書籍『はたらかないで、たらふく食べたい』栗原康 著 人間はウンコだ(笑)

はたらかないで、たらふく食べたい「生の負債からの解放宣言」 栗原康 著

面白い書籍だ。「なるほど、そういう考え方もあるんだな」と思わせる視点で意見を放ったかと思うと、そのすぐあとにユーモアのあるふざけた一文を入れてくる。「はたらかないで、たらふく食べたい」人はぜひ!

ータバブックス (2014年4月21日)ー

内容紹介:結婚や消費で自己実現? ウソだ! 豚小屋に火を放て! やりたいことだけをやってはいけない、 かせがなければいけない、買わなければいけない—負い目を背負って生きることを強いられる「生の負債化」が進行する現代社会。今こそ新自由主義の屈折した労働倫理から解き放たれるとき! 笑いながら溜飲が下がる、トンデモなさそうで腑に落ちる、この新しい読み心地!『大杉栄伝ー永遠のアナキズム』で第5回「いける本」大賞受賞、気鋭の政治学者による爆笑痛快現代社会論

 目次
キリギリスとアリ ― はたらくこと馬車馬のごとく、あそぶこと山猿のごとし
切りとれ、この祈る耳を  ― 耳切り一団
3・11になにをしていたか? ―とうとう江戸の歴史が終わった
豚小屋に火を放て ― 伊藤野枝の矛盾恋愛論
甘藷の論理 ― うまい、うますぎる!
地獄へ堕ちろ ― ヘイトスピーチか、それともスラムの念仏か
他人の迷惑かえりみず ― 心得としての高野長英
お寺の縁側でタバコをふかす  ― 大逆事件を旅してみれば
豚の足でもなめやがれ ― もののあはれとはなにか?
 大杉栄との出会い ― 赤ん坊はけっして泣きやまない
 ヘソのない人間たち ― 夢をみながら現実をあるく
反人間的考察 ― 歴史教科書としての『イングロリアス・バスターズ』
豚の女はピイピイとわめく ― 老荘思想の女性観
だまってトイレをつまらせろ ― 船本洲治のサボタージュ論

出版社からのコメント

現実社会の秩序を疑え。「生の負債化」に甘んじるな。大杉栄、伊藤野枝、幸徳秋水、はたまた徳川吉宗、一遍上人、イソップ物語、タランティーノ…あまたの思想、歴史、芸術から今を生き抜くあたらしい論理を構築。アナキズム研究のかたわら合コンも恋愛もあきらめない、非労働系男子のたたかいの日々に、笑いながら溜飲が下がる爆笑痛快現代社会論です。(Amazon)

読みやすくユーモアに溢れた書籍

非常に読みやすく知的好奇心を刺激してくるうえ、面白く読める内容であった。すごいとか面白いとか、アホみたいな感想しか出てこないけど書籍では久々のヒットだ。

この人はアナーキズムを研究しているそうです。アナーキズムってよく分からないし、特に関心もなかったんだけど、栗原氏の考えは自分がイメージしてたような殺伐とした主義でもないのかなと思わされた(ちなみにこの書籍では触れられてないけど、栗原氏はアナーキズムを〔無政府主義〕とは訳さずに、〔無支配主義〕としているらしい。この訳の仕方でも、だいぶ印象が変わる)。

格差社会と言われる現代で、一般的な言い方でその底辺にいるひとたちにとっては恐らく、彼の言うような世界が実現するのはよいことだろう。俺にとってもよいことかもしれない。

では、具体的にどうすれば栗原氏の言うような世界が実現できるのかは、なかなか難しいところだ。結局、資本主義に毒されている我々のものの見方や考え方が劇的に転換しないといけないのだから。

やりたいことしかやりたくない!

この人の生き方って、恥も外聞もなく(あるのかもしれないけど)、できる限り自分のやりたいままに生きるというものだ。「やりたいことしかやりたくない」のである。「はたらかないで、たらふく食べたい」のである。そんな生活できるわけないと思うんだけど、この人はけっこうそんな感じに生きている。

つまり、やろうと思えば生きられるのだ。それほど切実に「はたらかないで、たらふく食べたい」ということだね。それを体現しようとしてる人なんだろうってのが、この書籍を読んだ感想だ。「はたらかないで、たらふく食べたい」これって多くの人がそう思っているはず。少なくとも、俺はそうだ。

生きがいが「働くこと」の人もいる!

