかも知れぬ。

国家なんていらない。権力なんていらない!

でもでも、この記事だけ読んでいる人も疑問に思うかも。そもそも、何で栗原氏は統治なんていらないと言っているのか。その考えを引用する。

国家があるから生きていけるんだ、そりゃ収穫したぶんから税をはらうのはあたりまえだよねと。おおまちがい。でもインフラといっていいだろうか、いったんそういうのができてしまうと、生きるためにはそれが必要だ、それなしじゃ生きていけないとおもわされてしまうのだ。
(Kindle の位置No.135-138). KADOKAWA / 角川書店. Kindle .

生きるということが、インフラをつくった国家や企業にカネをしはらうことと同義になってしまっているのだ。(Kindle の位置No.160-161). KADOKAWA / 角川書店. Kindle .

はっきりと確認しておかなくちゃいけない。あたらしい権力がたちあがった時点で、それはもう革命でもなんでもないんだと。だって、 権力なのだから。真に革命的であるということは、権力なしでもやっていけるということだ、インフラなしでも生きていけるということだ。
(Kindle の位置No.247-249). KADOKAWA / 角川書店. Kindle .太字は俺

たとえ革命で既存の権力を倒したとしても、それに取って代わった勢力が、結局は民を統治して権力者になってしまう。このぬぐいがたい構造について、栗原氏は本書において繰り返し例を出して述べている。そうなってはいけない。そうならないためには、己のやりたいこと、やりたくないことしかやらないで生きていけばいいというのだ。そして、そうやって生き抜いているやつらには、自然と相互扶助の動きが生まれると。どうやらそう考えているみたい。

いまこの一瞬にすべてを賭けろ

この書籍において栗原氏は、フランス革命やらロシア革命やらの話と、その時代に活躍したアナキストや革命家らの生き様を紹介して、これでもかというくらいに上記のようなことを、例のユーモア溢れる文体を用いて説き続ける。そして、こう言うのだ。

いまこの一瞬にすべてを賭けろ。いつだって、永遠をかんじることだけやればいい。将来なんてどうでもいいね。成功も進歩もありゃしねえ やるならいましかねえ、いつだっていましかねえ。ヴェッ、ヴェッ!そして、そういうのをくりかえしていると、だんだんとこうおもえてくる。かんぜんに燃えつきるってことは、なんにもなくなる、なんにもしばられなくなる、あたらしい生きかたを手にしているってことだ。敗北にひらきなおれ、墓場の夜にひらきなおれ。それは成功しなきゃいけない、進歩しなきゃいけないと、いつもいつもくちうるさく命令してくる、この社会という名の牢獄から脱獄するってことだ。負けたっていい、損得なんてどうでもいい。(Kindle の位置No.2203-2204). KADOKAWA / 角川書店. Kindle .

ふひょう、かっこいいねぇ。で、最後の最後でこうやって結ぶ。

だいたい、憲法だいじ、憲法だいじ、ああ、憲法さま、憲法さまって、神さまでもおがんでんのかよ。よく考えてほしい。わたしたちが生き ていくのに、法律も、法律の法律もいらねえんだよ。ひとはだれだって、こりゃやっちゃいけねえっておもったらやらねえし、どうしても やりてえ、やらなきゃいけねえってことがあったら、なにがなんでもやるのである。そこに法律もへったくれもありゃしねえ。おまえがきめろ、おまえがきめろ、おまえが舵をとれ。権力をつくりだしたいんじゃない、権力を制限したいんじゃない、権力から逃げだしたいんだ、権力にとらわれない生をかたちづくっていきたいんだ。だまされねえぞ、民主主義。したがわねえぞ、国家権力。トンズラ、トンズラ、トンズラだ、この世界からのトンズラだ、神さまからのトンズラだ。(Kindle の位置No.4641-4649). KADOKAWA / 角川書店. Kindle .

イェイ。さすがアナーキー。クールだね。

と、引用ばっかりしてて自分で何にも書いてねぇ感じだけど、ともかく、彼の言っていることは俺にはしっくりくるのである(そんな生き方ができるかどうかは別として)。政治だのにはさほど興味ないけども、資本主義的世の中に違和感を覚える自分としては、ここ10年くらい、何かこれに取って代わる社会ってないのかなと漠然と思ってた。でも、自分ではまったく思いつかなかった(笑)。

そこでまさか、アナキズムなるものを知ることになるとは。アナキズムってのはこういう考え方だったのかと思うと、とてもいいじゃないですか。人間賛歌でありますよ。

栗原氏みたいな人こそ、己自身や人間の可能性を信じているってことだよね。そして、とても倫理的、道徳的である。既存の社会の枠組みから外れて生きるために何が必要なのかを教えてくれる、示唆的な内容でありました。

書籍 栗原康『死してなお踊れ 一遍上人伝』感想 「いくぜ極楽、なんどでも!」
一遍上人の生涯を紹介した本書は、一遍上人の言がそのまんま栗原氏の言として息づいている。一遍上人を介して栗原氏が己の信ずる思想を述べているのである。「はじめに」と「おわりに」ではユーモアを交えつつ、より栗原氏の現実に即した話が書かれていてそこも面白い。「いくぜ極楽、なんどでも!」 ―河出書房新社  2017/1/27―
書籍『はたらかないで、たらふく食べたい』栗原康 著 人間はウンコだ(笑)
面白い書籍だ。「なるほど、そういう考え方もあるんだな」と思わせる視点で意見を放ったかと思うと、そのすぐあとにユーモアのあるふざけた一文を入れてくる。「はたらかないで、たらふく食べたい」人はぜひ! ータバブックス (2014年4月21日)ー
書籍 栗原康『村に火をつけ,白痴になれ――伊藤野枝伝』感想 やっちまいな!
アナーキストの大杉栄の奥さんであった伊藤野枝なる人物を紹介しつつ、「あたらしいフェミニズムの思想をつむいでいきたい」という内容である。タイトルにある「村」とは、世にはびこる常識によって生きづらくなっている今の社会のことを示しているらしい。そんな村社会に火をつけて、バカになって助け合おうということか。やっちまいな! ―岩波書店 2016/3/24―
書籍『現代暴力論「あばれる力」を取り戻す』栗原康 感想 生きる力を解放しろ!
栗原氏の書籍、読むの4冊目。出版された順番を確かめてないのでよくわからんが、過去に読んだ3冊のエッセンスを1冊にまとめたような感じの内容だった。社会の束縛なんて関係ない、自分の生きる力を解放しろ! ということで、これを読んだうえで、このブログにあがってる栗原氏の他の書籍も読むといいかも。

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