でも、今の世の中ではそんな生き方は中々できない。そして、働くのが大好き、楽しい、仕事が遊び(これは金を稼ぐのが遊びと言っているのと同じ)ていう人がたくさんいるのも事実だ。俺はそういう奴らを仕事を通じて現在進行形で目の当たりにしている。

そういう人たちは、金を得ることを当然と思っている。サービスしたことによって、「それを施した相手の笑顔を見るのが最高の喜び」というのが彼らの仕事の楽しみ方の1つだ。嬉々とした表情で、そういうことを楽しそうに語る。本当にすごい。すごいと思う。

俺はそういう人たちの話が、間違っているとは思わない。今の世の中の仕組みの中では、よいことをしているとも思う。しかし、彼らにはある視点が欠落している。それは、なぜ対価として金を得なければいけないのか――ということだ。

相手の笑顔を見るのが最高の喜びなら、無償でやればいいじゃん。金とらなくてもいいじゃん。――そういう考え方もできるよね。本当にやりたいことなんだったら、対価は必要ないのではないか。

相手の笑顔が見たいんなら、無償でやればいいんじゃん。無償でやれる世界をつくればいいじゃん。栗原氏の言っているのは、そういうことなんではないか。そう言っているのではないだろうか。ところが、世の中はそうはならない。

個人的に思うのは、笑顔を見るのが最高の喜びで、そのうえで対価を得たいならそれは別にかまわん。でも、そうだとするならば企業理念には、「人々の笑顔をみられる事業をする(あくまでたとえで、特定の企業をどうこう言っているわけではありません)」とのたまうのではなく、まずは利益を得たいと書くべきだ。そのうえで、サービスによって笑顔を見たい――と言え。そう思うのである。

悲壮感はない。でも切実ではある

ともかく栗原氏は生活においていろいろと苦労しているようで、そこらへんについてもユーモアを交えて書いているので楽しめる。

女性と付き合うにあたっての考え方も、よくそこまで言い切っちゃうなと思うくらい清々しい。だって、婚約者に対して「自分はお金がかからない人間だから、ぜひ母親に変わって養ってほしい」的なことを言ったことがあるらしい。これってすごいです。俺だったらプライドが邪魔してできなそう。だから、それができちゃうところがすごいし、ある意味では羨ましくなっちゃう。ただ、当然だけどその願いは成就はしないのだが(笑)。

あんま悲壮感がないんだよね、この人。そう感じさせない。そこが素晴らしい。なんか、絶望した感じが言葉の端々から溢れてて、悲壮感を漂よわせながら資本主義の糞さ加減をダラダラ書いた文章を読むよりは(そんな本読んだことないけど)、こっちのほうがスッキリと主張が頭に入ってくるし、何より楽しんで読めるからねぇ。

この世は楽しい肥溜め!

俺の糞文章では何の紹介にもなってないが、栗原氏の書く文章の面白さと、言っていることの思慮の深さは、読めばわかります。アホじゃないかと感じてしまう人は「かせげるものしかやってはいけない」という資本主義に毒されすぎたウンコ人間だと思ったほうがよい(笑)。

だからと言って、ウンコ人間であることを水に流せと言っているんじゃあないのだ。栗原氏が「人間はウンコだ」といいながら自分のことは「豚」と言っている。たぶん意味的にはどちらも同じ。恐らく自分自身もウンコだと自覚しているうえで他人もウンコだと言うのだ。

本当のウンコは自分がウンコだと思っていないから、たちが悪いのである。でも、ウンコをウンコたらしめているのは自分がウンコだと思っていないからこそで、自覚してようがいるまいが、自分も他人から見ればウンコ、他人もウンコ。全員ウンコ。目糞鼻糞。この世はそんな肥溜めだから楽しいし過酷なのだ。

善悪を越えた言葉を獲得するために、みんな人間であることをやめよう。

栗原氏の他の書籍↓

書籍 栗原康『村に火をつけ,白痴になれ――伊藤野枝伝』感想 やっちまいな!
アナーキストの大杉栄の奥さんであった伊藤野枝なる人物を紹介しつつ、「あたらしいフェミニズムの思想をつむいでいきたい」という内容である。タイトルにある「村」とは、世にはびこる常識によって生きづらくなっている今の社会のことを示しているらしい。そんな村社会に火をつけて、バカになって助け合おうということか。やっちまいな! ―岩波書店 2016/3/24―
書籍 栗原康『死してなお踊れ 一遍上人伝』感想 「いくぜ極楽、なんどでも!」
一遍上人の生涯を紹介した本書は、一遍上人の言がそのまんま栗原氏の言として息づいている。一遍上人を介して栗原氏が己の信ずる思想を述べているのである。「はじめに」と「おわりに」ではユーモアを交えつつ、より栗原氏の現実に即した話が書かれていてそこも面白い。「いくぜ極楽、なんどでも!」 ―河出書房新社  2017/1/27―

他の書籍に関する記事↓

http://hanbunorita.com/1/category/book

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